「松平盟子さん大いに語る~その①」
歌友だちの老女が3人寄れば「若い子の歌はわからない」である。若い子たちも3人寄れば「老人の歌はつまらない」かもしれない。昨日、10月尽日、中野サンプラザで、歌人クラブの会の講演「心に響く短歌とは」があり講師は松平盟子さん。今まさに歌人たちが直面している世代のギャップがテーマであった。
私たち老人には若い世代の歌は総じて軽くおもえる。言葉遊びが多すぎないか。散文的で調べが悪くないか。歌というよりメールのような感じがする。切実さが伝わってこない。しかし若い世代の歌がわからないのは、「短歌の読み」が外れていることも原因ではないかと松平さんは指摘。たとえば次のような作品について考えてみよう。
❤うつむいて並。とつぶやいた男は激しい素顔となつた (斉藤斉藤)
「並」をわたしは「列」かと思い、この歌はわからなかった。が牛丼の「並」らしい。「並」を注文してボクも並の人間だとあらためて気づく。「上」も「特上」もあるのに「並」で満足する自分を怒り「激しい素顔となった」。松平さんの説明でこの歌は切実になる。私だって「並」だと共感する。
❤たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく (山田 航)
定年退職して年金で暮らしている親のほうが収入が多いという話を度々耳にする。「働けど働けど」収入は少ない若者たち。啄木とおなじではないか。ペットボトルの水はなるほど安い。
老人たちの歌は説明しすぎて詩情が乏しくなりがちかもしれない。若者たちは説明不足で、老人たちに気持ちが通じない、双方の世代が歩み寄ればお互いに共感できるのだ。
松平盟子さんは23歳で角川賞を受賞。「帆を張る父のように」はとても話題になったらしいが私はその頃は短歌に興味がなかった。わたしが短歌をはじめたときは女流歌人として眩しい方だった。昨日お会いしたときも変わりなくお若く、すっきりした講演だった。
10月1日 この続きはまた書きます。次回もどうぞよろしく。 松井多絵子
「並」を私は「列」かとおもったのでこの歌はわからなかった。が牛丼の「並」らしい。「並」を注文してボクも並の人間だとあらためておもう。「上」も「特上」もあるのに「並」で満足するなんて憐れじゃないかと自分を怒る。松平さんの解説でこの歌は切実な1首になる。私だってと共感する。
❤たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してしてゆく (山田 航)