- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

梅雨入りを前に本日は比治山・多聞院(広島市南区)に賴家墓墓参

2024年06月02日 | 断想および雑談
慌ただしく出かけたので、地図を忘れて出かけ、帰りを急ぐ余りにカバンに常備している巻尺での墓石の計測もし忘れた



比治山公園界隈は幼少期以来の訪問だった。正面に真言宗・多聞院。



最新のものは令和元年95才で没した頼 惟勤(1922-1999、山陽の長男:頼 聿庵/いつあんの子孫)夫人尹子さんのもの。罰(ばち)があたらないように『芸藩通志』編者・賴杏坪墓によく手を合わせておいた。

ジャンボな毘沙門天本堂の背後に賴家墓地(googlemap上の「賴家の墓」表示場所は誤り)がある。そこは開析谷底の奥まったところに当たり、寺の人の話では原爆の影響は殆ど無かったらしい。比治山・多聞院周辺には賴山陽の記念施設(例えば賴山陽文徳殿)や時代遅れの楠公追慕塔などが立地する。率直な印象として、花こそ供えられていたが、広島県史跡「賴家之墓」(賴山陽・賴三樹三郎などの墓は不在)の現在は奥側の木立の中には放置された原爆被災建物と思しき木造の廃屋(下の写真では廃屋そのものは毘沙門堂の建物の背後に隠れて見えない)があったりして美観的には些か気の毒な状況にある。


安芸本郷で途中下車して中世・沼田庄辺りの探訪を考えていたが、通過時刻が16時近くになっていたので他日を期すことにした。
コメント    この記事についてブログを書く
« 松永史談会6月例会のご案内 | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。