まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

相撲はスポーツか?

2011-02-07 19:52:45 | 人間文化論
大相撲の八百長問題、連日大騒ぎでしたが、とうとう春場所が中止ということになったようですね。

相撲春場所中止、理事長ら「相撲史上、最大の汚点」

記事によると、日本相撲協会トップの放駒理事長は6日の会見で、
「相撲の歴史に最大の汚点を残す結果となった」 と語ったそうですが、
思わず笑ってしまいました。
日本人は誰もそんなふうに思っていないと思いますが…。
これまでも数限りなくその手の噂は飛び交っていましたね。
ウィキペディアの 「八百長」 の項目を見ると相撲に関する疑惑が延々と記されています。
ウィキペディアでは1963年以来の疑惑が挙げられていましたが、
それ以前のことに触れている以下の記事も面白かったです。

「情にほだされ…八百長を一生悔いた先人の遺言」

この記事の中で玉の海が語っている 「八百長」 は、金銭授受とは関係ないものだと思われますが、
こうしたことはずーっと昔から相撲につきものだったのではないでしょうか?
例えば、プロレスで八百長が行われていたとして、それを咎める人がいるでしょうか?
私の中では、プロレスほどおおっぴらではないのですが、
相撲もある程度、八百長によって成り立っているんだろうなあと思っていました。
というのは、相撲界のシステム自体が八百長なしには存立しえないように思うからです。
番付制度というのが諸悪の根源だと思うのですが、
あれのせいで勝ち越しだの負け越しだのということで一喜一憂しなくてはなりません。
普通のスポーツであれば、勝ったり負けたり、
1部リーグから2部リーグに落ちたりということは当たり前に行われますが、
相撲の場合、一度ある地位に上るとそこから落ちることがものすごく嫌われます。
その最たるものが横綱で、横綱は一度なってしまうと大関に戻ることができないんですね (たぶん)。
これはとてもかわいそうなルールだと思うのです。
勝てば上がる、負ければ下がるというごく普通のシステムにしておけばいいのに、
こんな不合理なシステムを導入しているのですから、あちこちにムリが生じるに決まっています。
だから、相撲の場合は構造的に八百長を行わざるをえないんだろうなあと思っていたわけです。
優勝争いは真剣にやっているのだろうと信じたいので、
優勝争いと関係ないところで、勝ち越しや残留がかかっているような場合には、
ずーっと昔から八百長はごく普通に行われていたのではないだろうかと思うのです。

なにかの番組に呼ばれていたスポーツライターの玉木正之氏が、
相撲とは 「スポーツ」 と 「興行」 と 「神事」 の3つの側面をもつのだと言っていました。
私もその通りだと思いますが、この3つは究極のところ相容れません。
特にスポーツは他の二者との共存を拒む核を有しています。
それは、「ルールに則った公正な勝負」 という部分です。
したがって、すべてのスポーツにとって八百長は許しがたい倫理違反となるのです。
それゆえ、これだけ長い間、常に八百長 (疑惑?) と結びついていた相撲は、
そもそもスポーツの側面をちゃんと保持しえていたのか疑問をもたれてもしかたのないところです。
(私としては上述したように、「優勝争いのレベルでは公正に戦われていたと信じたい派」 です。)

さて、相撲は今後どういう方向へ進むべきなのでしょうか?
3つの側面をそのままにした改善策はありえないだろうと私には思えます。
大きく言って2つの方向性しかないと私は思います。
スポーツとして純化していくか、
「日本の国技」 としてあくまでも興行であり神事なんだよということを訴えていくかのどちらかです。
現状を維持し抜本的改革をしなくてすむ方向は後者でしょう。
相撲は神事であるので、女性が土俵に上がってはいけないといった前近代的なしきたりがあったり、
番付制度の下でみんなができるだけ格落ちとかしなくてすむように、
ちょっとした談合もやっておりますが、
これらはみな日本のよき伝統ですので御寛恕のうえ今後とも大相撲をお引き立てのほど、
よろしくお願い申し上げます、と国民全体に向かって理解を訴えていくのです。
外国人力士の受け入れもやめてしまったほうがスッキリするでしょう。
こうなったら公益法人ではいられなくなるかもしれませんが、
これが一番手っ取り早いお手軽な改革の方向性だと思います。

私のお薦めとしてはスポーツとして純化していく方向性です。
以前書いたように、相撲って数ある格闘技のなかでも、
スポーツとして最も洗練されたルール体系をもっていると思うのです。
相手を一度でも土俵から押し出すか転がせば勝ちというのは、ものすごくクリアで公正です。
剣道や柔道の一本みたいな曖昧なところがありません。
しかも、とても平和です。
女性にもオススメと言えるのではないでしょうか。
この、スポーツとして、格闘技としてよくできている部分を前面に押し出していけば、
すぐにもオリンピック種目になれるだろうと思うのです。
たんなるトーナメント戦にして、後は過去の戦績によるシード権だけにしてしまえば、
番付制度なんてまったく必要なくなります。
そうすれば勝ち越しだの負け越しだののために八百長なんてする必要もありません。
「伝統」 とか 「国技」 といった桎梏を振り払えば、
スポーツとしての相撲には無限の可能性が開かれているように思えるのです。

まあ、日本相撲協会の人たちがいくら話し合っても、
そういう方向性が選ばれることはないんだろうなあ。
それにしても、これから全容解明しようと意気込んでいる日本相撲協会の皆さんは、
現役時代、本当にご自分が八百長に関与したことはなかったのでしょうか?
あるいは自分の周りでそうしたことが行われているのをまったく見たことはなかったのでしょうか?
「最大の汚点」 というのはたんに証拠のメールが復元されてしまったという、
ただそれだけのことを意味しているにすぎないように思えてならないのでした。
この問題を考える上で、「八百長とは何か?」 ということもきちんと定義しておくべきですが、
それはまた別の機会に。