おはようございます^^
昨日は祝日 みどりの日 それに気が付いたのが昨日の長官を呼んでからでした…?…?…?
ねぇ、このパソコンって気持ち(気合)が入っていないですね(哄笑) だいたいこのパソコンのご主人様は私なんですから、
毎日書いている文章で今日はどんな感情でいらっしゃるのかとおよその推測をつけていれば こんなすじ違いな転換など
しないでしょう。 そもそも今回の チョウカンだって前の文章の関連なら 長官なんて出てこないやろうし(怒)
今までに 長官 なんて使ったことなどないはずで、むしろおはようございます^^と来たら 朝刊が自然で
そのあとの 長官を呼んで なんてどうして いち庶民が 官房長官を呼ぶのか…そんなの常識でわかんないかなぁ(亜然)…
もし仮に呼ぶとしたって 偉い長官様が選挙でもないのに来るはずなんかないでしょう。
とまぁ こんな場合を過去の経験を活かしていない…学習能力がない というようになりました。
そんな学習能力 という単語がもてはやされている昨今に 私はこの学習能力云々(うんぬん)を最初耳にして 意味が判りま
せんでしたね。 う~ん 意味がというよりもこれを使ってるひとの本意が理解できませんでした。というのは学習能力
とは勉強が出来る出来ない という個人的な能力を指すのが私たち昭和生まれの認識だからです(パチパチ…)
ですから人を賢い 賢くないというのを昔は …この扱いには微妙なところがありまして 賢いの対語の否定する賢くない
とは言わず、あほう バカ たわけ のうたりん などと(他にもあると思いますが思いつきませんでした…)少し矛先を
変えた言葉を使うことでみんなの気持ちが和らぐようにして それを賢くないという反対語を使う事でギスギスするのを
ほんわかな曖昧にしている生活の知恵なのですね。
併し…しかしと読ませますが、これだって接続詞だから、ひらがなで書けばいいものを、この併し、然しとおよそ二種類が
あるようです。
明治の文豪達は 文章の秀逸さはもちろんですが(五月蠅い…うるさい)(非道い…ひどい) この様な 造語を創ることで
読み方を牽(ひ)きながら遊び心・暇つぶしで言葉を玩(もてあそ)んでいたのではないでしょうか。
… さて、あっちこっち横道に逸れすぎると いったい なにが本筋だったのかなのかなぁ…と 腕組みをしてしまいます。
そして…そしてもやっぱり接続詞でしょ…ですが暇つぶしに手許のパソコンで転換をしても それらしい漢字は見当たりませんでした。
ところで ええ~っと …と最初はどんな記事を書こうかと思ったのは何だったのかな^^
まぁ取り敢えず今日の結論としてパソコンは人の気持ちを理解していないのがよくわかりました^^