寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

和風月名です。

2024年04月27日 07時58分12秒 | 笑い

 こんにちわ。

四月に入って猛烈な暑さがありました。ひょっとしてこのまま夏になるんじゃないかと思いましたが、

そのあとは晴れたり曇ったり長雨もありましたし気温も高低差があったり朝夕と日中との温度差が3度しかない

日もあったりと 四月は不安定な月になりました。その四月もあとわずかです。この先はゴールデンウイークに入っって

暦も五月にかけ替えないといけませんね。ところで和暦(和月名)で言いますと三月は、弥生、五月は皐月です。

皐月は五月と書いても さつきと読めるそうです。新人類の方はそうなんだ…と思うでしょうが私より先輩の方々には

むしろ 皐月よりも 五月(さつき)の方が馴染みがあるのじゃぁないでしょうか。

と言いますのに 歌手の五月みどりさんがいらっしゃいました。

 五月の晴れ渡る空のような笑顔の素敵な方ですが 当時、世の殿方は皆さん鼻の下を伸ばしていました(笑)

又、三月を和月名では弥生 と呼びますが この 弥生さん、あえて さんを付けるのは皆さんの周りにもいらっしゃったでしょう

○○弥生さん。この名前も一時流行りました。私の中学の時に、この弥生さんがいましてちょっと気になる人でした^^

 そして 月末になりましたが四月、これの和月名をご存じの方、いらっしゃいますか^^

恐らく希少ながらいらっしゃると思いますが、その様な方は十二か月の和暦を空で言える方でしょう。

その反対に 十二か月の中でもっとも有名な師走ですら知らない、人も多数…恐らく大多数でしょうが

それは気がない、興味がない、そこまで気が回らないなどの理由があるのでしょう。中には

和月名を訊いた聞き方が本人のプライドをいたく傷つけたのか、「そんなこと知って何か得するの」と言われたことがありました。

 確かに和月名を知ってるからと言って何があるの?知らなかって困った事なかったよ。と迫られても返す言葉もありません。

ですが和月名などは一般常識的なモノで日本語の美しさを伝える文化ではないでしょうか。

ですからそう邪険にならず少しは寛容な気持ちで受け入れたらどうかなと思います。

それで 話しが逸れましたが四月の和月名、これを 卯月(うずき)というそうです。

そうです…と無責任なことになりましたが、実際これを書く時に どうしても思い浮かばなっかったので暦をこそっと見たら 

ああ、そうそう…と思い出したのでした。

もう四月も終わりますが何をいまさらと言われそうですが卯月の謂(いわ)れです。

  【資料】卯月は「うづき・うつき」と読みます。卯月の意味や由来にはいくつか説があります。

   なかでも「卯の花が咲く月」が省略され「卯月」になったという説は有名です。

卯の花がなんであるかは皆さんのご見識にお任せさせて下さい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春はあけぼの・・

2024年04月21日 13時11分28秒 | 笑い

  こんにちわ

春はあけぼの ようよう白くなりゆく 山際すこし明かりて 紫立ちたる 雲のほそくたなびきたる

有名な徒然草の序章の第一節です。

古文が出てくるとつい 難しく思えますが 同じ日本人の書いた文だからわかるでしょう と気軽に読んで見たら

なるほど 簡単でした(笑)。春はあけぼの・・あけぼの 最近亡くなられた大相撲の元横綱の曙、この曙(あけぼの)とは

夜明け という意味のようです。ここさえ解れば あとは もう書いてある通り。

少しずつ白くなって山際も明るくなり雲が紫色に染まってたなびいている。とまぁ こんな感じですか。

私の解説がいまいちな人は、朝の四時ころ起きて外に出てまわりをずずっと眺めてみて下さい。

 要は春の夜が白々と明けてゆくところを模写した文章でした。

そして 作者の清少納言は この夜明けの情景が私は趣(おもむき)がある としています。

清少納言が済んでいたのは今から千年ほど前の平安時代でした。

この清少納言はそんなに偉くなかったようですが、それでも貴族の娘で皇室の中で妃さんらの話し相手として

働いていました。この頃光る君の紫式部と同じ時代にして 千年も前の事ですからはっきりしませんが

どうもお二人は 火花を散らすライバル関係にあったようですね。詳しく書くとややこしくなるので割愛しますが

お仕えする方同士、最高権力者の関白太政大臣の藤原道長とこちらは皇室の天皇や皇后さま。

当時は、権力の綱引きが多少残っていたようです。

ところでこの貴族、彼らは生産的な働くなどの労働は一切しません。じゃあ何をしていたのか?と思いますが

普段はその階級の仕事、主に下から上ってくる租税(穀物)の納品を管理したり、もめ事の仲裁や訴状の対応

など下に行くほど仕事が多かったようです。上にいけるのはいつの時代も同じで 今なら上級試験に受かった

人が高級官僚として 威張れますが、当時は血族の引きが一番で道長の子はいずれ大臣になるのが当然になっていました。

藤原氏の子(女の子)は次の天皇になれる皇太子と結婚して将来の天皇になるのでした。道長の三人の孫はすべて天皇になりましたから

そりゃぁ権力を我が物に出来ますよね。ですからこの時代の系図を見てますと、姪が自分の息子と結婚したり、

いとこ夫婦も普通にあるしややこしい限りでした。

ですから若くして夭折するのは当たり前。ちなみに道長はキジの刺身が大好物で宮中の料理人はいつでも出せるように

キジを飼っていたそうです。死因は空き木も同じの糖尿病が重くなって亡くなったのが有力な説ですね。

そんな貴族の暮らしでしたから 清少納言は外の景色を眺めて ああ春らしくなったなぁ・・とのんびりと思ったのでしょうね。

まぁそんな事でも考えていないとすることがなかったのでしょうか。庶民などは ああ夜明けはきれいだなぁ などと

のんびりしていたら 暮らしていけませんから早起きして畑や田んぼを耕して種を植えたり野菜を採ったり 機械も肥料も

ありませんからひたすら人力で励んだのでした。

なにか 社会の教科書調になりました(笑)

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜の次・・

2024年04月13日 10時20分40秒 | 笑い

 こんにちわ ^^

春の象徴の桜が満開です。この桜のあとには とチューリップ畑の可憐な花模様の写真がチラシに入っていて

綺麗だなぁと見惚れてしまいました。

入園料は無料、とわざわざ断わりを入れるのは どういう意味なんだろう^^

行ってみないと分かりませんが、写真を見るとかなりのチューリップが揃って咲いています・・

球根を植えるのも手間だろうし第一お金も掛かるだろう。

 植えたあとの肥料や水なんかをやったりとお世話は誰がするんだろう。

まさか自宅の庭いじりの延長で 畑一面にチューリップを咲かせているの・・それを誰かに見てもらいたい。

う~ん、庭いじりも趣味として独りで愉しむまではいいけど、それを他人(ひと)に見せたい となると

大変でしょう。

 もし、道端で栽培していたら 通りすがりの人が見て「きれいですね」一声かけていくでしょう。

それも少々花ごころがある人・・果たして通行する十人のうちに何人がそんな気持ちがあるかな。

それに、一声を掛けてもらうのにそのチューリップ畑にご本人が居ないと聞けません。

朝から陽の暮れるまで、最近陽が長くなったので これが一番厄介でしょうな。

・・とまぁ これは私のボン愚なる邪推であります。

それでも花こころのかけらもない私は チラシの文言に惹かれただけのことでも少し冷やかしに行こうかな、と

桜の花が散るのを眺めながら目下少考中です。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする