- 松永史談会 -

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松永史談会5月例会のご案内

2018年05月19日 | 松永史談会関係 告知板
松永史談会5月例会のご案内

日時:5月21日(月曜日) 午前10-12時
場所:喫茶店「蔵」2階

話題「松永村古図」(地引絵図)の研究(パート2)
当日はこちらの話題にも言及し、全体として江戸時代における松永(new town 松永)と今津(宿場町の整備)在り方について言及していく。


5月例会用配布資料

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樋守の小屋

2018年05月18日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
稲荷社横の「樋門」と「樋守」というのはその居宅or番小屋を含めた表記だろうか。


中新涯の突端に樋門があり、そこに樋守の家族(佐藤さん)が生活していた。佐藤一家が住んでいた2階建ての番小屋が写っている。長男は昭和21年生まれ位だったろうか、一家には女の子を含め子供が何人かいた。生活はいずこも同じで普通に貧しく母親が家計を支えるため下駄工場で働いていた。人里離れた一軒家だったため永くカンテラ生活を余儀なくされていた。長男が中学を終えるころには樋門が近代化され、一家はどこかに転居した。

天保新開の番小屋だった思われる小さな家に山中君(昭和25年生まれ)という子供がいた。下駄工場勤めの若いお母さんと二人連れで家路につく姿がいまでも不思議に思い出される。夫婦の年齢差があった感じで、ほとんど戸外に出ない感じの父親は当時すでに50歳ちかい初老者ではなかったろうか。

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町前・西田以南の新涯地景観ーαを考えるヒントを求めてー

2018年05月03日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
干潟を干拓し、そこに陸水(淡水)を注ぎ、同時に潮汐作用下にある海水がそこに侵入しない処置(干拓堤防の築造、潮廻し川・樋門を敷設し、汐溜池=貯水池を準備)を講じつつ、その基本パターンの繰り返しを景観の中に樹木の年輪を数える要領で探っていく訳だ。あるいはそういう仮説を設定し、空中写真を眺めているとこれまで沈黙状態にあったか、忘れ去られていたこの「土地に刻まれた歴史」が浮かび上がってくるのだ。


字前新涯については考古学的な発掘(トレンチで土層断面)データがあればより確実な議論が可能になろうかと思うが、数次にわたる新田開発の結果であり、おそらく字前新涯はその広さと道路(旧堤防の可能性)の配置及び土地の起伏が一様ではない点から考えてその方向で考えていくのが良いだろうと考え始めたところだ。

もう一つ留意点がある。
それは不可解地名の問題なのだが、野取帳に「潮廻し」という地名or注記が村内2か所(字前新開・字西田)にあって、そのうちの一つがこれ(字前新涯)
いささか意味不明のこれをどう解釈するかだ。

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