えくぼ

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高野公彦のトンボ

2015-03-27 09:25:54 | 歌う

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 朝日歌壇選者の高野公彦が短歌を始めたのは、朝日歌壇への投稿からだそうである。

★ 夏真昼木をひきつくししんしんと丸のこぎりは回りけるかも  高野公彦
                                          (昭和38・8・4)

 はじめて投稿したこの歌が五島美代子選の入選となり、賞品として葉書五枚が送られてきた。私もそうだった。はじめての歌が入選、葉書は10枚だった。しかし高野は宮柊二にも次々に選ばれたらしい、20代でのスタート。結社「コスモス」に入り本格的に短歌を。

 高野は文学少年だったわけではない。工業高校機械科を卒業し、横浜の日産自動車に入社し、エンジンの改良・開発の部門で働いた。仕事は面白かったが、巨大企業の一員であることに不満だったようだ。入社一年余で退職し、大学受験勉強。そして翌年合格した。

 昭和37年、大学の国文科の学生になり、石川啄木の『一握の砂』に刺激を受け、歌を作りはじめた。当時の若者は小説や詩に興味を持つ者が多かった。私も若いころは短歌より詩の方が好き。短歌をはじめたのが高野より30年も遅かった。

 角川『短歌』の4月号巻頭エッセイは高野公彦の 「小さなトンボ」

 ★ 歌といふ小さなトンボ追ひかけて六十九となりにけるかな  高野公彦

 この歌は平成23年の作で 歌集『流木』に収められている。 「歌はトンボのようなもの」だと高野公彦。心の中の虚空を、翅をキラキラ光らせながら、音もなく、右に左に、高く低く飛翔している感情の断片、いわばそれがトンボである。捕まえようとしても、なかなか捕まらない。でも追いかけるのが楽しくて、こんなに長く歌を作り続けてきた。捕まえても小さなトンボでしかないけれど、」と。 トンボを「蜻蛉」と詠む歌人が多いが私はトンボの方が好きだ。

     この夏は私もトンボを追いかけます。ゆっくり飛んでね。トンボたちよ。

                            3月27日  松井多絵子