まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

まさおさま、新聞取材を受ける

2011-02-25 00:16:33 | お仕事のオキテ
先日、福島民友新聞の記者の方から取材の申し込みがあったんです。
依頼のメールはこんな感じでした。

「私どもの紙面では、月に一度 「エコ通信」 という環境のページを展開しており、
 その中で、毎回エコ活動をする方や有識者の方を取材し、
 紙面講座をしていただいております。
 これまで、温暖化のメカニズムや3R、
 または実際に自然環境活動に取り組む方などを取り上げてきましたが、
 今回はこれまでとは違う角度、
 倫理や哲学的な視点から環境について考えてみたいと思います。
 つきましては、小野原先生にぜひ環境倫理のお話を伺えれば幸いです。」

たしかに私は環境倫理に関する論文を書いたり、
大学で 「科学技術と環境の倫理学」 という講義を教えたりしていますが、
具体的なエコ活動に取り組んでいるわけではなく、
ぼくの話なんか聞いても記事にはならないんじゃないかなあと思いましたが、
記事になるかならないかを判断するのはあちらの自由ですので、
とりあえずインタビューを受けることにしたんです。

インタビューは 「環境倫理とは何ですか?」 というところから始まって、
まあさまざまなことを聞かれました。
それに対して私はいつもの調子で、
相手の質問をはぐらかすような話をしたり、
その場その場で思いつきの話をとりとめなくしたり、
我ながら、こんな話を後で記事にまとめるなんて絶対ムリだろうなあと思いながら、
でも、いったん話し始めると止まらなくなっちゃうので、
1時間半くらいでしょうか、延々とまくしたててしまったのです。
記者の方は録音し、メモを取りながらも、
どう記事にまとめるか困惑した表情を隠さず、
なんとかまとめられそうな方向でいい質問を思いついて食らいついてきてくださるのですが、
そのたびに私はまた拡散する方向へ話をもっていっちゃったりして、
別に悪気があってそうしているのではないのですが、
哲学 ・ 倫理学の話ってどうしてもキレイにまとまってしまうことを拒むところがあって、
わかりやすい結論に落ち着きそうになると、スルッと逃げざるをえないのですね。
そんなこんなでひじょうに非協力的な情報提供者を最後まで演じきってしまったのです。
本当に申しわけないことをしたなあ、たぶんこの記事はボツになるんだろうなあと思いながら、
ニッコリ笑ってお別れしたのでした。

それが先週の水曜日のことでした。
それっきりその取材のことはすっかり忘れてしまっていました。
そうしたら今週の水曜日の夜に、記者の方からゲラがメール添付で届けられたのです。
水曜日は私は早引けして卒業展覧会を見に行ってしまいましたから、
そのメールを見ることができたのは木曜日になってからでしたが、
読んでみると、これがとても素晴らしい文章なのです。
とてもあの混沌としたインタビューから出来上がった記事とは思えません。
まるで私が作文して投稿したかのような筋の通った文章になっています。
なんだか私はリッパな環境倫理学者になった気分です。
いやあ、みごとです
新聞記者の人ってものすごいなと思いました。
人気作家になるとゴーストライターの人に口述筆記で代わりに書いてもらうそうですが、
私ももしもそんな身分になれたら、ぜひ今回の記者の方にゴーストライターになってもらいたいものです。
これはむちゃくちゃラクです。
あんなにテキトーにダベっていただけなのに、
こんなに素敵な文章にしてくれるなんて
本当にありがとうございました。
そして、最後まで非協力的だった情報提供者をお許しください

さて、その出来上がった記事がなんともう今日金曜日の福島民友に掲載されるのだそうです。
皆さん、ぜひ御一読ください
まあこれを読んだだけでは、まさおさまがなんかリッパなことを語ってるなあ、
ぐらいにしか思えないかもしれませんが、
この記事の向こう側にグダグダな1時間半があり、
それをたったの1週間でここまでみごとにまとめあげた仕事人がいたということを思い浮かべながら、
味わって読んでいただけたらと思います。
福大生諸君、今日は駅の売店で福島民友を買おうっ