まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

石文

2011-02-14 19:52:38 | 人間文化論
以前にご紹介した映画 『おくりびと』 の中に 「石文」 というのが出てきました。
まずはそのシーンを引用しておきます。
納棺師という仕事のことで対立していた主人公 (モックン) と妻 (広末涼子) が、
久しぶりに和解してふたりで川岸に来ています。
河原で主人公は石を探し、ひとつ手に取って妻に渡します。

「何してるの?」
「はい」
「なに?」
「石文」
「石文?」
「昔さあ、人間が文字を知らなかったくらいの大昔ね、
 自分の気持ちに似た石を探して、相手に贈ったんだって。
 もらったほうはその石の感触や重さから、相手の心を読み解く。
 例えば、ツルツルのときは心の平穏を想像し、
 ゴツゴツのときは相手のことを心配したりね。」
「ありがと」
「何を感じた?」
「ナイショ。
 ステキな話。誰から聞いたの?」
「オヤジ」
「もしかして、あの大きな石も?」
「そう、オヤジからもらった。」
「知らなかった。」
「毎年石文を送り合おうなあって言ってたのに、けっきょくあれ1回だけ。
 やっぱりひどいオヤジだ。」

主人公は幼い頃、父と石文の交換をしたのですが、
その直後に父は自分が経営する喫茶店のウェイトレスと駆け落ちして、
それ以来ずっと音信不通なのです。
この映画は、納棺師という仕事を通して、
主人公が様々な人々と引き裂かれ、再び結ばれていく過程を描いていますが、
この生き別れた父との関係というのも重要な一本の糸となっています。
それを象徴するのが石文なのですが、
石文って果たして本当にあったのでしょうか?
それともこの映画が勝手に作り上げたフィクションでしょうか?
ちょっと調べてみましたが、よくわかりませんでした。
「いしぶみ」 と言えば本来は 「碑」 で、
石に文字が刻まれているもののことを指すわけですが、
この映画で言う 「石文」 はそういう普通の碑とは異なっています。

いずれにせよ、言語表現重視で、右脳的な芸術性・創造性に乏しい私には、
石文なんていう風習はまったく無縁なんだろうと思いますが、
(「こんな石、渡されても意味わかんないよ、ちゃんと言葉で言ってよ」 みたいな…)
しかし、こういう形でコミュニケーションする人たちが存在していたら、
それはそれでステキなことだよなあと漠然と思うのです。
なんかスローコミュニケーションという感じがしますね。
ラストではボロボロ泣いてしまいました。
まだ見ていない人はぜひ借りて見てみてください。