ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

The Joy Of Flying Ⅱ

2007-10-10 04:58:41 | Weblog
オールスターキャストで、多額の制作費をかけたこのアルバムが、うまくいかなかったのは、完全に音楽的な内容が原因だ。それも音楽的レベルが低いということではない。内容に統一性がないというアルバム全体としての評価が低いからだ。そう言われてみるとその通りだ。でも批判するのは簡単、もう聞きたくないといって無視するのも簡単だけど、このアルバムは'60年代から'70年代にかけてジャズの世界の最先端で活躍していたミュージシャンがいかに音楽ビジネスに振り回され、才能をすり減らしているかがよくわかるアルバムでもあるんだ。トニーは早熟だった。18歳からジャズ界のトップクラスの中でプレイしていた。それからの数年の間のジャズの混乱ぶりはすさまじかった。若い時、特に20代前半まではだれでも頭も柔軟で感受性も強い。天才ならなおさらだ。トニーは最先端にいて、その価値観の変化を受け入れた。マイルスはトニーの才能にほれ込んでいて'65年以降のマイルスバンドはトニーがディレクターのような役割で成り立っていた。そして大成功した。でも世の中の動きに敏感なマイルスは徐々に音楽の好みが変わっていった。当然メンバーも影響を受ける。そしてリーダーは適当な時期が来るとメンバーを代える。ハービーもウェインも影響を受けつつ独自の道を歩みはじめた。トニーもライフタイムで新しいサウンドに挑戦し始めた。彼にとっては何も急激な変化ではない。でも世間はついては来ない。その後、バンドを解散したトニーのまわりにあったのは、ウェザーリポートでありハービーのブラックファンクであり、マハヴィシュヌオーケストラだった。それすらもすぐ吸収した。天才なんだ。自分の中にある音楽、いいと感じる音楽をやってみた。でも世間の反応はにぶく、特に業界には受け入れてもらえなかった。そういうことなんだ。ミュージシャンは違う。トニーのファンがいっぱいいる。特にドラマーという同業者には狂信的なひとも・・・。トニーウィリアムスはすごいスピードでジャズ界を駆け抜け、そして、あっと言う間に去っていってしまった。このアルバムはコンピレーションアルバムだと思えばいい。変な言い方だけどすごく無邪気なアルバムなんだ。

The Joy Of Flying

2007-10-09 03:51:55 | Weblog
'78年の暮れにリリースされたトニーウィリアムスのアルバムだ。発売当初はあちこちでよくかかっていた。豪華なジャケットでミュージシャンもオールスターだ。いかにも金がかかっている。でもこの作品は完全にスベッた。あまりにも評判が悪かった。だめだといっている人の言い分は分かる。内容がばらばらだし中途半端でジャズ好きの人にもフュージョンファンにも敬遠されてしまった。おまけにアルバムの最後の曲はセシルテイラーとのデュオだ。トニーのことを知らないひとにとってはなんのことやらさっぱり分からないだろう。でも、でもボクは好きなんだ。アルバム全体の出来や、まして売れ行きなんてどうでもいい。ボクはトニーウィリアムスが好きなんだ。一曲目のイントロでトニーのドラムが聞こえてきただけで、それだけでいい。このアルバムはある意味天才トニーウィリアムスの歴史だ。トニーは間違いなく歴史に残るスーパードラマーだ。でも並んで出てくるほかのドラマーの名前、アートブレイキー、エルヴィンジョーンズ、フィリージョージョーンズ、みんなトニーとはだいぶ年代が違う。トニーは彼らの子供のような世代だ。トニーは18歳でマイルスバンドに入りあっと言う間にスターになった。その後ライフタイムを作り解散し、サイドメンとして最高級の扱いを受けながら、この頃生活していた。このアルバムも最高の人脈を駆使して、作っている。曲もアレンジもいい。ヤンハマーやハービーもいい。でもアルバムを作るというのはまた別の要素が要るということだ。それだけのことだと思う。アマゾンで検索してみてもこのアルバムは在庫切れだ。もう世界にほとんど存在しないのかもしれない。このアルバムで失敗したことで業界内でリーダーとしてのトニーウィリアムスは長い間冷遇された。非情な世界だ。マイルスはこの頃、トニーには今音楽的ディレクションがないと言っていた。たしかにそうかもしれない。音楽には確かな方向性が要る。でもそれは天才トニーはよく分かっていることだ。ごった煮のようなこのアルバムの音楽の中からそれを感じ取るのは至難の業かもしれない。でもボクは許してあげたい。トニーだけじゃない。どんなミュージシャンも長い間にはいろんなものに興味を持つしいろんな音楽をやらざるをえない。ちょっと長くなったからまたにします。

Songs Ⅱ

2007-10-06 03:52:22 | Weblog
芸術には果たして世の中の価値観を変えるようなパワーがあるのか?まあこれは一般論だからかなり抽象的な疑問かもしれない。でも音楽に関わってずっと生きてきたから、こういう疑問は常に頭にあった。過去には芸術が世の中を引っ張っていく、みたいなキャッチコピーは何度も目にしたし、そう考えている人もいるかもしれない。ボクは分からない。まあどちらかと言えば否定的だ。芸術の立場はそんなに強くないと思っている。逆に世の中の価値観に引きずられて芸術が形を変えてしまうことはよくある。というか、ずっと世の中に振り回され続けている。数百年前にヨーロッパで生まれた都市型の音楽、いわゆるクラシック音楽は時代の変化に呼応して変わり続けた。それは人類のここ数百年の歴史、侵略と破壊と戦争を象徴している。その響きはまるでその犯した罪の許しを神に乞うているようだ。ジャズもその延長線上にある。舞台がアメリカに移っただけだ。20世紀のアメリカは経済が最重要な位置を占めていた。音楽もその影響をもろに受けた。価値観が一色になってしまった。数百年前と違って情報伝達も早いからその分変化も早い。ジャズの方法論が確立されたかなと思ったら、もう次の段階に移り、新しいサウンドが出てきたなあと思ったらすぐみんな飽きてしまう。そして絶頂期と思われる時期はあっという間に過ぎ去った。絶頂期は衰退期の始まりだ。それが何時だったとははっきり言えないけどすでに数十年前であることは確かだ。芸術の創成期は本当に混乱しているけどその分突出した人たちが出て来る。そして芸術が成熟するとなぜかパワーがなくなってくる。これは才能のある人材がいないんじゃない。人間社会の宿命だ。ブラッドメルドーは天才だ。でもモンクやエヴァンスと比べたりは出来ない。時代が違いすぎる。ジャズはどうやって生き延びていくんだろうか?これは「世の中」に聞かないとわからない。

Songs

2007-10-02 23:54:45 | Weblog
ブラッドメルドーのトリオ作品、Volume3だ。メルドーのピアノはもちろんサイドメンの技術や録音状態、選曲も一流。完成されたジャズアルバムだ。「アルバム」という考え方は多分LP時代に定着してきたんだろうけど、与えられた1時間弱の時間の中に自分の音楽をなんらかの形で表現するというのは、リーダーにとっては大変なことではあるけど、やりがいのあることでもある。LP以前の時代は時間が短いからレコーディングの意味合いも多少違っていた。そしてCD時代になって今度は長くなりすぎた。リスナーはアルバムを通して聞くのではなく、一曲づつ取り出して聞くからだと業界の人は言う。だから曲数も多くなりがちだし、一枚の中にいろんなものを詰め込まざるをえなくなった。特にポップなボーカルアルバムの制作は大変だ。録音もその前後の作業もものすごい手間と費用がかかるようになった。それにここ数年はCDという現物なしに一曲づつ売るという手段も念頭にいれなければいけなくなった。その点ジャズアルバムは今や一枚を通して音楽を楽しむ、そしてそれを念頭に制作できるという一種の聖域だ。メルドーの作品はそういう時代の流れをうまく利用して彼の音楽を世界中に配信している。もちろんそれには厳しい観賞に耐えうる音楽のレベルの高さが不可欠だけど・・・。まあでも業界全体から見たらジャズアルバムの売り上げというのはほんの数パーセントだ。だからメルドーのような立場でアルバムを作れる人というのはほんとに限られた人材だ。それでいいのかもしれない。ジャズという音楽の音楽業界全体の中での役割も世代によって感じ方が全然違う。多分これからも変わっていくんだろう。でもあんまり早いスピードで変わられてもなあ・・・。ついていけない。