とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「天国への階段」が盗作?(著作権の罪2)

2016-04-14 18:14:08 | 著作権
 レッドツェッペリンの「天国への階段」がスピリットというアメリカのバンドの「トーラス」という曲の盗作だと、スピリットのギタリストの遺産管財人から著作権侵害で訴えられたということです。私はこれは著作権の問題として正当に審議できるのかが疑問です。されに著作権侵害以前の問題として、当人ではなく、しかも発表後40年以上たってから訴えられるということが常識外れであり、このような非常識な著作権法が大きな問題であると考えます。

 曲を聴いてみると確かに似ているといえばにています。しかし、まあこの程度なら問題ないという気もします。感覚の違いでどうとでもとれます。これを裁判で争うということは、どういう結果でもありうるような気がします。「疑わしくは罰せず」という原則ならば当然無罪です。もしこれが有罪とするならばそもそも著作権って何かから始めなければいけません。

 昔、アメリカの裁判で、著作権違反で莫大な額の罰金を支払わせる判決が出たという記憶があります。この判決が多くの人の頭に残っています。今思えば、これはアメリカの「国家的はったり」だったのではないかという気がします。著作権という権利を多くの人に印象付け、著作権をアメリカの既得権益したのです。そういう戦略だったのではないでしょうか。この戦略がTPPの知的所有権70年に延長につながってきています。

 しかし、文化は模倣からはじまります。ある程度先行作品に似ているのは当たり前です。似ているという程度で著作権侵害と言っていたのでは文化は衰退するだけです。完全なパクリは著作権として認められるべきですが、「似ている」という程度ではそれがむずかしい。明確な基準がなく、その場その場の主観の問題になってしまうのでは裁判にそぐわない問題です。

 さらにそれが遺産管財人からの訴訟だというのもおかしな気がします。現状の法律ならばそれは可能なのでしょうが、そもそも法律がおかしい。やっぱり著作権を主張できるのは著作者であるのが当たり前であり、当人が訴えずに遺産管財人が訴えるというのは、経済の非常識さを表しているようにしかおもえません。こんなばかな訴訟が当たり前になれば、だれも資本主義を信じなくなり、経済は混乱するだけです。

 社会は常識の上に成り立つものです。非常識が常識になってしまっている現在の著作権に関する法律は改正されるべきだと、すくなくとも私のような法律の素人は考えます。

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