まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

「授業公開&検討会」 FD報告書

2014-02-23 20:46:25 | 教育のエチカ
福島大学FD活動の一環として、前期に共通領域 「倫理学」 の授業を公開し、
検討会を開いていただきました。
そんな昔のこと、とっくの昔に記憶の彼方に追いやっていましたが、
年度末が近づいてきて、あのときの報告書を書くように要請されました。
(いや正確に言うと、公開した直後に依頼され、当初は前期中に、
 その後、年内にはぜひ、とお願いされながら、まったく意に介さずにいたところ、
 もう印刷に回さなきゃヤバイので2月中には絶対にくださいと泣きつかれたわけです。)
この事業が始まった頃は、授業を公開した本人に原稿を依頼するのではなく、
授業を参観した人に原稿を書いてもらうというような紳士協定があったはずなのですが、
10年のあいだにそのよき伝統は廃れてしまったようです。
せっかく授業を公開してくれた人にさらに報告書用の原稿というノルマを課すと、
ただでさえ公開してくれる人が少ないというのに、
よけいに引き受け手を減らしてしまうような気がするのですが、
それは委員会が配慮するべきことであって、
この件を依頼してきてくれた事務の方にはまったく責任はありませんので、
ゴタゴタ言わずに書くことにいたしました。
すでにこのブログ上でこの件に関して4本の記事を書いていましたので、
私が書くこと自体、それほど苦になるわけではありません。

共通領域 「倫理学」 授業公開 ・ 学生アンケート結果

先週の 「倫理学」 での講師の誤り

共通領域 「倫理学」 授業公開後の検討会

共通領域 「倫理学」 学生アンケート評価結果

むしろ問題はこれらのなかからどの部分を厳選してA4用紙2枚にまとめたらいいかということです。
やはりオーソドックスに3番目の記事を中心にまとめてみることにいたしました。
本日ちゃちゃっと原稿を作成し事務の方にメール送信したばかりですが、
FD報告書が刊行される前にこの場で大々的に公開してしまおうと思います。
どうせ刊行されても本学関係者だっていちいち目を通したりしないでしょうし、
著作権はどう考えても私にあると思われますので特に問題はないはずです。


第1回 「授業公開&検討会」
          
日 時  平成25年6月21日 (月) 2時限      
      10:20~11:50 授業公開 (M22教室)
11:50~12:30 検討会 (S24教室)
授業科目 「倫理学」
授業者  小野原雅夫 (人間発達文化学類)

授業者からの報告                              
1.授業の概要
 この科目は共生システム理工学類の樋口良之先生と2人で開講している授業です。前半は樋口先生が科学技術のテーマ (アポロ計画やマンハッタン計画、福島第一原発事故など) を取り上げて、そこにひそむ倫理学的問題を浮かび上がらせていきます。後半は私が脳死臓器移植の問題についてその事実問題 (概念定義や歴史的経緯等) と価値問題 (よいか悪いか) をディープに語っていきます。「総合科目」 という位置づけではありませんが、きわめて文理融合的な内容になっていると自負している講義です。互いにできるかぎり相手の授業を参観するようにして、講義内容に関してばかりでなく授業スタイルに関しても摺り合わせをしながら授業運営をしています。

2.当日の授業の工夫点
 授業公開の当日は樋口先生からバトンタッチした最初の回でした。基本的には昔ながらのチョーク&トークのスタイルで、目新しい工夫は何もしていません。ただ、前半の樋口先生が毎回A4裏表印刷の資料を配付されていたので、私もそれに倣って資料を作成し配付しました。そのおかげで以前より板書が少なくてすみ、事実的な問題はプリントに、そこから浮かび上がってくる倫理学的問題は板書にというような仕分けができたように感じました。もうひとつは毎回の平常点管理のためにミニットペーパーを取り入れているのですが、授業を終えてから質問や感想を書いてもらうのではなく、授業の冒頭で問いを投げかけ全員に記入してもらいました。まず問1 「あなたは脳死臓器移植をよいことだと思いますか、悪いことだと思いますか。その理由も書いてください」。これをけっこう時間を取ってみんなに書いてもらった後で、続いて問2 「脳死とはどのようなものかを説明してください。植物状態とはどう違うと思いますか」。問1はよいか悪いかという価値判断を問うています。学生たちはこれにはけっこうスラスラと答えてくれます。ところがこの価値判断を下す前にきちんと確定しておくべき 「脳死とは何か」 という事実に関わる問いを出されると、みんな答えに窮して固まってしまいます。つまり、みんな脳死とは何かをよく知らないまま、脳死臓器移植がよいか悪いかという価値判断を下してしまっている、ということを実感してもらうための意地悪な質問だったわけです。

3.検討会での質疑応答
授業参観してくださった先生方は9名、検討会に来てくださった方は6名でした。検討会では、やはり私が授業の最初に投げかけた発問に対して感想や意見が集中しました。最初に書かせることによって授業に引き込むことができていた、いきなりの問いかけによって価値判断と事実判断の問題がクリアに浮かび上がってきた、といった点を評価していただけたのはありがたいことです。あらかじめ学生に予備的な質問を投げかけ、それについて考えさせておくことによって、学生の興味・関心を喚起し、その後のこちらからの説明に集中し、より深く理解できるよう準備を整わせておくための方法論です。これは講義の最後に書かせる感想や質問とはまったく機能の異なるものです。特に今回は価値判断を書かせた後に事実判断を書かせて相手の意表を衝くという、ちょっと意地悪な出題の仕方をしましたので、よけいにインパクトはあったでしょう。先生方からも 「自分もまんまと引っかかってしまった」 と恨み言が聞かれました。この手法に対して、学生がすでに持っている知識やイメージや感覚を前提として出発し、それを認識へと高めていくという授業のつくりになっていると分析してくれた方もいらっしゃいました。
また、自分の授業でも発問は取り入れているが、個人作業の時間をあんなに取っていないかも、と指摘してくれた方もいらっしゃいました。それに関連して、書く時間を指定していなかったがそれはなぜか? という質問もいただきました。彼らがどれくらい書く時間が必要か読み切れなかったし、ひとりひとり書くスピードが違うということもあってあらかじめ時間を指定しなかったのですが、授業マネジメントという意味でも、書く側の心づもりという点でも時間指定は必要かもしれないと気づかせていただきました。
内職している学生がいないのは何か工夫をしているのか? という質問もいただきました。これに関しては、最初に問いを提示しミニットペーパーに書かせたことによって、授業への集中度を高めることができたのかなとも思いますが、それ以外にも板書をさせるなど学生に作業させる時間をところどころ取り入れるのは、講義に集中させるのにいい方法なのかもしれません。学生の様子を観察していた方からは、それまで寝ていた学生が、板書が始まったところで急に起きてノートに書き始めていたということも教えていただきました。
全体的には、何も授業していないうちのいきなりの問いかけから始まって、盛り上がり部分 (「和田移植」のところ) が明確に設定されているところなど、授業の組み立てに対して皆さまから高い評価をいただくことができました。個人作業時間をどうコントロールしたらいいのかといった今後に向けての課題も明らかになりましたし、私としてはたいへん貴重な時間となりました。お忙しいなか授業を参観してくださったり検討会に参加してくださった先生方に感謝申し上げます。


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