- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

関寛之「最新児童心理学」大正14年

2014年02月18日 | 断想および雑談
関寛之「最新児童心理学」大正14年








関寛之の処女作「児童学概論」、洛陽堂、T7


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関寛之「玩具と子供の教育」、広文堂、T15と関寛之「玩具と教育 : 父母と教師のため」大正8、洛陽堂

2014年02月18日 | 断想および雑談
関寛之「玩具と子供の教育」広文堂 大正15









関寛之「玩具と教育 : 父母と教師のため」大正8 洛陽堂


玩具と教育 : 父母と教師のため

関寛之 著



[目次]
標題
目次
一 兒童と玩具(兒童の生活と玩具)
二 玩具の心理(玩具の價値と心理)
三 玩具の敎育(玩具による敎育法)
四 玩具の選擇(玩具選擇上の注意)
五 新しい玩具(各國の珍しい玩具)
六 古代の玩具(我が國特有の玩具)
七 モンテッソリーの敎具(新しい敎育的玩具)
附錄



関「児童学原理 : 児童の身体及精神」、アテネ書院、大正13年

タイトル玩具・絵本及読物著者関寛之 著出版者厚生閣出版年月日昭15






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洛陽堂刊の上杉「暴風来」大正8年&「国体精華乃発揚 : 真正日本乃建設・挙国一致乃提唱」、T8

2014年02月18日 | 断想および雑談
洛陽堂は大正8年(1919)にこんな御用学者上杉慎吉の著書を2冊も出版していた。いやはやいやはや・・・・
上杉「暴風来」大正8年
暴風来

上杉慎吉 著



[目次]
標題
目次
国家第一 / 1
人の相関と連続 / 10
如何にか我国体の精華を発揮すべき / 18
民主の世界潮流 / 50
多数勢力の時代 / 72
桐花会の志成るの秋 / 83
憲法発布第三十年に方りて人心の振興を促がす / 107
普通選挙論 / 128
洋化五十年 / 134
デモクラシーと我が国体 / 146
デモクラシー平解 / 246
億兆一新世世済厥美 / 264




上杉 慎吉 (1878-1929)


"上杉 慎吉"(うえすぎ しんきち、1878年(明治11年)8月18日 - 1929年(昭和4年)4月7日)は、戦前の日本の憲法学者。天皇主権説を主張し、天皇機関説と激しい論争を展開した。 [人物] 父上杉寛二は元大聖寺藩(現、石川県加賀市)藩医。 旧制四高補充科予科、旧制四高を経て、1898年に東京帝国大学法学部に進学し、憲法学教授で天皇主権主義の穂積八束に師事して憲法を学んだ。1903年東京帝国大学法学部政治学科卒(卒業時恩賜の銀時計を授与される)、同年には同大学助教授に就任した。1905年には師匠の穂積説を批判するようになったが、1906年からの「西遊研学」で穂積説の後継者を自任...

国体精華乃発揚 : 真正日本乃建設・挙国一致乃提唱

上杉慎吉 著




[目次]
標題
目次
第一篇 國體の精華
第一章 國體 / 1
一、國體 / 1
二、我が國體 / 9
第二章 國體の精華 / 13
一、國家の本質 / 13
二、主權の本質 / 19
三、理想國家 / 24
四、デモクラシイ / 32
五、我が國體の精華 / 54
第三章 國史の成跡 / 65
一、國體精華の發揚 / 65
二、神武恢弘 / 73
三、政體の變遷 / 75
四、明治維新 / 78
五、憲法發布 / 87
第二篇 帝國の現狀
第一章 帝國の地位 / 91
一、屈辱迎合 / 93
二、臥薪嘗膽 / 99
三、九月五日 / 103
四、支那の排日 / 107
五、絕望 / 118
第二章 政權の爭奪 / 126
一、藩閥の鬩爭 / 126
二、政黨と官僚 / 133
三、政黨の末路 / 145
第三章 人心の頽廢 / 150
一、洋化五十年 / 150
二、國體異說 / 164
三、非國家思想 / 173
四、人心頹廢 / 182
第三篇 國體精華の發揚
第一章 思想の淘汰 / 197
第二章 國威の宣揚 / 204
一、帝國の使命 / 204
二、擧國動員 / 217
第三章 擧國皆兵 / 225
一、軍國主義 / 225
二、擧國皆兵 / 232
第四章 經濟の統一 / 237
一、大資本主義 / 237
二、擧國勞働 / 243
第五章 民生の修固 / 253
一、保守主義 / 253
二、法律の改正 / 260
三、擧國一民 / 269
第六章 政治の刷新 / 293
一、大權主義 / 293
二、擧國選擧 / 301
三、政府の組織 / 320

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徳富蘇峰「人間山陽と史家山陽」

2014年02月13日 | 断想および雑談
徳富蘇峰「人間山陽と史家山陽」昭和7、民友社、220P.
人間山陽と史家山陽

徳富猪一郎 著



[目次]
標題
目次
人間山陽と史家山陽
一 山陽と藝州 / 1
二 人としての山陽 / 9
三 歷史家としての山陽 / 16
四 中年以後の山陽 / 26
五 學者としての山陽 / 32
註 山陽よく人言を容る / 36
賴山陽先生
一 緖言 / 37
二 山陽の家庭 / 40
三 山陽の東遊 / 46
四 歸鄕後の山陽 / 49
五 廉塾より上方へ / 53
六 晚年の山陽 / 55
七 孝子山陽 / 59
八 『日本外史』論 / 64
九 詩人としての山陽 / 73
一〇 藝術家としての山陽 / 75
一一 山陽の眞面目 / 77
註 茶山の詩と山陽の詩 / 82
書簡より見たる賴山陽
一 山陽論の一般 / 83
二 予の山陽書簡の蒐集 / 86
三 山陽書簡の保存 / 89
四 書簡に流るゝ一種の情味 / 91
五 一つの遺憾 / 93
六 酒客山陽 / 96
七 シマリ屋の山陽 / 98
八 書簡に現れたる山陽の雜事 / 100
九 山陽と其の家族 / 103
一〇 敬服す可き一事 / 105
一一 梅颸、細香 / 107
一二 結論 / 110
註 山陽の俗牘 / 112
賴山陽と皇室中心主義
一 緖言 / 113
二 山陽と大阪 / 116
三 維新の精神 / 118
四 其の當時の日本 / 120
五 維新囘天史と山陽 / 125
六 修史事業の困難 / 127
七 『日本外史』の著述 / 130
八 一大感激家 / 135
九 大批評家 / 138
一〇 豐饒なる人間味 / 140
賴山陽百年祭
一 山陽の生涯 / 143
二 『日本外史』 / 149
三 山陽の眞面目 / 155
賴山陽の書と橋本景岳
一 所謂る山陽ばりの書 / 163
二 左内の山陽書幅蒐集 / 165
三 左内の山陽の書に關する評論 / 170
附錄
山陽の書簡 / 177
賴山陽の書牘 / 179
『賴山陽書翰集』編纂に就て / 180
『賴山陽書翰集』序 / 183
『賴山陽書翰集續編』序 / 191
『賴山陽眞蹟百選』序 / 193
『賴山陽全書』序 / 197
神戶鹿峰翁と其遺愛品
一 鹿峰翁の賴家遺墨の蒐集 / 201
二 山陽の書 / 203
三 竹田、崋山 / 206
亦復一樂帖 / 209
『隨筆賴山陽』を讀む
一 シマリ屋山陽に就て / 212
二 賴門の子貢關藤成章 / 214
三 東遊の志 / 217
四 死期を得たる山陽 / 219
揷入圖版目次
文化十一年十二月七日賴山陽書狀
文政十年五月廿五日賴山陽書狀
賴山陽五言絕句

「国立国会図書館のデジタル化資料」より

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高島平三郎「母のため」、明治36年、元々堂

2014年02月11日 | 教養(Culture)
高島平三郎「母のため」、明治36年、元々堂

高島家での家庭教育のあり方訓、母親のあり方訓だという面がある著書だ。













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高島平三郎関係の国会図書館デジタルコレクション

2014年02月11日 | 断想および雑談
高島平三郎関係の国会図書館デジタルコレクション

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高島平三郎「心理学綱要」広文堂、大正15年

2014年02月11日 | 断想および雑談
高島平三郎「心理学綱要」広文堂、大正15年



心理学綱要

高島平三郎 著



[目次]
標題
目次
第一篇 緒論 / 1
第一章 定義及び略史 / 1
第二章 研究法 / 10
第三章 區分 / 15
第四章 精神作用の生理的基礎 / 18
第五章 意識及び注意 / 42
第六章 精神作用の區分 / 60
第二篇 感覺階級 / 67
第七章 感覺(上) / 67
第八章 感覺(下) / 92
第九章 感情概説 / 110
第十章 初歩感情(單情) / 119
第十一章 意志概説 / 129
第十二章 生理作用と初歩意志 / 135
第三篇 表象階級 / 175
第十三章 知覺(直觀) / 175
第十四章 錯覺 / 202
第十五章 表象及び記憶 / 236
第十六章 想像 / 264
第十七章 情緒 / 285
第十八章 慾望 / 319
第四篇 思想階級 / 347
第十九章 思想作用 / 347
第二十章 概念・判斷及び推理 / .365
第二十一章 情操(上) / 388
第二十二章 情操(下) / 416
第二十三章 意志作用 / 448
第二十四章 自我 / 456
第二十五章 心理法 / 481




高島平三郎関係の国会図書館デジタルコレクション
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高島平三郎関係の古書たち

2014年02月11日 | 教養(Culture)
高島の書いた最初の教科書


高島平三郎が30歳代に執筆した著書、「心理漫筆」は後年「心理百話」として洛陽堂からも出版。心理学的なよもやま話集だが、なかなか面白い内容だ。


普及舎から出された明治20年代後半に出された師範学校用の教育学と心理学の教科書




体育教育に関し、科学と哲学(精神論)の両面から体系化


これは集書したものの一部


高島が晩年に校長を勤めた女子高等学園(2年制の”花嫁学校”)の校友会誌


高島平三郎の母親(「涙痕」)と最初の夫人の追悼録(「久遠之寿」、寿は夫人の名前)


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鈴木貞美「生命観の探究」&「大正生命主義と現代」(図書館からの借りだし)

2014年02月11日 | 教養(Culture)

鈴木貞美「生命観の探究」&「大正生命主義と現代」





鈴木の視野にある生命主義論者あるいは生命観を念頭に置いた場合鈴木が注目した人物相関図。こういうものは鈴木の見解(認識論的にいえば”観点”)であって、あくまでも参考資料、真に受けない方がよい。



19世紀後半という時期はヨーロッパでは科学の行きすぎに反省の生まれた時期に当たる。例えばそこでは文化人類学者がもたらしたアジア・アフリカなどの非欧米圏に残存した”未開文明”とかレビ・ストロース流にいえば「野生の思考」の発見が伝えられ、またベルクソンやニーチェの反合理主義的哲学が隆盛をむかえる一方、降霊会がもよおされ、オカルト現象を科学的に研究しようという心霊科学や、東洋の叡智を探求する神智学運動が一世を風靡したりした。
鈴木が取り上げた「大正生命主義」というのは、柳宗悦のウィリアム・ブレーク研究自体がその所産であった訳だが、そうした産業科学主義や合理主義に対するある種の”カウンターカルチャー”形成の我が国社会における発現形態の研究という性格を持つ。誰しも神智学・心霊研究(オカルト研究)、生気論の中から現代の生命倫理をまじめな議論する場が構築できるとは思えないだろ。ビートルズがヨガや禅に興味を持った時期があったが、生命主義は産業科学主義や都市文明に対するアンチ(アクセルーブレーキという尺度の中では”ブレーキ”)として登場(あるいは機能)するたぐいのものであって、大切な機能だが、登場してはいつのまにか消滅していくといったことを繰り返す代物だ。

・・・・・・里海/里山資本主義?
それはNHKが宣伝している大正生命主義の平成版だろ。

真言宗立宣真高等女学校長時代の著書が福来友吉 著「生命主義の信仰」、日本心霊学会、大正12


「大正生命主義と現代」は生命主義に関する鈴木の問題提起と、宗教学者山折哲雄、哲学者中村雄二郎との対談、大正生命主義に関わる作家・評論家・詩人に関する国文学研究者の論文から構成されている。
鈴木は本書の狙いを①生命主義がスーパーコンセプトになっている1980~1990年代の思想文化状況を捉え、大正デモクラシーの時代の話題を引き合いに出しつつ、相対化し、②そこから新たな生命思想を生み出す手掛かりを得たいのだと・・・・
そのために動員されたのはいやはや国文学関係の研究者や山折とか中村雄二郎だけ、というお寒さ。山折・中村は現代を代表する説教師たちだが、ほとんどの場合中味に欠け、新たな生命思想など彼らに語れるわけがない。
なぜ、生物学・医学などの先端領域で活躍する人たちに声をかけなかったのだろ。
鈴木の場合は肝心なところは西田幾多郎の論稿を持ち出して読者を煙に巻く
西田の名前を出せば「生命」(例えば性欲)の問題でも深遠な普遍性の衣裳を纏えると言わんばかりの持ち出し方だ。カビ臭い明治大正の文学を研究する鈴木のような人間にだれも生命観の未来を教えてもらおうとは思わないだろ。
まあ、考えてみたら、それはわたしにとっては所詮どうでもよい話。この中に大和田茂「民衆芸術論と生命主義」(加藤一夫論)があったので、その部分のコピーをさっさとしておいた。

三原容子「加藤一夫の思想」、社会思想史学会年報・社会思想史研究№14、1990、105-117頁というのもある。
・・・・・大和田・三原の論文の中味はいずれも短報・研究ノート級。

「生命観の探究」は900ページを超える大著。古今東西の生命観にまで視野を広げているが、鈴木の学習過程を知るには便利だが、そんなことに興味のない私などには習作的過ぎて、問題点をもっと限定して、要点を掻い摘んでコンパクトに活字化してほしいだけ 。 部分的に精読して見たが、筆者の関心は広範だが、分析は残念ながら浅い。
第七章は鈴木専門の「大正生命主義ーその理念の諸相」。その説明によれば大正生命主義とは近代生物学、とりわけ進化論を受容した下地の上に欧米における19,20世紀の世紀の変わり目に現出した様々な新しい思潮を我が国の伝統思想によって受け止めたときに生じた一大思潮だという、なのに鈴木は永井荷風には言及しても「生命論」の大著をもって知られる永井潜に関しては不思議と言及がない(。永井潜の「生命論」は結局のところ、優生保護法とか断種政策という形になり下がっていく性格のものだが、当時としては相当の影響力を持ったものだった)。
・・・・・・・摩訶不思議というほかない。
科学思想史の問題だが、欧米の文献のこのジャンルのものを直接読んだ方が鈴木のこの大著(第十二章:新しい生命観を求めて、744-831ページ)を読むよりよほど為になる。

「生命論」を書いた永井潜は生気論と機械論をあげ、科学者としては前者は否定せざるを得ないとしている。ただ、永井の弟子小酒井光次あたりは「生命神秘論」を著している。言うまでもなく色彩論に例えて言えばニュートン的な色彩論限定するというのが永井潜の立場であり、色彩に関してゲーテ的な(意味論的)思考モードを持ち出すのが「生命主義」とか「生命神秘論」の立場だ。まあ、この辺は古くて新しい問題だが、前者を差し置いて後者があまりにも台頭してくるようになると社会は堕落する。「生命主義の信仰」の筆者:福来友吉万歳!では困るのである。




コピーするには頁がありすぎるし、古本で購入するには現在ではプレミアが付きすぎているし・・・・、こまった書籍だ。
○鈴木貞美 著『生命観の探究』
われわれは「生命」をどのように捉えてきたか。古今東西の哲学・宗教から最先端の分子生物学に至る人類の精神的営為を渉猟しつつ、多様な危機に混迷する現代に新たな生命原理主義を樹立する画期的労作。
「BOOKデータベース」より
[目次]
新たな生命観が問われている
人権思想と進化論受容
生物学の生命観-二〇世紀へ
二〇世紀前半-欧米の生命主義
前近代東アジアの生命観
自然の「生命」、人間の「本能」
生命主義哲学の誕生
大正生命主義-その理念の諸相
大正生命主義の文芸
生命主義の変容
第二次大戦後の生命観
二〇世紀の武道と神秘体験
新しい生命観を求めて
作品社、2007、914ページ

○鈴木貞美 編『大正生命主義と現代 』
新しい生命観の創造をめざして。いわゆる"大正教養主義"の水面下には目眩めくほど多彩な思想潮流が躍動していた。哲学・科学・文学・芸術・政治・社会・宗教などあらゆる世界での創造と破壊、理想とデカダンス、霊魂とエロスの乱舞を"生命"の思想として捉え直し、混迷する現代の鏡とする瞠目のアンソロジー。
「BOOKデータベース」より
[目次]
1 大正生命主義と現代
2 大正生命主義の諸相
3 1980年代の生命主義
河出書房新社、1996,297P.

最後に、西田哲学入門講座

「善の研究」の原題は「純粋経験と実在」だが、これに関して当時の心理学の中では「意識(高島の場合は識の段階)」、「経験(高島の場合は純経験)」がいろいろに論じられていたわけだが、西田はこの辺を適当にパクリ、何の科学的検証のないまま彼独特のレトリックの中にちゃっかりと鋳込んでしまった感じだ。

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小酒井不木(永井の弟子)「生命神秘論」洛陽堂、1915

2014年02月09日 | 断想および雑談
生命神秘論
小酒井光次


折り込1枚

「国立国会図書館のデジタル化資料」より

[目次]
標題
目次
第一章 序論
一 緖言 / 1
二 自然と人生 / 4
三 自然と人生の謳歌 / 7
第二章 生命
一 生物と無生物 / 12
二 生命の起原 / 18
三 生命に關する思想の變遷(機械說と生氣說) / 22
第三章 宇宙の觀察
一 天體 / 29
二 天水 / 42
三 海(地水) / 50
四 原素 / 58
五 波動體 / 62
第四章 生物界の觀察
一 美と愛の實現
1 花と其の傳說 / 69
2 蟲の奏樂 / 75
3 鳥の歌舞 / 78
二 能力の實現
1 細菌 / 86
2 原生動物 / 95
3 花の知能 / 100
4 昆蟲の知能 / 104
5 相互補助 / 112
6 移住 / 118
三 自我の實現
1 生命の存續と再生の力 / 124
2 營養攝取 / 128
3 防禦と保護 / 134
四 進化の實現 / 139
第五章 人體の觀察
一 序說 / 148
二 肉體美 / 152
三 人體の構造 / 165
四 人體の機能 / 177
五 表情 / 189
第六章 性と愛
一 男女 / 201
二 戀愛 / 209
第七章 生殖と遺傳
一 生殖 / 224
二 遺傳 / 239
第八章 生と死
一 生と壽命 / 260
二 死 / 271
第九章 結論
一 事物の觀察 / 279
二 科學と生命 / 287
三 餘論 / 297

小酒井不木「学者気質」、洛陽堂、大正10、1、サイズ15×10.5 裸本 209頁 









『生命神秘論』

新刊紹介

『科学と文芸』 大正4年9月号

生命神秘論 小酒井光次著
著者は最も真面目なる生命の研究者である。著者はこれを純粋の科学的立場に立つて研究すると共に、人々の直覚や洞察や霊感によつて表はされた内的な立場から研究する事をも忘れ得なかつた。これこの書の特徴であつて、また偉大なる価値である。永井博士はこれに序して自然と生命とを讃美する一大詩篇であると云つて居るが、実際その様な感じは何人にも起るであらう。この書によつて示される生命の神秘は不知不知人の眼を開らいて不思議な世界へと導いて行くであらう。これ実に科学と文芸とを最もよく調和したる近来の好著である。(洛陽堂発行 定価一円六十銭)

新刊紹介 小酒井光次氏『生命神秘論』

『第三帝国 第51号』 大正4年9月11日号

 本書は其の内容を「序論」「生命」「宇宙の観察」「生物界の観察」「人生の観察」「性と愛」「生殖と遺伝」「生と死」「結論」の九章に分ち、今日自然科学の到達し得てゐる凡ての結果を簡単に通俗に分り易く紹介して居る。猶挿画としては東西の名画数十葉が挿まれて居る。
 併し高遠なる学理を通俗的に紹介するといふ程困難の伴ふものはないので、此れを専門家がやると兎角説明の不十分な為めと筆力の至らざる為めとで、花も実もなき乾燥無味のものとなり易いし、又一知半解の素人科学者がやると兎角興味中心に流れて怪しげないかさまな事を伝へるものとなり易い。然るに本書に至つては、著者の研究の確実さと、知識の豊富さとを窺がはせるに充分な技量が示されて居ると同時に、更に驚くべき筆致の流麗と、詞藻の富贍とを以てして、読者をして陶然として酔はしむるものがある。
 著者は自然の微妙、生命の神秘を論じ或は紹介して居るといふよりは、寧ろそれを嘆美し、描き、且つ歌つて居る。自然の偉大生命の秘義を説明して居るといふよりは、寧ろ其の前に額づき、掌を合せて涙を以て祈祷を捧げて居る。故に本書は科学のローマンスとも言ふべきものである。従つて読む者は自ら著者の敬虔なるそして美はしき心の奏べに歩調を合せて、大自然、大生命の神秘の境に逍遙する思ひをなすであらう。
 只憾むらくは文藻勝ちで、説明の簡に過ぎた嫌ひがないでもない。少なく共著者が至る所に引用せる近代文芸又は美術的作品等に就いて相当の理解を持ち得る程度の者ならば、科学的方面に於ても猶多少立入つた説明を要求しやしないかと考へられる。
 併し兎も角も科学的精神の欠乏せる、従つて科学的知識の貧弱なる我が読書階級に対して、本書の与ふるところ甚だ少なからざるべきを思ふ。敢て大方の一読を勧む。
(一円六十銭、麹町区平河町五丁目洛陽堂発行)――松本生――

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家庭及学校に於ける児童生活の研究

2014年02月07日 | 断想および雑談
ドラモンド 著[他]家庭及学校に於ける児童生活の研究

家庭及学校に於ける児童生活の研究

ドラモンド 著 ; 高島平三郎, 山本源之丞 訳



[目次]
目次
第一章 緖言 / 1
第二章 兒童研究の豫備 / 10
第三章 兒童研究上の警戒 / 29
第四章 生物學と兒童研究 / 49
第五章 兒童研究の方法 / 94
第六章 嬰兒研究の法 / 128
第七章 兒童の體重と身長 / 152
第八章 兒童發育上の事實 / 164
第九章 兒童の感覺及神經系統 / 189
第十章 兒童の健康 / 212
第十一章 兒童の疲勞 / 233
第十二章 兒童の本能 / 262
第十三章 兒童の本能と習慣 / 305
第十四章 兒童の興味 / 321
第十五章 兒童の發表 / 349
第十六章 兒童の道德的特質 / 385
第十七章 宗敎と兒童 / 408
第十八章 特異の兒童 / 432


Drummond
山本 源之丞
高島 平三郎
高島平三郎 山本源之丞
ドラモンド



出版元

洛陽堂




刊行年月

大正7



ページ数

471p



大きさ

22cm



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修養心理学講話(高島平三郎, 下沢瑞世 著(明治44、大倉書店))

2014年02月05日 | 断想および雑談
修養心理学講話

修養心理学講話

高島平三郎, 下沢瑞世 著(明治44、大倉書店)



[目次]
標題紙
目次
第一章 人物修養の本義及修養心理学の性質 / 1
第二章 理想的人性の心理学的哲学的基礎(其一) / 30
第三章 理想的人性の心理学的哲学的基礎(其二) / 70
第四章 才型と徳型の心理的基礎 / 100
第五章 聖人と聖者と教育ある人 / 120
第六章 徳の本義及心理学的基礎 / 132
第七章 人間生活体と心身勢力 / 175
第八章 静力修養と動力的修養及外形修養と精神修養との関係 / 216
第九章 注意と敬と誠の心理 / 243
第十章 聯想と道徳生活及生活発展 / 291
第十一章 自己発展と謙譲の徳自重の徳 / 311
第十二章 人生観法宇宙観法の心理的根拠 / 326
第十三章 趣味の本質及発展 / 334
第十四章 更生及解脱の心理的根拠 / 335
第十五章 個性の本義及其発揮 / 414
附録 識の研究 / 455

下沢は東洋大学・講師、今日いうところの能率、労務管理など経営学的な関心を明治・大正期に持った。


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下沢瑞世「都会に於ける美的児童研究」 洛陽堂、明治45

2014年02月05日 | 断想および雑談
下沢瑞世 著
「都会に於ける美的児童研究」、洛陽堂、明治45


[目次]
目次
第一章 緒論-児童研究及児童の概念 / 1
第二章 都会に於ける児童生活の科学的興味(其一) / 19
第三章 都会に於ける児童生活の科学的興味(其二) / 175
第四章 美的児童研究の概念 / 253
第五章 児童の趣味 / 255
一 児童稚気の種類
二 児童の麗しさ
第六章 児童の実際的興味 / 305





先輩、洛陽堂主人(河本亀之助)の勧めで、都会における児童研究の成果として本書を出版したとある。先輩とは高島らを含む人たちのことだろうか。
下沢 瑞世(しもさわ ずいせい)
なかなか新しいテーマに関心のあった御仁だ。しかし、むろん中味はない。こういう御仁の本がよく出版されたものだ。




恩師高島平三郎にゴマをすっている。



以下、全文引用新聞記事文庫 文化(1-036)
横浜貿易新報 1920.5.2(大正9)


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文学は若い間の事

科学者は五十代の円熟期に大著がある

能率と年齢の関係研究

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東洋大学の講師下沢瑞世氏は人間の能率は何歳頃に於て其の能率が最も発現するかと云う問題に対して多年研究を重ねて居たが今回文部省主催で教育博文館に開く『時の展覧会』に其の研究を発表することとなった、同氏の研究は固より浩瀚なものであるが其の中から最も興味ある能率と年齢の対照を列記すると次の様な関係にある事を示して居る即ち先ず発明家に就て見ると世界の知名の発明家が其の発明に成功した年齢は二十九歳で最も多く次では二十七、三十三、三十五、四十四、四十三、二十一、二十四、三十七、三十八、四十五、四十六四十九、五十歳と云う順序で発明家の能率は二十代から三十代の血気盛りの時代に於て最も発揮されて居る、次に科学者哲学者、法学者、文学家の名著を標準として其の活動期を窺うと、自然科学者は五十代が第一で四十代、三十代、六十代となって四五十代の円満期が最も能率に於て高潮して居る、哲学者は五十代と三十代が第一で六十代四十代七十代と云う順序に下って行く、法学者は四十代が第一で三十代五十代二十代と云う風に中年以後に於て其の頭脳が明晰となりつつあるを立証して居る、然るに文芸家になると此の年齢関係は一変して三十代に最も傑作多く之に次では二十代の頭脳の自由な時代に多く四十代が之に次ぐと云う風で血気の盛な時代に何うしても傑作が多い、以上は著作を標準とした類別であるが更に著作方面から離れて政治家、外交家、軍人、自然科学者哲学者、教育家、画家、彫刻家、演劇家、音楽家等の大に成功した年齢を基準として其活動期を見ると次のように統計されて居る

政治外交教育家
 三十代―第一
 四十代―第二
 二十代―第三
 五十代―第四
 六十代―第五
軍事的事業
 二十代―第一
 三十代―第二
 四十代―第三
 五十代―第四
 十代―第五
自然科学者
 二十代―第一
 三十代―第二
 四十代―第三
 五十代―第四
 六十代―第五
哲学宗教的事業
 三十代―第一
 二十代―第二
 四十代―第三
 五十代―第四
 六十代―第五
演劇関係
 三十代―第一
 二十代―第二
 四十代―第三
 五十代―第四
 十代―第五
音楽家
 三十代―第一
 二十代―第二
 四十代―第三
 五十代―第四
 六十代―第五
絵画彫刻家
 二十代―第一
 三十代―第二
 四十代―第三
 十代―第四
 五十代―第五





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データ作成:2010.3 神戸大学附属図書館
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普州・直石楼(矗石楼、チョクソクル)にて宇垣朝鮮総督御一行(昭和7年2月)

2014年02月02日 | 教養(Culture)
現在の直石楼

このとき、丸山鶴吉は49歳で、総督府警務局長・警視総監へて貴族院議員在職中だった。私の祖父は48歳で昭和6年12月に慶州南道内務部会計課長から普州郡守に転出直後だった。
矗石楼(チョクソクル)の場所


朝鮮総督宇垣一成の評価@学習院

宇垣一成の生家
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