ここからは私の推測になりますが…京都は過去一千年以上に亘り王城の地でありました。
その自負と 幾度も征服者の軍馬に踏みにじられた経験から得た不屈な心構え
これ等が合わさって実に紆余曲折な京都人が出来上がったのです。
自負とはこうです。
「今ちょっと天子様は東京の方へ行っていやはる…」
どうですか(笑)
訊いていると、何だか錯覚してしまいますね。
まるで旅行かなんかで京都から離れているような言い回しでしょ(笑)
不屈な心構え…これはなかなか説明するのは難しいのですが、
過去に幾度も軍馬が京に入りました。
源 義仲 源 義経
新田 義貞 足利 尊氏 北条 一族(承久の乱)応仁の乱、織田 信長 三好 一族 徳川 家康 新撰組…
他にもいっぱいあります。
これら軍勢が京に入って京の町人は一切抵抗せず受け流してきました。
正しくは黙して構わず…が正しいかもしれませんが。
ただじっと伏せて軍勢が通りすぎるのを待っていたのです。
そして歴史の紐を開くまでもなく何れの軍勢も長居することなく去っていきました。
戰火に焼かれ、軍兵に略奪を受けて…
たぶんそこから彼らが得た智恵は
稼げる時に稼いでおく…
だったのでしょう。
シーズンの時期に宿泊代や飲食代、諸々の料金が上がるのはそんなところにあるのでしょうね。
現在は京…つまり都のあった時代から京都にかわってきました。
京都市ですが、
京の人に言わせると、京都市とほんま(都)の京は違うと言います。
何が…?
定義、範囲が違うのです。
京都市は周辺を合併して出来た新しい街やと。
従来のほんとの京の街は今の北大路から南
東山通りから西、
九条通りから北、 西大路通りから東の区域になりますが、
それ以外は違うというのです。
伏見区や西京区、南区、北区、山科区などは京ではない、というのです。
これが自負であり意地っ張りなところなのです。
実際昔の京の時代の地図と合わすとなるほどとうなずけるのですね
その自負と 幾度も征服者の軍馬に踏みにじられた経験から得た不屈な心構え
これ等が合わさって実に紆余曲折な京都人が出来上がったのです。
自負とはこうです。
「今ちょっと天子様は東京の方へ行っていやはる…」
どうですか(笑)
訊いていると、何だか錯覚してしまいますね。
まるで旅行かなんかで京都から離れているような言い回しでしょ(笑)
不屈な心構え…これはなかなか説明するのは難しいのですが、
過去に幾度も軍馬が京に入りました。
源 義仲 源 義経
新田 義貞 足利 尊氏 北条 一族(承久の乱)応仁の乱、織田 信長 三好 一族 徳川 家康 新撰組…
他にもいっぱいあります。
これら軍勢が京に入って京の町人は一切抵抗せず受け流してきました。
正しくは黙して構わず…が正しいかもしれませんが。
ただじっと伏せて軍勢が通りすぎるのを待っていたのです。
そして歴史の紐を開くまでもなく何れの軍勢も長居することなく去っていきました。
戰火に焼かれ、軍兵に略奪を受けて…
たぶんそこから彼らが得た智恵は
稼げる時に稼いでおく…
だったのでしょう。
シーズンの時期に宿泊代や飲食代、諸々の料金が上がるのはそんなところにあるのでしょうね。
現在は京…つまり都のあった時代から京都にかわってきました。
京都市ですが、
京の人に言わせると、京都市とほんま(都)の京は違うと言います。
何が…?
定義、範囲が違うのです。
京都市は周辺を合併して出来た新しい街やと。
従来のほんとの京の街は今の北大路から南
東山通りから西、
九条通りから北、 西大路通りから東の区域になりますが、
それ以外は違うというのです。
伏見区や西京区、南区、北区、山科区などは京ではない、というのです。
これが自負であり意地っ張りなところなのです。
実際昔の京の時代の地図と合わすとなるほどとうなずけるのですね