こんにちわ^^
藪から棒ですみません。
ちょっとした事情でブログの舞台を宿替えすることになりました。
同じくgooのブログです フォローする 261を クリックして戴きますと 寝転がって気軽に思いました😚😚 ‥が出てきます。
この題が気に入ってるのでよく似た名前でやります。
ID:nonakahutaro
ここで皆様のお越しをお待ちしています^^
どうかよろしくお願いします。
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どうかよろしくお願いします。
おはようございます^^
今日は ゾロ目の日ですね。
11月11日、凝った人なら そのあとの11時11分11秒。。。でこれをスマホのカメラで撮って
SNSやブログで紹介されます。この前の皆既月食もやはりたくさんの写真が載っていました。
綺麗でしたねぇ、カレンダーの写真かと、見間違うくらいの写真‥もうこれは作品と呼ばなくてはなりませんよ^^
普段は黄色く見える月が赤錆色になっていましたから、科学を知らなかった時代なら この世の果てじゃぁ~と嘆いたかも
知れませんね。
ところで 日本では求愛の表現は苦手 と言いますか 国民性でしょうね派手な演技(ジェスチャー)はしないもの、
ところが映画などでご存じのように両手を広げて アイラブユー と叫ぶシーン記憶にあると思いますが、
あんなこと日本でやったら まず フラれますよね。日本人は奥ゆかしいのでしょうか 最近聞いたのに、
俺、食器洗うの好きなんだよ。 というのが結婚を申し込む時のセリフだったそうですが、まぁお二人の関係が
そのレベルだったとして、この台詞の状況もあるので一概には言われませんが…私なら鈍い方なので
はぁ?と聞き直すかも知れませんね(笑)
南欧方面(イタリア、スペインフランスなど)では 君は太陽のようだ!と赤いバラを彼女に捧げるのが しきたり?
なくらいに派手なジェスチャーですよね。他に中東では 太陽は誉め言葉にはならないらしくて、
気には月のようだ、というのが 誉め言葉になるそうです。
誉め言葉ではないですが、ちょっとしたあいさつに 有名なのがグッドモーニングがありますね。
直訳すると、良い朝、ドラマを見ていますと、モーニン くらいで済ませているのを見かけます。
日本のおっは~と同じなんだなぁ‥と笑ってしまいますが、
ちなみに砂漠地帯が多い中東では雨が降る日を いい天気だねぇ、と巷でかわすあいさつだそうです。
おはようございます^^
一体日本人は生きるといふことを知つてゐるだらうか。小学校の門を潜つてからといふものは、
一しよう懸命に此学校時代を駆け抜けようとする。その先きには生活があると思ふのである。
学校といふものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまはうとする。
その先きには生活があると思ふのである。そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に劃(かく)した一線である。
此(この)線の上うえに生活がなくては、生活はどこにもないのである。
初手から文学的な文章を紹介しました。
これは 明治の文豪 森 鷗外 の「青年」から抜粋をしたものです。
当時は文語文がまだ主流の中から この作品は比較的 口語分の文章なので読みやすいようです。
森鷗外は1922年に逝去されましたので ちょうど百年になります。
上記は 愛好家の間では有名な一説らしくて 戦前も戦前、第一次世界大戦などの戦乱の中の時代で
「平和が当たり前の現代」とは全然違った社会情勢なはずなのに この一説を読んでみますと
今の日本人を嘆いているのではないかと 錯覚をしてしまいます。
世の中が変わっても人間の性は変わらず、と云ったところでしょうか。
おはようございます〜
昨日は皆既月食 でした。夜の6時くらいから10時までお月さんが
地球の陰に入って見えなくなる‥のではなく 赤色になるそうです。な
ぜって?それを私に聞かないで下さいな(笑)
しかし 今の科学は進んでいますねぇ。今回の月食は442年ぶり、
次は三百何十年先だと言うのですね。予想じゃぁないですよ。
確定らしいですね。人類は宇宙に出た‥といっても月くらいまででしょ
う。私らが所属する太陽系の 太陽から数えて3番目くらいの近さなの
に未だ太陽まで行けてません。近づけば黒焦げになるで(笑)一杯呑
んだ時、酒の肴で喋っていたらそんな決着になって
そら、命がけやがなと焦げた串カツかじって笑ってました。
で、それならせめて火星の土くらい踏んでもエエのと違うか と誰か
が粘りますが、火星も太陽ほどでもないけどやっぱり灼熱地獄と
違うか!前にテレビで演(やって)いたぞ。ナマ中に顔を赤らめて、確かに地
球よりも太陽に近いはずで赤い溶岩みたいなのが 地表全体を覆っていた記憶が
あります。
たぶんその席にいた全員が同じ記憶があったようで 顔つきが酔いとは別に真っ
赤っか だったのが論より証拠。
ついでに‥というのもおかしな話ですが、442年前、おなじ皆既月食があった
頃って何だったかな、と思って電卓で見てみました。
2022−422=1580年、天正八年。歴史好きな人にはたまらない 戦国
時代の真っ最中でした。日本全土を誰が征服をするか、この頃だいぶ絞れて野球で言えばベスト8、準々決勝でしょうか。
メンバーは関東の北条氏政、越後から北関東を勢力範囲に収めた上杉謙信。
甲斐、信濃一体を支配している武田信玄。三河、遠江を掌握している徳川家康。
四国を征服途中の長宗我部元親。尾張、美濃、近江、山城、伊勢、大和、摂
津、など日本の主要地を抑えた織田信長。中国地方の覇者 毛利輝元‥。
このあたりまでが全国優勝の候補でしたが、本命は織田信長。日本の首都であ
る京や 海外貿易の最大の港を要する堺を抑えて名実共に日本の覇者になりつつ
あったのが、1580年頃。
この頃イギリスから艦船が日本に到着しています。
世界制覇を狙うイギリスはアフリカ、中東、東南アジアと指食を伸ばしてきま
した。この他にもポルトガルやスペイン、フランスなどが同じ目的で日本に来
朝していますが、当時の国力ではやっぱりイギリスが抜き出ていたようです。
イギリスは日本の情勢を研究して本国に報告をしています。
これまでの地域とは全然違う。
まず、武士という武装集団があること。それらは非常に訓練をされていて闘い
の作戦や手法が功妙でなおかつ軍律が整えられて洗練されている。
武器は刀、槍、弓、鉄砲、軍馬が主体で欧州でも見かけないくらいの鉄砲の数
を持っていている。
兵は精強で規律を守り 臆することを恥としている。普段は驕らず、礼儀正しく
質素な暮らしで過ごしている。
土地は肥え農産物が豊富で飢えることなどない、商工業も盛んで人民は 勤
勉で清潔で真面目な性格のようす。
エラくお褒めを頂きましたが、本心は 「 ここは手強くてダメ!」でしょうか。
ちなみに イギリスは科学や天文学、航海術など進んでいました。
422年前、既に 地動説を唱えていました。日本は天動説‥と言いますか世界中
が、まさか 自分の足元がグルグル太陽の周りを回っている〜なんておもってい
ませんでした。それを信長の前で、地動説を説明をして納得をしてもらって厚遇
されました。
しかし そんなアホな、と思われたらイギリス人の命はなかったでしょうね。
この地動説の反対の天動説をお寺さんは頑なに唱えて、信長から まやかしだ、
民衆を騙していると焼き討ちをされた、原因のひとつと聞いたことがあります。
あれからずいぶん時間が経ちました。人類は革新的に進歩を遂げました。
信長が誇った 安土城跡は雑草に覆われた遺跡でしかありません。
この先、三百年後の日本はどうなっているのでしょうか。
穏やかな暮らしが続いていますように・・・
できたらタイムマシンに乗って行ってみたいですね。
おはようございます^^
今日は立冬です。解釈としては、冬が始まる頃。木枯らしが吹き木の葉が落ち
初雪の知らせが聞こえて来るころ。そろろ冬支度を始めましょう。
‥となっていますが最近は冬の支度をやってる家庭は少ないのではないでしょうか。
これも暖冬‥地球温暖化の賜物でしょうか。
そもそも私でも冬支度とは‥はて 何をするんだろう・と思案をしてしまいます。
今、ちょっと早い気もしますが 冬に備えるとしたら ファンヒーターを出す。。。
冬物の衣類を用意する、ですが先月にすでにスタンバってしまいましたので、これもヨシ!
お米は普段どおりでいいし、野菜はスーパーに行けばいつでもあります。
ほかに思いつくものもないし 最初のストーブを出して 終了のようですね。
ああ 簡単 簡単^^近代現代さんありがとう。これが昔でしたら(私の子供のころまで遡って下さい)
今頃は自家製のかき餅の製造中かな、畑で採れた野菜類は土中に埋め込んで冬に備えます。
雪解けの鋤の用意、しぶ柿の皮を剝いたのを軒下に吊るす、 これみんな私はサブ的なお手伝い、でした。
田んぼの土返し もこの頃でした。この土返しとは地方によって呼ぶ名が違うかも知れませんが要は、稲を刈り取った跡の
始末、翌年も同じ田んぼで稲作をやるためのリハビリみたいなもので地中の土を表に出して表に出ていた土を地中に戻すことで
土の入れ替えになるそうですね。
あと、カスかな記憶しかないのですが 縄結(なわゆい)いがありました。縄の原料は100%藁(わら)ですが、その藁を使って
縄を結うのですね。農家にとって 縄ロープや日もの代わりの必要不可欠なもので 刈り取った稲を干したり脱穀を
したるするときの道具として必要なのです。
自前で作るのが当たり前のご時世で 他所から縄を買ってる農家は稀かな‥
兎に角農業が一段落をすると どこの農家も手空きになります。ですから冬から春まで他の地域に出かけて生活費を稼ぐことが
昭和の40年代から流行って来ました。
それ以前は、畑の野菜の栽培や田んぼに肥料や肥やしを施すための作業があったそうです。しかし それも毎日ある訳でもなく
手持無沙汰でいる雨の日などは、近所の仲間と野小屋で お酒をチビチビやりながら世間の噂話に花を咲かせていたのです。
その傍(かたわ)ら ワラで縄やむしろを結っていたのが通常の景色で 今日はお前のところ 昨日は金太のウチなどと
あちこち梯子をしながら農繁期の疲れを癒していたのですね。
農家は一年に一回晩秋の取り入れ時が 唯一の現金収入で、よくぞそんなことで生活が出来たなぁ と思いますが、
米価がいまと違って高くてそこそこの収入になっていたようです。農業は今でこそ機械化されて兼業でも土日だけで簡単に出来ます。
その昔は機械もなく、田んぼの整地も手作業、田植えや稲刈りなどもすべて手作業だったころは、片手間では絶対出来ませんでした。
また、家族中がまとまってやればえらい仕事ではありますがなんとか暮らしていけたのですね。
テレビもない洗濯機、エアコン、冷蔵庫、クルマもない病院だってそんなにない時代は、ない事が当たり前ですから
何の疑問も無く生きて行けたようです。
それを不自由とは誰も思わなくて やれ祭りだ、寄合だ、葬式や結婚式、お盆、秋の祭りなど何かにつけ催し物がありました。
愉しみは自分らで作らないとどこからも来ません。野良仕事に合間にたまの楽しみが色々あったのです。
今とは比べ物にならないくらい質素な食事で衣料で住まいで健康診断もない、水道や下水道もない、どこかに行くには歩き。
メタボリックシンドローム、高脂血症これも無かったでしょうな。
さて百年も前の暮らしをさすがに私の体験をしていませんが、質素な暮らしなのに必死さが今ほど無いし規律や規則など
もなかったし あるのは 真の道徳ですかね。
あの時代に戻ることは決してないでしょうが、現代の便利になった暮らしでも止まったらもう置いてきぼり。
むかしの頼母子講みたいな助け合いもない今の世の中。
落ちたご飯粒を拾って食べた私たち、拾うどころか なにかにつけ 手を消毒するおかあさん。
お金にこだわらないで愉しく生きられるように気構えを養うのが肝要でしょうか‥と思っています。