えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

津島裕子の死

2016-02-23 09:47:40 | 歌う

                津島佑子の死

 ♦ 読まれないとき本棚の本はみな直立不動、太宰治も  松井多絵子

 作家の津島佑子が2月18日肺がんで亡くなった。68歳の死。本日朝日朝刊に哲学者。柄谷行人が追悼文を書いている。 「津島佑子に会ったのは1970年代の末ごろ。同人雑誌<文芸首都>の仲間の1人として中上健次に紹介された。彼女は同人たちにも、太宰治が父親であることを隠していた。作家として有利になる条件を打ち消して、ただの人として出発した。むしろそれが彼女の文学を形成した。とはいえ彼女の物語を作る能力は、父親譲りの天分ではないかと常々感じていた」

 津島佑子は母親に小説を書いていることを隠し、同人誌の郵送を断って、自分で取りに行ったらしい。私生児や孤児、障害者、少数民族、などを書く作家であった。✿泉鏡花文学賞✿川端康成文学賞 ✿ 読売文学賞 ✿ 毎日文学賞など12の賞を受賞している。国際的な活動をしていた津島佑子はノーベル文学賞の有力な候補だった。もう少し長生きすれば受賞したであろうと柄谷行人は残念がっている。ノーベル賞は生きている人に与えられる賞なのだ。賞の多くは生きている人にだけ与えられるのだ。

 津島佑子は近年になって今までと異なるスタイルを次々と開発した。2010年の「黄金の夢の歌」 昨年の「ジャッカ・ドフニ」となると、世界文学史において類を見ないような作品である。この勢いではこの先何を書くだろうかと思っていた。 この柄谷行人の追悼文はあの世へ旅立った津島佑子への何よりのはなむけであろう。

   ♦ もっと大きく咲きたかろうに切りとられ葉牡丹は花瓶にあわき紫 

                  2月23日   松井多絵子     


漱石情報 ①

2016-02-22 10:18:22 | 歌う

               漱石情報 ①

 ♦ しかしながら、しかしながらと呟いて書き続けたのか夏目漱石  松井多絵子

 『吾輩は猫である』の発表から絶筆『明暗』まで漱石が執筆に専念したのは僅か10余年。
しかし1世紀を経た今も、世界の誰もが逃れ得ない「近代」という時代の問題をいち早く指摘した漱石の作品群は、21世紀を生きる日本人のみならず、世界各地の多くの人々の心を捉えています。没後100年。未来に何を残し、何をなすべきか。私たちは漱石の精神を同時代の人として学ぶべきではないでしょうか。 朝日新聞2016年1月1日・岩波書店広告より。

 本日☀朝日新聞文化・文芸瀾に次のような漱石についての記事が掲載されている。

          < 後ろ盾失い辞表提出 >

 漱石は朝日新聞社に辞表を提出したことがある。1911年秋、漱石が痔の手術で入院中、東京朝日社内で紛争が持ち上がり、主筆の池辺三山が辞任する。直接の原因は、漱石が主宰する文芸瀾に古参の記者たちが「主筆は文芸欄を擁護しすぎる」と反発、社内の勢力争いもからんで、大ごとになった。池辺の推薦で入社した漱石は辞表を提出。その頃の日記に鏡子夫人とのこんな会話が残されている。

 「あなたなぞが朝日にいたっていなくたって同じじゃありませんか」「仰せの如くだ」「ただ看板なのでしょう」「看板にもならないさ」。幹部は強く慰留し、漱石は辞表を撤回した。もしこのとき辞めていたら、「こころ」も「道草」も「明暗」も、今の形で残されることはなかっただろう。
                                           (牧村健一郎)

 漱石の『こころ』には漱石の「こころ」が漂っている。~私は今より一層淋しい未来の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなにこの淋しさを味わわなくてはならないでしょう。~

    生きれば生きるほど淋しいですねえ。     2月22日  松井多絵子

 


 

 

 


「すばる」という星

2016-02-21 09:59:29 | 歌う

              「すばる」という星

♦ きさらぎの空に「すばる」よ現れよ、夜空に灯りを求めていたり  松井多絵子

<疾走するストーリー。新たな個性が切り拓く、小説の可能性!>

 本日朝刊の本の広告を見ながら「春が近づいてきたなあ」と思う。
★ 第28回 小説すばる新人賞  渡辺優 「ラメルノエリキサ」
  やられたら、絶対やりかえす!痛快青春ミステリ誕生!

 右の頬を殴られたら、左の頬も殴ってくださいなんて言える筈がない、自分に非があっても相手だって、。 殴られたらとりあえず殴り返したい。時には5倍も、この気持ちよくわかる。
どんな仔細な不愉快事も「報復」でケリをつける女子高生・りなが夜道で刺され、、。

 自己中で野蛮な女の子が活躍する、不謹慎なお話ですが、少しでも共感していただける部分、楽しんでいただける場面があれば嬉しいです。 これは著者・渡辺優のことば。

★ 第39回 すばる文学賞受賞!黒名ひろみ「温泉妖精」
 際立つ存在感、エネルギーが輝く、注目のデビュー作!美容整形を重ねる27歳の絵里。出かけた温泉宿で、嫌味な中年男性客と出会い、驚きの入浴体験を!

 27年どん底の女は、小さな温泉で40数年どん底の男と出会う。裸になることで初めて気づいた自分と、そして他人の心、嫌な奴を好きになるきっかけになれば幸いです。これは著者・黒名ひろみ の言葉。

 妖精になるためには、嫌いな物を食べ、嫌いな服を着て、嫌いな男と、、。あゝ私は妖精より悪女の方がいい。魅力的な魔女になりたくなってきた。下呂温泉へ行こうかなあ。

                          2月21日  松井多絵子
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「クロアチア」を食べる

2016-02-20 14:32:55 | 歌う

               「クロアチア」 を食べる

 先週の今頃わたしは「クロアチア」を食べ終わったところだった。9年前に旅したクロアチアの想い出がわたしから離れていかないように、日本で唯一のクロアチア料理店での昼食、地下鉄京橋駅に近い、レストラン「DOBURO(ドブロ)、魚貝入りの野菜サラダ、ビーフシチュウ、、マカロニ入りチョコケーキ、珈琲。 店を出ると空はアドリア海のよう広がっていた。

                熱きうた声   松井多絵子

      アーモンドの花が私を眠らせぬ車窓に花の歓声つづく

      テトラポットのなき海岸のこの道は途切れることなく続いてほしい

      一筋の日本への道が続いてる体のなかに日本への道が

      見下ろせば赤きレンガの家々はアドリア海へ段となりゆく

      カタりーナ、カタりーナと呼ぶ青年の声が聞える熱き歌声

      はだか木の道に新樹の柳あり「サラエボへ5キロ」の標識があり

      子供らの蹴りあう球が中世の聖堂に当たり我に飛び来る

      聖堂の絵ガラスのようにその羽を孔雀はわたしに開いてくれた

                                                 

                     2月20日   松井多絵子


還暦の「週刊新潮」

2016-02-19 09:42:29 | 歌う

              還暦の「週刊新潮」

 ✿ 花壺の白バラいつまで生きるのか、切られてもなお青春の肌  松井多絵子

 数え年で61歳が還暦。生まれた年の干支に還る、赤ちゃんに還るという意味で赤いものを贈る。赤は魔物を除ける色でもあるらしい。高齢化している今では、還暦はまだ中年ではないか。個人差もあるが老いへの入り口は70歳あたりに思える。でも60歳で定年退職が多いのはまだ7分咲きの花を切り捨てるような、、。である。。芸能界では西条秀樹、田中裕子、桂小枝などなど活躍している。元プロ野球選手の江川卓が還暦と知り驚く。

 新聞広告朝刊の 「創刊60周年記念特大号・週刊新潮」2月25日号の広告が目立つ。何かと批判されながら60年も、毎週発行し続けてきたのだ。記事は誇張されても、人間の生きざまが速く鮮明に読者に伝わるからだろう。特集44ページの中で次の特集が気になる。

             ◆ 「還暦・週刊新潮」への祝辞と愚痴

     みのもんた    「成仏したか?」ってタイトルを付けられた

     橋本大二郎   「知事公邸の呼び鈴がいつ鳴るかと身構えた

     猪瀬直樹     借金返済のタイミングを狂わされた。

     中村メイコ     結婚披露宴を「誰も待ってやしねえよ」と。

     江上 剛      多くの人に「毒」を吹きかけている

     黒沢年雄     「黒い報告書」が大好きだ。

 

 週刊新潮さま  御誌を拝読するのはほとんど歯科医院の待合室です。スミマセン。

                       2月19日   松井多絵子