前回、「教室の倫理」 への改善案をご紹介しましたが、
次に多かったのが今回のような意見でした。
私たちが作った 「教室の倫理」 案では、
「当該科目に関して最低限の勉強をする (きちんと出席する、試験勉強をする、etc.)」
を学生の完全義務の中に挙げ、
「主体的に学問する (参考文献等を進んで読む、自ら研究を深める、etc.)」
を学生の不完全義務に分類しておきました。
これに対して次のように提案してくれた人がけっこういたのです。
「学生の不完全義務として、主体的に学問するという項目があるのは納得できない。大学進学を選択した以上、勉強ではなく学問をすることは学生の完全義務であると思うため。」
「『主体的に学問する』 ということについては完全義務に移すべきだと考える。なぜなら、これまでと違い、『生徒』 ではなく 『学生』 であるのだから、受動的ではなく、常に能動的な姿勢で取り組むことは必要不可欠であるからだ。」
「納得しないところ:学生の不完全義務=主体的に学問する。理由:自分が学びたくて講義に出ているのだから自分から進んで学ぶことは完全義務だと思う。」
まじめかっ!
今どきの大学生はスゴイですねぇ。
自分からハードル上げちゃうんですからねぇ。
こう思って授業に臨んでくれている人がいるというのはとても心強いですが、
しかし、自分自身が大学時代こういうまじめな学生ではなかったので、
大学生ってこういう人たちばかりじゃないよなあと思ってしまうのです。
これらの人たちとはちがって、
「主体的に学問する」 が不完全義務であり、
「最低限の勉強をする」 のほうが完全義務であることに納得してくれた人もいました。
その人はこんなふうに書いてくれていました。
「納得した点:学生の不完全義務に 『主体的に学問する』 が入っていること。理由:学生の本当に研究したいことが他にあり、それが優先されて他のものが後まわしになる。今回は抽選というものもあり、もしかしたら、不本意で来た人もいる可能性がある。
納得した点:学生の完全義務に 『当該科目に関して最低限勉強する』 が入っていること。理由:人生において、好きなこと、興味のあることだけが自分に求められる訳ではないため、どんなものでも勉強は最低限しなければならない。もちろん、先に述べたように、それ以外の時間は自分の本意にしたがうべきだと私は考える。」
私たちが 「主体的に学問する」 を不完全義務に、
「最低限の勉強をする」 を完全義務に分類しているのは、
この方とまったく同じ理由からです。
学生の皆さんは半期で24単位分の授業を履修することができるわけですが、
取っている科目に対して1つ残らず全部全力投球することはできないと思うのです。
もちろん、取りたくて取っている科目が多いだろうとは思いますが、
履修基準上しかたなく取っているという科目もやはりあるのではないでしょうか。
ましてや共通領域の広域選択科目に関しては、
この方も書いてくださっているように、
受講調整によって取りたかった科目を取ることができず、
やむなく第2、第3希望の科目に回されたという人もいることでしょう。
そういう方々も含めて全学生に、すべての科目に関して主体的に学問することを、
完全義務として課すということはできないだろうと思うのです。
完全義務を守れなかった場合は罰せられることになるわけですが、
この場合の罰とは、出席しなかった場合に出席点をもらえなかったり、
最低限の試験勉強を怠った場合に単位をもらえなくなったりすることを意味します。
逆に不完全義務を遵守できた場合は功績とみなされるわけで、
その場合には、SやAなどのより高い評価をもらえることになるのです。
ですので、イヤイヤしかたなく取っている科目に関しては、
出席したり試験勉強くらいはするなど最低限の勉強をすることが完全義務であって、
それさえやってもらえればギリギリの単位は保証しますが、
それができなければ単位を落とすということもありうるわけです。
逆に取りたくて取っている科目に関しては最低限の勉強に加えて、
自ら積極的・主体的に学問に取り組んで、その成果を試験などで発揮してもらえれば、
その努力を功績と認めて、ただたんに単位 (ギリギリのC) をもらえるだけでなく、
SやAなどのより高い評価をもらうことができるようになります。
もしも皆さんがご提案してくれたように、
「主体的に学問する」 が完全義務ということになると、
自ら主体的に学問に取り組んで、参考文献を読んだり研究を深めたりしても、
それはやって当たり前のことですから、しなければF (単位はもらえない)、
したところでCとか、せいぜいBをもらえる程度ということになってしまいます。
SやAをもらうためには、教員が紹介した参考文献を読むぐらいじゃ不十分で、
私たちも知らないような最先端の外国語の論文を読むとか、
私たちが驚くような斬新な研究内容を試験で披露するとかしなきゃいけなくなってしまいます。
そんなに厳しい評価でいいんですか?
しかも、取りたくて取っている科目だけでなく、
取りたくて取ったわけではないイヤイヤ履修している科目でも、
そんな高いハードルを課されてもいいんですか?
ぼくだったらイヤだなあ。
と思ったので、自分が学生だったらという立場に置き換えて考えてみた結果、
「主体的に学問する」 は不完全義務のほうに分類しました。
いかがでしょうか。
納得いただけたでしょうか。
これでもまだ納得できず、さらなる反論がある場合にはコメント欄に書き込んでください。
もしもその反論に納得できたら、
いつでも 「主体的に学問する」 を完全義務に移してあげますよ。
次に多かったのが今回のような意見でした。
私たちが作った 「教室の倫理」 案では、
「当該科目に関して最低限の勉強をする (きちんと出席する、試験勉強をする、etc.)」
を学生の完全義務の中に挙げ、
「主体的に学問する (参考文献等を進んで読む、自ら研究を深める、etc.)」
を学生の不完全義務に分類しておきました。
これに対して次のように提案してくれた人がけっこういたのです。
「学生の不完全義務として、主体的に学問するという項目があるのは納得できない。大学進学を選択した以上、勉強ではなく学問をすることは学生の完全義務であると思うため。」
「『主体的に学問する』 ということについては完全義務に移すべきだと考える。なぜなら、これまでと違い、『生徒』 ではなく 『学生』 であるのだから、受動的ではなく、常に能動的な姿勢で取り組むことは必要不可欠であるからだ。」
「納得しないところ:学生の不完全義務=主体的に学問する。理由:自分が学びたくて講義に出ているのだから自分から進んで学ぶことは完全義務だと思う。」
まじめかっ!
今どきの大学生はスゴイですねぇ。
自分からハードル上げちゃうんですからねぇ。
こう思って授業に臨んでくれている人がいるというのはとても心強いですが、
しかし、自分自身が大学時代こういうまじめな学生ではなかったので、
大学生ってこういう人たちばかりじゃないよなあと思ってしまうのです。
これらの人たちとはちがって、
「主体的に学問する」 が不完全義務であり、
「最低限の勉強をする」 のほうが完全義務であることに納得してくれた人もいました。
その人はこんなふうに書いてくれていました。
「納得した点:学生の不完全義務に 『主体的に学問する』 が入っていること。理由:学生の本当に研究したいことが他にあり、それが優先されて他のものが後まわしになる。今回は抽選というものもあり、もしかしたら、不本意で来た人もいる可能性がある。
納得した点:学生の完全義務に 『当該科目に関して最低限勉強する』 が入っていること。理由:人生において、好きなこと、興味のあることだけが自分に求められる訳ではないため、どんなものでも勉強は最低限しなければならない。もちろん、先に述べたように、それ以外の時間は自分の本意にしたがうべきだと私は考える。」
私たちが 「主体的に学問する」 を不完全義務に、
「最低限の勉強をする」 を完全義務に分類しているのは、
この方とまったく同じ理由からです。
学生の皆さんは半期で24単位分の授業を履修することができるわけですが、
取っている科目に対して1つ残らず全部全力投球することはできないと思うのです。
もちろん、取りたくて取っている科目が多いだろうとは思いますが、
履修基準上しかたなく取っているという科目もやはりあるのではないでしょうか。
ましてや共通領域の広域選択科目に関しては、
この方も書いてくださっているように、
受講調整によって取りたかった科目を取ることができず、
やむなく第2、第3希望の科目に回されたという人もいることでしょう。
そういう方々も含めて全学生に、すべての科目に関して主体的に学問することを、
完全義務として課すということはできないだろうと思うのです。
完全義務を守れなかった場合は罰せられることになるわけですが、
この場合の罰とは、出席しなかった場合に出席点をもらえなかったり、
最低限の試験勉強を怠った場合に単位をもらえなくなったりすることを意味します。
逆に不完全義務を遵守できた場合は功績とみなされるわけで、
その場合には、SやAなどのより高い評価をもらえることになるのです。
ですので、イヤイヤしかたなく取っている科目に関しては、
出席したり試験勉強くらいはするなど最低限の勉強をすることが完全義務であって、
それさえやってもらえればギリギリの単位は保証しますが、
それができなければ単位を落とすということもありうるわけです。
逆に取りたくて取っている科目に関しては最低限の勉強に加えて、
自ら積極的・主体的に学問に取り組んで、その成果を試験などで発揮してもらえれば、
その努力を功績と認めて、ただたんに単位 (ギリギリのC) をもらえるだけでなく、
SやAなどのより高い評価をもらうことができるようになります。
もしも皆さんがご提案してくれたように、
「主体的に学問する」 が完全義務ということになると、
自ら主体的に学問に取り組んで、参考文献を読んだり研究を深めたりしても、
それはやって当たり前のことですから、しなければF (単位はもらえない)、
したところでCとか、せいぜいBをもらえる程度ということになってしまいます。
SやAをもらうためには、教員が紹介した参考文献を読むぐらいじゃ不十分で、
私たちも知らないような最先端の外国語の論文を読むとか、
私たちが驚くような斬新な研究内容を試験で披露するとかしなきゃいけなくなってしまいます。
そんなに厳しい評価でいいんですか?
しかも、取りたくて取っている科目だけでなく、
取りたくて取ったわけではないイヤイヤ履修している科目でも、
そんな高いハードルを課されてもいいんですか?
ぼくだったらイヤだなあ。
と思ったので、自分が学生だったらという立場に置き換えて考えてみた結果、
「主体的に学問する」 は不完全義務のほうに分類しました。
いかがでしょうか。
納得いただけたでしょうか。
これでもまだ納得できず、さらなる反論がある場合にはコメント欄に書き込んでください。
もしもその反論に納得できたら、
いつでも 「主体的に学問する」 を完全義務に移してあげますよ。
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