寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

人間違い !

2023年11月29日 06時54分28秒 | 笑い

 おはようございます。

四五日前でしたか、ちょっと可笑しい話が新聞に載っていました。

東海テレビがある犯罪者‥死体遺棄の容疑者を別人の写真でテレビに映してしました。

全国放送の地方放送や様々なニュースでその別の人がテレビに出たのですから、本人はもとより

家族や知人友人など知ってる人はびっくりしたことでしょう。

結局本人から 写真が違う旨 抗議をしたところ調べ直した放送局が写真を誤って映してしまった、と

本人に謝罪をして、放映したテレビでは即座に訂正を行い 自社のホームページでも訂正とお詫び文

を載せたそうです。事件が凶悪なだけに 間違って写された本人の心中は如何なものだったでしょうか。

 まぁ これだけの事件なので単なる間違いだとわかるでしょうから 今年の厄落とし としてご笑納下さいな。

‥とこれは私の意見感想です^^

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晩秋のグチ・・

2023年11月23日 16時25分47秒 | 笑い

 おはようございます。

京からしばらく冬の季節になりそうです。

・・と書きましたが日付は既に十一月の二十四日。冬のどうのこうのと今更言うのもおかしい話しですが

昨日までがあまりに暖かかったので つい冬が来たのか、と思った次第です。天気予報によりますと

その寒気が去るとまた暖かい空気が入り込んで どうのこうのと日本列島の地図でくどくどと説明をしていました。

 私は 最近歳の所為か気が短くなってきて こんな説明よりも一体どうなるんだ、そこのところを知りたいワイ。

まさかテレビの前で力こぶ入れて凄んでも仕方ありませんし、それはよくわかってるつもりですが イライラしてしまいます。

そんな話しを愚痴っぽく喋っていますと 幼なじみが 「そりゃぁ お歳やから仕方ないよ。老い先短いと心の中で分かってるから

テレビのちまちました話なんか聞いていられんのよ」と笑っています。「おお、余裕やね」と冷やかしてやると

「そうそう世の中って思い通りにならないと見切りをつけなきゃぁ」と分かった顔をしながら そんな話しはもう済んでますよ、

と余裕を見せます。

こいつとは同じ歳なので 話しが合うのですが時々背伸びをした風なところがあってライバルじゃぁないけど競うようなところがあって

 大した話でないし素直に同調してくれないかなぁ‥と腹が立ちます。

まぁ十一月は 四季では秋ですね。それも一週間ほどで十二月ですからいわゆる晩秋ですよね。

陽の暮れるのは早いし寒くなってきますし この歳になっても心細いものです。

ですから私はよく似た年ごろの悩める人には親切に話を聞くことを心がけています。ホントですよ^^

 

 

 

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最後の将軍

2023年11月22日 07時46分17秒 | 笑い

  おはようございます。

 今日は、徳川幕府 最後の将軍、徳川慶喜公の亡くなった日です。

若い頃から 聡明さをかわれて いずれは将軍の地位にと当時の将軍、幕閣から嘱望されていました。

ですが世継ぎの派閥争いに負けて一旦は政権の嫁を閉ざされましたが、大老井伊直弼の失脚で二度 脚光を浴びる地位に

上りましたが、時既に遅し大勢の波に呑まれて一年ほどの将軍職を以って引退となりました。

詳細は次の資料をご覧下さい。

将軍職を降りた後は、静岡で余生を過ごし一夫多妻(側室三人)の中で十人の子どもを作りました。

 引退後は鷹狩囲碁投網鵜飼、謡曲小鼓洋画刺繍将棋などを興じて釣りもしばしばした。

特に熱中したのは銃猟と鷹狩と投網で、慶喜の狩猟の範囲は近村から安倍川尻までの広範囲に及び、

静岡ではまだ珍しかった人力車に乗って清水湊まで行き投網を楽しんだ

鳥を追って畑の作物の上を縦横無尽に走り回るので農家から苦情が出たこともあったが、動じない慶喜は

「ア さよか では全部買い取ってやったらよかろう」と答えたという

 

◎履歴  歴史上最後征夷大将軍であり、江戸幕府歴代将軍の中で在職中に江戸城に入城しなかった唯一の将軍でもある。

慶応3年(1867年)に大政奉還を行ったが、直後の王政復古の大号令に反発して慶応4年(1868年)に鳥羽伏見の戦い

起こすも惨敗して江戸に逃亡した後、東征軍に降伏して謹慎。後事を託した勝海舟が東征軍参謀西郷隆盛と会談して

江戸城開城を行なった。維新後は宗家を継いだ徳川家達公爵の戸籍に入っている無爵華族として静岡県、ついで東京府

暮らしていたが、明治35年(1902年)に宗家から独立して徳川慶喜家を起こし、宗家と別に公爵に叙されたことで

貴族院公爵議員に列した。明治43年(1910年)に息子慶久に公爵位を譲って隠居した後、

大正2年(1913年11月22日に76歳で死去。【資料参照】

この資料をみますと 頭脳明晰だった人が将軍職を解かれ三十過ぎの若さで隠居 趣味にうつつを抜かす余生を過ごすのですが 

内心はどうだったのでしょうか。

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久しぶり、上阪しました。

2023年11月19日 14時51分14秒 | 笑い

おはようございます。

 一昨日 久々に大阪に行きました。

昔 会社員の時に 九州のお得意先が「来週、上阪しますので途中御社にも伺いたいのですが‥」

と連絡をもらいました。 じょうはん‥一瞬何のことかわからなかったのですが、大阪に来るの

だと分かったのは話の中でした。当時は上京という言葉も常用として使われていました。

 そして大阪も上るになるんだなぁと後から思いましたが、私の会社の繊維の業界では大阪が

中心でありやっぱり大都会でありましたので地方の人は当たり前に使っていたようです。

 話しが逸れましたが、その大阪に行ったのは桜木紫乃さんの講演を聴くためでした。

桜木紫乃さん(作家 直木賞受賞)「わたくし58歳です」と自身で公言されるほど活発で軽妙な話しぶり。

 小説家ってもっと神経質でこましゃっくれているのだろうと勝手な推測でした。

実はこの講演は 新聞の広告から応募したらたまたま当たったというだけでファンでもないし

本も読んだことすらなかったのです。

それが講演が当たったのも何かの縁かと思って そうだ、ついでに阪神の優勝グッズでも買おうかなと

,

それから もうひとつ‥若き日の想い出は‥とまぁ出不精な私はそれなりの理由がないと中々重い腰が上がらないのです。

 講演は午後の二時からだったので早めに行ってグッズ‥車のキーに付けるホルダーを買おうかなと軽い気持ちで

上阪の途につきました。といいましても私の家も大阪と同じ近畿です。JRびわこ線に乗れば一時間^^

これが 江戸時代なら三泊四日の旅になるでしょうが、時速130キロの快速電車ですから途中、弥次さん喜多さんを

追い越して見る見るうちに大阪駅に着きました。

 大阪駅のななめ前にある阪神百貨店、日本シリーズは11月5日に終わってます。

それからもう二週間も経ってるから ひょっとしてセールは終わってないかな と懸念してました。

 それが阪神百貨店まで来ると まぁ、と呆れるほどの行列です。歩道に長い行列がふたつ。

頑丈な警備員が 整理券はこっちです。と声をからして旗を振っていました。

よくある道路工事の誘導と同じ手順。私は誘われるようにそちらの行列の「ここが最後尾です」の看板の後ろに

大人しく並びました。あとからも人がどんどん並んで来てこの行列の先頭なんか見えません。

 こんなことならもう少し早めに出てきたらよかったなぁと少し後悔をしながらいると

「この列の方の整理券は午後二時二十分からのご案内になります」と どこからかマイクの声がしました。

 ん‥この列‥? このって ここか! 優勝セールの人気はとどまる事がなく 多分グッズだけが続行中のようで

売り場のスペースと買い物客のごった返しから これくらいずつ と切って売り場へと誘導するのが 私の行列が午後二時二十分。

この様子を想像してもらうには お正月の大きな神社の初詣を思い出してもらったらいいいと思います。

ここでも「お客様は神様です」をゴールのテープで区切るんですかね。

まぁ 私の場合、講演が二時からでしたので この行列は 直ちに放棄。

大阪駅に戻りながら 振り向くと私が並んでいた辺りには もう人の波でぎっしり。

やれやれ‥と首を振りながら ふぅ ひと息、そうか土曜日だったんだ、どうりで‥

自身を得心させながら 三つ目の目標の若い頃遊んだ阪急東通り商店街へと足を延ばしました。

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思い違いは誰でも有ります

2023年11月17日 09時23分07秒 | 笑い

  おはようございます。

朝晩は冷えて 日中は暖かいこんな毎日ですが、昨日人に出会って

この頃の気候の様子を喋っていたら、その人が やっぱり三寒四温ですねぇ と

おっしゃって 思わず・・つんのめってしまいました(失笑)。 

ですが、かく言う私も先日のクイズで ①早急を そうきゅうとして違いますよ と指摘されています。

シマッタ、と頭を搔いたのですが、覆水盆に返らず、人の振り見て我が振り直せ と習った

その通りでした。  ※ 早急 さっきゅうが正しいです。

 

 

 

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