「おい山川、今いいか」
「はい、課長何か…」京都の事務所で呼び止められた山川君(当時)「うん、帰りにどうや…」高辻課長(当時)は右手でお猪口で飲む仕草をしました。
「ええ、大丈夫です」「そうか…じゃあ終わったらこの前のところで…」
「はい、」
山川君が頷くと高辻課長は「じゃあ後でな」山川君の肩をたたきながら去っていきました。
なんだろう…?二日前にも高辻課長や亀田達と飲んだばかりでした。
高辻課長を中心に四五人のグループで月に一二回飲み会がありますが、先ほどの通り一昨日あったばかりでした。
当時高辻課長はバリバリの遣り手課長で京都事務所を引っ張っている原動力の一人でした。
将来を嘱望されているのは勿論自他共に認められていた存在です。
そのグループに山川君や亀田君や円山君などがいました。
いわゆる親衛隊ですね(笑)
俺だけ別に呼ばれるなんて…
山川君は改まって話すことなど身の覚えがありませんが、親分の呼び出しは絶対でした。
仕事が終わって山川君はあまり深く考えずにこの前の居酒屋に向かって歩きました。。
会社からバスでふた駅歩いた場所で会社の人間はまず立ち寄らない場所にありました。
当時まだ珍しく町屋を改造したお店は時間も早いせいかお客がいませんでした。
「いらっしゃい」
「ああ連れがまだなんだけど…」
店内を見渡して山川君はお店に告げました。 「いいですよ」
じゃあ…と山川課君は店のカウンターに腰を下ろします。
出てきたおしぼりで顔を拭うと、煙草に火をつけ店内を見渡しました。
当時煙草は男性のシンボルマークです。 男性と言うよりは社会人として一人前の証みたいなもので、今みたいに喫煙コーナーなんかありません。例えば電車は完全に喫煙でしたし、駅の待合室やホームもスパスパでした(懐かしい~~)
山川君が煙草を二本吸った頃。入り口がガラリと開きました。
「いらっしゃい!」さきより力強い呼び声は開店を意識したものでしょうか。
お客は高辻課長でした。店の中で待つ山川君は腰を上げましたがそれに気づかずに高辻課長は後ろを向き手招きしていました。
誰か一緒か…
山川君が立ち上がりかけた時、高辻課長の後ろから一人の女の子がチラッと見えました。 二人は何か話しながら仲良く揃ってのれんをくぐってきました。 「なんか随分慣れた感じだなぁ…」チラッと山川君は思いました。
店に入って高辻課長がすぐに山川君を見つけると、「おう、来てたのか」笑顔になりました。
ふだんからブスッとした感じの高辻課長でしたが、今夜は何故かニコニコです。
「お先に来てました」山川君が立ち上がり会釈をすると「まあまあ…」いいからと席を勧めます。
気配りのある高辻課長は当時から人を圧する雰囲気を持っていました。
親しくしている山川君でもこうして改めて接すると気圧(けお)された感じを受けてつい卑屈な態度になってしまいます。
高辻課長は店内を見渡して、「今日はあっちにしょうか」
この店は奥の方に小さな座敷を設けてありました。
「座敷いいかなぁ…」高辻課長がカウンターの中に声をかけます。
「どうぞ1」カウンターの奥から気風のいい声です。いつの間にか店には会社帰りのサラリーマンが二三人テーブル席にいました。 それをよけるように高辻課が進みます。山川君は続いて行こうとして気がつきました。 「あれっ!」
高辻課長の後ろから出てきたのは、管理課の女の子でした。
「確か…」面識はありましたが名前まで覚えていません。
「はて…」思い出そうとしていると、 相手のほうが会釈をしてきました。
おかっぱ頭の髪が揺れています。
慌てて山川君も頭を下げましたが、
この時点でも山川君は気がつきませんでした。
小じんまりした座敷は一応四人席の造りです。
高辻課長が奥に座ると向かいに山川君 、
「井上さん、こっちに来て」
おかっぱの彼女は井上と言うのを知りました。小さなテーブルを挟んで高辻課長と井上さんが並ぶと 山川君は何かいつもながらの威圧感を覚えずにはいられませんでした。
「さて、何か頼むかな・・・」今出されたばかりのお絞りを大きな手で弄び高辻課長は独り言みたいにつぶやいています。
「う~ん」メニューをにらんで唸っていましたが、目はほとんど動いていません。
高辻課長のくせでしょう・・・注文するものは決まっていたのです。
今日に限らず高辻課長は即断即決の人でした。即断・・・よりも予め決めているようで、考えている様子でその時間はほとんど他の事を考えているのでした。
たとえばこの後の話の切り出しとか・・・そんな高辻課長を山川君はじっと待っていました。ルールと言いますか暗黙の呼吸でした。親分が料理を頼むまでは親衛隊はお待ち・・でした。これは山川君に限らず他の親衛隊も〃です。以前ある若手が知らずに注文をしたことがありました。そのときに流れた不穏な空気・・・皆が一斉に高辻課長を見ると普段から渋い顔が一層していて苦虫を噛み潰した顔・・・あるんですねぇ(笑)その夜の飲み会は盛り上がることなく散会しました。それ以来誰もが注文を控えたのは言うまでもありません。又運ばれてきた料理も「さあ食べようか!」の一言があるまではみんなお待ちでした。こうして万事が高辻課長の意のままに動いていったのですが、京都の事務所の帝王の雰囲気さえ漂わせていたのです。この夜も山川君はじっとメニューとにらめっこしているだけでした。高辻課長の注文が終わるのを待っていたのです。ところがここで思ぬ声が発せられました。「なすの田楽とおぼろ豆腐お願いします」井上さんでした・・・