寝転がって気ままに想う事(旧爆笑マル秘役員専用車の運転士)

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

あれはなんだ!

2011年01月31日 12時10分26秒 | 日記
不思議なデザインに出会いました… 場所は名古屋です。よくみればビル自体は真直ぐなのですが、外側に螺旋形の防壁(?)カバーがついています。今日みたいに(撮影日)お天気のよい日には輝いていますから、その螺旋形のカバーが光りビル全体がねじれている錯覚を起こします。 昨年中国のお客様(話によると大富豪らしい…)をお乗せした時にやはりこのビルに目を奪われていらっしゃいました。 『あれは何ですか?』
『…』通訳の人も首をかしげていましたっけ(笑)
通訳はそれでも何とか知ろうと私に話しかけてきました。
『あれビルですか?』私も名古屋は守備範囲とは言えそう知っているはずもなく
『あれは新しい放送局です』口からでまかせてすまそうとしました。
『ほうそうきおく…』たぶん始めて耳にする単語だったのでしょうね(笑)
…君、イントネーションが違うぜ(笑)
肝で笑っていましたが、素知らぬ振りをしていますとその通訳氏、早速 大富豪に説明をしていました。
私は残念ながら中国語を聞き取れませんからただ話し振りを横目でみているだけでした…二三度会話を交わすと又私に話しかけてきました。
『先生すみませんがもう一度見たいですよ』
(彼らは誰でも先生と呼びます)『はぁ…』そのビルは大きな交差点にありました。たまたま信号待ちで止まっていたのですがすでに発進しています。当然ながら車の流れにのっていますから後ろを見てもビルはもう見えません。
『高村さん悪いけどどこかで回ってよ』後部座席から高辻役員が仕方なしにおっしゃいます。
『はい』返事はしたものの私は困りました。
名古屋駅のこの付近は適当な迂回できる道路がありません。どうしても戻りたいならグルッと名古屋駅を一回りするしか考え付きません。私は右、右、右と三回ハンドルを切りました。
『恐らくいい所に出るだろう』私の勘は当たりました(笑)丁度例のビルの下に出ました。
うまい具合に信号で止まることができたのは幸いでした。
『ほら、あそこにありますよ』
通訳氏は指を指してくれました 。
『あれですよ』大富豪も身を乗り出してきました。
しかしビルは前方ですから後部座席からは下の部分しか見ることが出来ません。
『もうちょっと』たぶんそんな言葉でしょうか(笑)
私は又車を回して行きます。今度は左、左、左です(笑)
交通量の激しい交差点をあっちからこっちから、私は右往左往しながら走りました。
何度か繰り返すうちに時間がきました。
会食の時間です… 『じゃあいきましょう』通訳氏は大富豪の許可を取り付けるとようやく元の道に戻ることが出来ました。
よくみれば変わった形のビルではありますが、ビルのオーナーさん!
もう少し閑静な場所か或いは平凡な建て方にして下さいね。
しがない運転士からの切なるお願いです。。。
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雪道の走り方

2011年01月28日 10時02分53秒 | 日記
いゃあ参りましたね。雪ですよ(笑)明け方からの雪は積もる…とは聞いていましたけど、ここまでとは…
おかげで遅刻しそうになりました。幹線道路はさすがに溶けていましたがノーマルタイヤの人が多いせいですかノロノロ運転ですよ。
仕方ないから裏道を行きますがこちらも車の大渋滞でした。
渋滞の心得としましてまず焦らない、慌てないです。 鼻歌交じりで根気よく待ちましょう。信号では無理して渡らないことです。時間に追われて無謀にも突っ込んで来る暴走車がないとも限りませんからね。
これは私が会得した雪道の渋滞の走り方でありますが、中には『そんな悠長なこと…』
とおっしゃる方いるでしょうが、確かにこの秘訣ではほとんどの人が遅刻してしまうでしょうね。(笑)
私のこの秘訣の根本は`いつもより早く出る´にあります(笑)
いつも20分かかるなら40分前に出ることをお勧めしますよ(笑)
人生はうまい近道はないということであります。
さて本業ですが相変わらず`ひま´であります(笑)
京都はチラチラ降る雪を見ながら雪見酒と洒落ましょうか(笑)。。。
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文化の香り

2011年01月27日 08時43分51秒 | 日記
大和は国のまほろば…
これは大和今の奈良県ですが、国の始まりは大和だと言うことであります。出始めからえらく難しい話と敬遠しないで下さいね。
実は東京の本社からくる方は一様に関西文化を褒めちぎります。
『京都に来るとどうも文化の香りがして来るんだよ…』東京出身の鬼塚専務はよくおっしゃいます。『文化じゃあなくて抹香の匂いでしょう(笑)』高辻役員は冷やかしますが確かにお寺は多いのです。根本常務なんかは 『関西と関東では500年の文化の差がありますね』とはっきりおっしゃいます。
『500年ですか…』私は驚きです。多分T大卒業の根本常務がおっしゃるからには間違いはないのでしょうが、同じ国で500年はいくらなんでも大袈裟すぎるでしょうね。
しかし私は少しその件について調べて見ました。
仏教伝来が`ごみやさん´ですから538年ですね。 このあたりは蘇我氏と物部氏が勢力争いをしていた時代です。そして都は飛鳥(奈良県)です。この538年を基準として仮に根本常務がおっしゃる500年をプラスしますと1058年になります。
時代は平安中期です。あの平将門の乱が940年です。そのあと1051年に東北で安部一族の反乱がありました。有名な前九年の役ですね。
ちなみに関西では宇治の平等院ができています。
こうして比べて見ると確かに文化の進捗性に差があるようです。
さすがはT大卒業!
ただし根本常務は化学系らしいのですが…
この京都にはお寺がたくさんありますね。しかも広い敷地を占めています。
東本願寺、西本願寺、三十三間堂、清水寺、知恩院、相国寺、金閣寺、銀閣寺、東寺…まだまだあります、神社では平安神宮、八坂神社、下鴨神社、北野天満宮等々が市中にあります。これらは皆広い敷地に巨大な建物を有しています。
まるで寺社仏閣に囲まれて暮らしているみたいです。 そしてそれぞれが数百年から千数百年の歴史を誇っているのであります。
私たち普段から接していると中々気がつかないのですが、他所特に関東辺りからきた人には異様に映るのでしょう。
だからこの風景を見て感じた言葉が『歴史がある…』になるのでしょうか。
確かに関西は京都に限らずどこも文化遺産(特に寺社仏閣ですが)の宝庫ではありますが、
『それがあるからどうなんだ?』と私は思います。
これを議論しているとキリがありませんからこれくらいにしておきます。
ただ見慣れたものでも違った目で観察をすればいろいろな見方になるんだと勉強になりました。そんな一日でした。。。
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見ざる聞かざる言わざる

2011年01月26日 09時07分42秒 | 日記
一張羅…懐かしい話を昨日はさせていただきました。 さて本業に戻りますが、今日は昨日に続き`ひま´です(笑)先週までは年始挨拶回りでてんてこ舞いでしたが、この仕事は今週はひま、来週は超多忙と極端になることがあります(笑)
忙しい時はそれなりに…ですが暇な時は私はなにをしているのでしょうか?
①内職②ぶらぶらしている…
わかりますか(笑)……
答えは②です(笑) 今は寒いですから控室で冬眠してま~す(笑)
たとえば昨日です。朝八時半に出社です。本来は九時ですが少し早めのパブロンで~す(笑)まず控室にあるパソコンで今日の予定を確認します。昨日の帰り際に明日の予定をみていますからまずは大丈夫ですが一応念の為みておきます。それから車のキーとカード(ETC&ガソリンカード)を受け取ります。 そして車を出して洗車です。この時に車の調子を確認しておきます。もし不具合があれば総務まで連絡します。 …洗車が終わって時間を見ると九時半ですね。
これからが長い…(笑)のです。
取り敢えず喫煙ルームにいきましてコーヒーを飲みながらタバコを一服します。この時が至福の一瞬と呼ぶのでしょうね。
しかしあまりおおっぴらに遊んでいるわけにもいきませんから、この喫煙ルームも三十分くらいで出てしますね(笑)
時間は10時過ぎです…
このあと控室に戻りますがまず手持ち無沙汰をどうしていくか…です。 他の運転士仲間に聴くとテレビを見ている…これが圧倒的に多いですね。
私もたまには見ますが、主に読書です…それから予定にある行き先の地図の確認もします。また前に通った道で間違った道があればやはり地図で確認します。
地道な作業ですが、道路はやはり私たちの命綱でありますから、疎(おろそ)かにはできません。
…まぁそうは言いましても費やせる時間は三十分ですか…(笑)あとは新聞紙とにらめっこですね(笑)
いわば自分との戦いになります(笑) 勿体ない話ですが予定がなければこんな一日を過しております。
(肉体労働のみなさんごめんなさいね)…で、私は気付きました。
私の仕事は全く生産性のない仕事であります(厳密に言えばあるでしょうが…)
ですから私なんかただの運転士としてしか見てもらえません。
親しくしていただけるのは乗車した時だけであります。
若い部課長などは、特にその傾向が露骨に出ますよ。 例えば乗車の時横には役員さんがいらっしいます。
彼らは自(おの)ずと役員さんに気を使わなければならない立場です。そりゃあもう太鼓持ち顔負けの部課長がいますよ。
…よくそこまでやるねぇ(苦笑)私が呆れるくらいですよ(笑)
そんな奴(部課長)に限って役員さんが去ると途端に仏頂面になります。 判っているんでしょうね。自分が浅はかな行為をしていることを…
だからさっきまで『高村さん』と親しげに話しかけていたのに手の平を反したような振る舞いに出ます。
私が話しかけても木で鼻をくくる、そんな態度であります。さっきまで役員さんにおべんちゃらを言っていたその態度、私に限らず誰が見たって卑屈な態度にしか映りません。それが役員さんから離れてしまうとはっと我に帰るんでしょう或いはほっとするのですね。途端に自己嫌悪に陥るんでしょう。露骨な態度に変わるの心理は私にはよく見えますが、自己嫌悪をオーバフローすると災難を被るのは私です。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い´です。だから私はそんな奴なんか見向きもしないで他に退避しています(笑)。不運にも捕まり嫌味の一つも浴びることもありますよ。 そんな時
『いつか見ておれ』私は呪文みたいに腹の中で唱えているのですが、
この台詞こそそんな奴が唱えているのかも知れません。
気をつけなければいけないのはそんな`やっかみ´や`妬(ねた)み´をいつ、誰から受けるかも知れないことです。
いわゆる逆恨みですが、威張りくさった部課長が役員さんの前では`へいこら´している姿を見て見ぬ振りをしなければなりません。
これだけは誰からも教わりませんでしたが私が身を持って会得した長生きの秘訣であります。。。
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あの時代…

2011年01月25日 10時24分12秒 | 日記
私の子供の頃ですから昭和40代ですがあのころは全くデブはいませんでした。
『なんだよ!いきなり喧嘩売ってるのか』 とお怒りの方すみませんね(笑)
今回のお題から書き始めはこうしかなかったのです。 何が言いたいかと申しますと昔は(四十年前)国民はみんなが粗食でした。 粗食より食べ物がなかったと言うべきかも知れません。
本当ですよ(笑)食べ物に好みはありましたが、リクエストが叶うことは夢のまた夢でした。… 昭和四十年代のお話ですね(笑)
『ああ懐かしい』『へぇ~』どちらにしてもあの時代 を知っておくのは無駄ではないと私は思います。
当時の我が家のごちそうは、いえ!我が家どころか日本国中がご馳走に飢えていたあの頃のご馳走と言えば三位ハンバーグ!二位トンカツ!一位すき焼♪でした。(私見ですよ…)
ところが私より五才年上の兄貴によりますと、そんなのは夢空言だったと申します(笑)
すき焼はなるほどそうだったけどトンカツやハンバーグは手の届かない架空のものでした。
さすれば年に数回でも叶えられるものはと言いますと、まずきつねうどん!カレーライス!でした。
………これはまず日本中で異論を挟む人はいないでしょう(笑) 因みにこれは昭和三十年代の話です。
そして今でも覚えているのが、味噌汁です。
味噌汁自体現代の食卓に上がるか際どくなりつちありますが(笑)当時味噌汁の味付けは煮干しでした。 もちろん味噌は使いますが(笑)
まず水に煮干しを浸します。三十分ほどしてダシが出た頃を見計らって野菜などの具を入れます。煮立ったら味噌を入れます…完成です。
これが現代なら煮干しに変わり調味料を入れますね。 今、昔風の味付けをしている家庭は皆無じゃあないでしょうか(笑)
それで話戻りますが、邪魔臭がりの母が作るとあの煮干しが残っているのでした。
多分煮干しはダシを取るための物ですから取り出さないといけないと思うのですが(笑)
兎に角私はあの煮干しが大嫌いでした。なぜか判りませんが味噌汁を飲み干すと椀の底に煮干しの残骸を発見した途端今までの美味な食事がぶち壊された気分になりました。 私は母に猛烈に抗議しますが、のれんに腕押し状態で終わります。
後年社会に出た時味噌汁の件を話しますと、まずみんな笑い出しますが、好き嫌いは別にしても全員が煮干しの味噌汁のお世話になっていました。
ところでその味噌汁ですが、うちでは朝飯に味噌汁が定番でしたが、よく話を聞いてみると晩飯に味噌汁の家庭がありました。どう違うかと言いますと、晩飯に新しく味噌汁を作って朝は昨晩の味噌汁を温め直しているのです。
つまりこ忙(せわ)しい朝は昨晩の味噌汁で間に合わすのでした。
ここから読めるのは多分母親も働いているのではないかということです。 一方うちの母は外に働きに出ていませんから、お昼に味噌汁を温め直してたべたのでしょうか。
当時、私たちの農村にも専業主婦が働きに出る風潮が流行り出してきたころです…
当時、高度経済成長になり農村地区にもいろいろな工場が進出した時期でした。
それ以前は言わば自給自足に近い暮らしでした。
衣・食・住について振り返ってみるとよく判ります。私たち子供のころ、新しい服とはまず正月に新調します。あとは…う~んないですよ(笑) あとは兄貴のお下がりですね(笑)…でその下は又お下がりのお下がりです。じゃあ長男長女は?となりの家からのお下がりをいただくのであります。
今は死語になりました一張羅…この時代には誰かが新調した服を着ていたら羨望も込めて『おっ!一張羅だ』と囃立てたものです(笑)。。。
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