とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

 なぜ音楽を聴かなくなったのか(著作権の罪)

2016-04-09 06:19:29 | 著作権

「無料でも音楽を聴かない層増加」というニュースが出ていました。音楽離れが進んでいるということです。様々な要因があると思いますが、私は要因のひとつとして大きいのは著作権だと思っています。一見直接結びつかないように思えるかもしれませんが、

 音楽好きは自分でも音楽をしたくなります。楽器を演奏し作曲をしたくなる。そして自分なりの音楽を創造したくなります。文化が発展するためにはそういう創造意欲が必要になるはずです。自分でも絵を書くから絵画好きになる。自分でも演劇をするから演劇好きになる。映画を見ていたら自分でも映画を撮りたくなる。創造意欲こそが文化を発展させてきたのです。

 ところが最近の行き過ぎた著作権は創造意欲を減退させます。作曲してもどこか聞いたようなメロディーになってしまう。著作権違反になってしまうのではないか。そういえば著作権違反で裁判で何十億だか支払う判決があったなあなどと思い出す。ああ、面倒だ。音楽なんかやってられない。ということで音楽の世界から離れていく。そんなばかなと思われる方もいるかもしれませんが、こういう著作権の面倒くささは製作者の足かせになっているのは確かなのです。

 ビートルズの初期とか、パンクロックの時代なんか、みんな同じようなコード進行で同じような曲がたくさんありました。それでもみんな何にも言わずに「新曲」を発表していたわけです。しかし最近は著作権の意識が高くなってしまい、なんでもかんでも囲い込まれてしまい、何を作っても結局パクリになってしまうのではないかという不安が生まれてしまい、委縮してしまうのです。こんな自由のない表現活動、みんなが逃げていきます。

 著作権という発想は製作者を守るためのものですので、必要ではあると思います。しかし、最近の著作権は行き過ぎです。製作者が死亡すれば著作権は消えるというのが常識です。発表した年から50年もたてば著作権は消滅するでいいでしょう。この程度が適当であり、それ以上の期間著作権を守るというのは文化を死滅させるものです。

 文化は創造者とそれを受容する層がお互いに入れ替わる可能性があるからこそそこに「村社会」ができ、そしてそれが拡大していくのです。場合によってはそれが巨大ビジネスになる場合はありますが、それによってあぶく銭を稼いでやろうという腐った資本主義とは絶縁しなければいけません。文化が死滅してお金だけが残る世界の何がおもしろいのでしょうか。
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