寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

幸運の女神様(五)

2010年08月31日 07時36分32秒 | 日記
彼女から一方的に婚約を拒絶された鬼塚課長は絶望の淵に立たされました。
思えば大阪への転勤を話した時彼女は反対をしました。『反対…と言われても困るよね』鬼塚課長は『関西で新規開拓が成功したから課長に昇進したんだよ』と説明しますが、
『それと大阪に住むのは関係ないでしょ』とむくれます。
『大阪には来てくれないのか?』
『あのようなところ嫌ですよ』
『嫌って…』開いた口がふさがりません。
『君大阪行った事あるのか?』
『ありませんけど知っていますわ』 『何を知っているんだ!それより一体君は俺の事どう思っているんだよ』たまりかねて鬼塚課長は怒鳴ってしまいたした。
彼女も負けてはいません。
『大阪なんてガラが悪いし言葉も変でしょ!それに第一遠いじゃあないですか』
『…』なんちゅう奴だ!
子供みたいな駄々をこねて…
実際彼女には幼稚と言うかよく言えば無邪気なところがありました。
純度が高いのでしょう(笑)
話し合いはいつもこんな感じで空回りばかりでした。 『鬼塚君はずっとここに(東京)にいるから私結婚しょうと思ったのよ!』この言葉にはさすがの鬼塚課長もあんぐりでした(笑)
『君は東京にいたら誰でも良かったのか!』『そんな事言ってません。誰でもって非道いわ』…彼女は泣き出しました。
こりゃあだめだ! 鬼塚課長は女の涙に弱いのです(笑) 話し合いは堂々巡りのまま鬼塚課長は大阪に赴任しました。
たまに電話を掛けるのですが電話だと妙に彼女はご機嫌でした。
興味を誘うような大阪の面白い話をすると彼女はとても嬉しそうに聞きます。
それじゃこっちに来るかい!と誘うと拒否です(笑) そんな電話だけのやり取りでしたが さすがに若い鬼塚課長には堪りませんでした。
いつしか大阪に新しい彼女が出来たのでした。
小柄でハキハキした浪花っ子でした。つまり東京の彼女とは正反対のタイプでした。
鬼塚課長はその彼女に惹かれてしまい東京に電話をするのが疎遠となっていきました。
(まぁよくある話ですが…)
そして若い鬼塚課長は益々大阪の彼女に倒傾していき遂に彼女と同棲しました。
『鬼塚課長大丈夫ですか?』見兼ねた高辻主任が声を掛けました。
『大丈夫って何が?』飲み屋のカウンタ席で二人はよく飲みました。
『東京の彼女ですよ(笑)』彼女は高辻主任も紹介されて知っていたのでした。
『あんな辛気臭い女なんかもういいよ!』強がりにも聞こえますが実際鬼塚課長の意地っ張りの性格は高辻主任はよく知っていました。
『もういいんだよ…』
口ではボロクソ言っていますが視線は遠くを見つめていました。
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幸運の女神様(四)

2010年08月30日 10時18分12秒 | 日記
今と違って交通機関がそう発達していなかった時代です。東京と大阪を八時間で結んでいた特急つばめは新幹線にかわりました。それでも当時は四時間ほどかかりました。一般的庶民にはまだまだ遠い関西でした。 関東出身の鬼塚課長でも仕事で数回行った程度でしたから、彼女~つまり今の鬼塚夫人でありますがやはり東京下町でしたから関西と言いますと、そう今の感覚なら南米に行くようなものだったのでしょうね(笑)
下町とはいえ裕福な家庭に育った彼女には大阪はおろか静岡でさえ異国の地と感じるのですから土台無理な話でした。
なぜ遠隔の土地にこだわるのか…
鬼塚課長には分かりませんが、結婚の日取りまで約束していたのが、突然中止と宣告を受けたショックは計り知れないものがありました。
鬼塚課長と彼女は同じW大の同級生です。付き合った期間が長いだけに余計応えた様子でした。
彼女にフラれた鬼塚課長は傷心を抱えたまま独り大阪へと赴任しました。
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明日日曜日はお休みをいただきます

2010年08月28日 11時18分12秒 | 日記
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幸運の女神様(三)

2010年08月28日 11時16分36秒 | 日記
翌日二人は酒場で話し合った関西進出のアイデアを上司に提言しました。当時上司は川中課長(現相談役)です。
『課長関西に行かせて下さい』
『関西?万博でも見に行くのかね』 今から五年ほど前でした。万国博覧会が行われて盛況のうちに幕を閉じました。それをきっかけに大阪では建設ラッシュになりました。
建設業界は裾野が広くて瞬く間に関西一円は好景気に沸きました。それが今年第一次石油危機が襲うと好景気の反動もあって未曾有の大不景気に陥ってしまいました。
だから川中課長は見物するのか!と 皮肉ったのでした。
『いえ!この不況は必ず回復します』
『そうかなぁ』
『不況の今こそアタックするチャンスですよ』
鬼塚君は食い下がります。
『関西のどこに行くんだよ…』『M電器です!Mは大手です。売り上げ規模は関東のメーカーより上です』 確かにM電器は我々の目的とするエレクトロニクスを扱っている大手には違いないけどー 川中課長は思いました。
『…で何かコネでもあるのかね?』 東京に本拠を持っているうちですら同じ関東にある電器メーカーは見向きもしません。
コネか紹介がなければ門前払いです。銀行の仲介を持ってしてもお情け程度の取引にしかなりません。
それが業界で無名 に近い関東系の新興会社と取引をしてくれるとはとても考えられませんでした。
『課長M電器はこっちのメーカーと違って来る者拒まずの方針らしいです』鬼塚君は高辻君から受けた情報を披露しました。 『…それにMは意外と関東にたくさん工場を持っていますからウチみたいな関東系のメーカーを欲しがっているはずです!』『うーん』はったりも交ぜた交渉に川中課長も考え込みました。
『関西か…』 まぁ失敗したってゼロはゼロだしなぁ。『よし、じゃあやって見れば…』
最終川中課長の一言で決まりました。翌週鬼塚君は高辻君と連立って関西へと旅立ちました。この出張は大当たりでした。まずM電器と取引をがはじまり、これをきっかけに関西のCやSとも取り引きができました。
これが元で売り上げがグングン伸びて新規事業部は息を吹き返しました。
当然担当の鬼塚君や高辻君の評価はうなぎ登りでした。二人は昇進と合わせて関西へと転勤となります。
鬼塚新課長と高辻新主任は意気揚々と大阪に入りました。 (当時関西の営業所は大阪にありましたから… )ところが好事魔多し!
絶好調の鬼塚課長に大問題が発生したのです~
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幸運の女神様(二)

2010年08月27日 08時40分47秒 | 日記
新宿のうらぶれた飲み屋街。新規の仕事はうまく行かず腐っていた鬼塚君を見つけた高辻君は『ハハ~ん』こりゃあさぼってるわいと気が付きました。
普段は暴れん坊のイメージからは想像できない静かな雰囲気でした。
高辻君が声を掛けると鬼塚君はびっくりした顔をしました。
確か見た顔だけど…戸惑う鬼塚君に 『高辻ですが毎日暑いですね』と声を掛けました。
『高辻…あぁ高辻君か』名前は聞いた事があるが初めてみたいなものでした。
『鬼塚です。一緒に飲みましょう♪』屈託のない笑顔で高辻君を見上げました。
『ええ一杯やりましょう♪』
それから二人は狭いカウンタ席で酒を飲み始めました。サラリーマンですから会社のこと上司のこと全て悪口ばかりです(笑) それが尽きるとお互いの身上について話始めました。 意気投合したのでしょう二人はそれから河岸を変えながら遅くまで飲み歩きました。
会社では暴れん坊の異名を取る鬼塚君はお山の大将が似合う、しかし気配りの利く青年でした。一方の高辻君は冷静で客観的な分析力を持った秀才肌でした。
話す度にお互いに持っていない部分が分かって来ます。むろん意見の衝突もありました。しかし根底の考え方は不思議と一致するのでした。
要するに馬が合うって奴ですな!それから二人は度々酒を飲み交わしました。 ある夜新規事業部の行く末について話が出た時でした。事業部の業績はさっぱり上がらず年内にも閉鎖か!と噂がありました。
『高辻君どうする?』浮かぬ顔の鬼塚君は水割りの氷で遊びながら頬杖をついては溜め息を吐いていました。『どうするって…』
ここが閉鎖になれば元の職場に復帰となります。或いは別の職場に移る場合もあります。 しかしどっちにしても余分な人員として肩身の狭い境遇です。
高辻君にもどうしていいのかわかりませんでした。
『俺さぁ…』関東生まれの鬼塚君は実家は割りと裕福な家庭でした。
『実家で駐車場でもやろうかなとおもってんだ…』もろ埼玉弁です(笑) この男に出来るのかね~高辻君はまじまじと顔をみました。
それに気がついたのか鬼塚君は『うそだよ~うそ!』 大きな手を振って笑いました。
つられて高辻君も笑いながら『柄じゃあないよね』
確かに新規事業部は行き詰まっていました。
ただ突破口はありました。
電機メーカー大手のM電器でした。事業部は所在が東京である都合でどうしても関東系の電機メーカーを主体の営業でした。 横のつながりや以前からの取引を重視するメーカーに新参の会社は敷居が高くて中々取引まで行きません。 その点関西系のM電器は関東と遜色ない売り上げ規模を誇り取引先に対しても開放的な社風でした。
『これしかないなぁ』以前から考えていたM電器の話を鬼塚君に話しました。うん!うん!頷きながら鬼塚君は舌を巻きました。『M電器か…』なるほどこの男の言うとおり一理あると思いました。鬼塚君は埼玉出身大学は東京でしたから、関西は全くの盲点でした…
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