まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.時間厳守は教員の完全義務ではないのか?

2017-04-18 22:58:36 | 教育のエチカ
この季節は相馬の看護学校でいただいた質問に答えていることが多いのですが、
もちろん福島大学でも授業は始まっています。
今年は共通領域の 「倫理学」 が開講される年なので (隔年開講)、
共生システム理工学類の樋口先生と一緒に楽しく講義をもっております。
第1回目の授業ではオリエンテーションのあと 「教室の倫理」 の話をし、
前回第2回目の授業の冒頭では、本日の授業内課題として、
「教室の倫理」 を聞いて納得できたところと納得できなかったところ、
また改善すべき点等について書いてもらいました。
今回の授業内課題はまだ授業の中身に入っているわけではないので、
そんなにたくさん書いてもらうつもりはなかったのですが、
みんなけっこう時間をかけてたくさん書いてくれていてビックリしました。
論点はいろいろと出てきましたが、多くの人が挙げてくれていたのが時間厳守の問題でした。

「教室の倫理」 の中では教員と学生それぞれの完全義務と不完全義務を列挙しています。
完全義務とは、完全に守るのが当然で、守れないと罰せられるような義務です。
殺人の禁止や窃盗の禁止といった義務が完全義務に分類されます。
不完全義務とは、完全に守れなくても仕方がないが、守れると功績とみなされるような義務です。
人を助けてあげたり、自分の才能を伸ばしていくといった義務が不完全義務となります。
この分類を用いながら教員と学生双方の完全義務と不完全義務を提示したのですが、
そのうち教員の不完全義務の1番目に
「時間を厳守する (特に授業時間をむやみに延長しない)」 という義務を入れておきました。
これに対する反対意見、改善意見が殺到したのです。
すなわち、教員の時間厳守は不完全義務ではなく完全義務であるべきだ、というのです。
その理由は次の2つに集約されます。

「『時間を厳守する』 を完全義務にしてほしいです。学生が時間通りに教室に来ても教員がいなければ講義が始まらず、学習を進められないからです。」

「次の授業がある場合、学生はその授業を受ける権利があり、前の授業によってそれが侵害されるのは好ましくない。よって、時間厳守のためには1つの授業計画段階において、しっかりと時間配分を考えてほしい。」

つまり、時間厳守義務というのは開始時刻と終了時刻、
遅刻をしないということと、授業時間を延長しないということに分けられて、
それぞれに関してみんなきちんと守ってほしいと思っているようなのです。
開始時刻に関して言うならば、私たちのこの 「倫理学」 の授業では、
教員が遅刻をしないというのは完全義務と考えていると言っていいでしょう。
樋口先生なんて学生よりも早く教室に来て待っていてくれたりしますよね。
私はどちらかというと開始時刻もルーズなタイプだったんですが、
この授業においては樋口先生の影響で、けっこう律儀に時間を守っています。
というわけで遅刻をしないということについては完全義務でもいいかなという気もします。
こんなふうに書いてくれていた人もいました。

「完全義務については納得したが、教員の不完全義務の時間を厳守するということについて納得できない。時間を守ることを指導する立場でありながら遅刻するなどの行為はつつしむべきだと考える。数分ならば仕方ないが、忘れていたなどで数十分待たせ生徒が呼びに行くようなことは避けなければならない。数十分の遅刻をしないことを完全義務にいれるべきだと考える。」

この方は出だしの部分ではけっこう強硬派かなという感じがしましたが、
途中で 「数分ならば仕方ない」 とも書いてくださっていて、
だとするならば、時間厳守という義務そのものは不完全義務でいいということになるでしょう。
最後に提案してくれているように、完全義務として成立させるためには、
「○○分以上の遅刻をしないこと」 というように遅刻限度が何分かも書き込む必要が出てきます。
まあ、私たちの場合は開始時刻に関しては厳守するという方向で進めたいと思います。

問題は終了時刻のほうです。
時間ピッタリに終われるかどうかという点ですね。
これは難しいことなんだということを説明したつもりでしたが、
なかなか皆さんに理解いただけなかったようです。
もちろん私たちは終了時刻に関しても基本的にはきちんと時間通りに終わらせるつもりでいます。
2番目の方が書いてくれていたように、授業計画段階において時間配分は考えていますし、
授業中も時計を見ながら、きっちり90分で終わるように調整して進めています。
ただこれは2つの理由から、なかなか上手くはいかないのです。

1つは講義がライブであり、生ものであるという問題です。
私たちは生身の人間ですから、すべてを事前の計画通りに進めることができません。
前年度の授業でぴったり90分で話し終わることができたとしても、
次の年、まったく同じようにそれを再現できるかというとそうとは限りません。
また、話している最中に最近の時事ネタに絡めていい実例を思いついてしまったりして、
その話に熱中して時間を忘れてしまったりすることもあります。
そういう時ほど講義の内容は面白くなるのですが、
そういうことがあればあるほど時間管理は難しくなってしまいます。
前回の授業で 「相手の立場に立って考える」 ということの大切さをお話ししましたが、
特に、教員志望の人には自分もいつか教壇に立って話さなければならない、
ということを念頭に入れてこの問題を考えてみてほしいと思います。
例えば、45分だったり50分だったりの授業を本当に時間通りに終わらせられると思いますか?
もちろん時間通りに終わらせることを目指して授業をしなければならないわけですが、
それが完全義務だと言われて、本当に完全に守ることができるでしょうか?
近年では大学でもそうなのですが、
小中高校などは特に1回の授業が1つのテーマで完結することを求められます。
そうすると時間が来たからブチッと途中で終わらせて続きは次回に、
なんていうわけにはいきません。
私の場合は赴任したての頃はいつもそうでしたが、
毎回、話の途中でタイムアップになり、
次回とんでもなく中途半端なところから話し始めるなんていうことを繰り返していました。
それはそれで学生たちにとってはわかりにくい講義だったことでしょう。
毎回の授業を1つのテーマで完結させるということを目指すならば、
よけいに時間厳守というのは達成困難となるわけです。

時間延長を避けるために最初から90分ギリギリの授業計画を立てずに、
早めに終わるような内容にセーブしておくということも試したことがあります。
これだと毎回早く終われるので、学生の皆さんが次の授業に遅れるということはなくなります。
ただこの場合、時間厳守という完全義務は守られているのでしょうか?
こんなふうに書いてくれていた人もいました。

「『時間を厳守する』 は教員の完全義務でよいと思う。理由:生徒が授業料を払っているため、90分間しっかりと授業をしなければならないから。」

この人の立論からすると、早めに終わるのも時間遵守の完全義務違反であることになります。
したがって授業時間を延長することだけではなく、早めに終わることも許されないわけです。
となるとよけいに時間厳守というのは完全に遵守するのが難しいということにならないでしょうか?
というわけで時間ピッタリに授業するというのは、
皆さんが思っているほど簡単なことではないのです。
もちろん私たちとしてはピッタリに始まり、ピッタリに終われるように努力はしますが、
皆さんも 「自分が教員だったとして時間厳守で授業できるだろうか?」 と考えてみて、
若干大目に見る余裕をもっていただけるとありがたいと思います。

時間厳守が難しい理由はもう1つあります。
それは最近アクティブラーニングというものが流行っていて、
学生がただ受け身で授業を聴くだけでなく、
自分たちで考えたり活動したりする時間を設けることが求められるようになっています。
私たちの場合は別にその潮流に乗って始めたわけではありませんが、
授業内課題を課すようにしていて、授業中に皆さんに何か考えてもらったり、
それを書き留めてもらったりするという時間を設けています。
これをやると、知識の伝達量という意味では若干内容が薄まりますが、
学生個人の学びという意味では、学習の量と質が飛躍的に高まりますので、
私たちとしてもひじょうに重視しているところです。
しかしながら考えるにせよ書くにせよ、そのスピードには個人差があります。
例えば授業の一番最後に授業を振り返って何か書いてもらう課題を与えたとすると、
それを書き終わる時間は人によってまちまちになってしまいます。
書き終わった人から提出して帰っていいことにすると、
全員に対してピッタリ90分授業をするということは不可能になってしまいます。
早く書き終わった人にとっては授業時間が短かったということになり、
時間内に書き終わらなかった人にとっては授業は延長されたことになってしまいます。
残念ながら教員はそこまで完全にコントロールすることはできません。
ですので、時間厳守というのはやはり完全義務にはなりえないと思うのです。

もちろん長年の経験で大半の学生はこの課題を考えたり書いたりするのに、
これぐらいの時間がかかるだろうというのはだんだんわかってきたりします。
ですので、その程度の時間を見込んで課題を出すようにすることは当然のことながらしていますが、
それにしてもそれは大半の学生に合わせた対応であって、
異様に書くのが早かったり、異様に書くのが遅かったりする学生は必ずや存在するのです。
そういう個人差があるので、
時間厳守を完全に履行するのは難しいということもご理解願えたらと思います。
というわけで今回は次のようにお答えしておきたいと思います。

A.予定した授業内容を時間通りピッタリに話し終えるというのも至難の業ですし、
  学生に何か考えたり書いたりさせるという場合にはよけいに所要時間が読めなくなるので、
  時間厳守を教員の完全義務に組み入れるのは難しいだろうと思います。

どうしても完全義務に組み入れたいのであれば、
次のように分割して留保を付けて表現するしかないでしょう。
「教員は (特別な理由のないかぎり) 授業に遅刻してはならない。」
「教員は (極端に書くのが遅い学生を除いては) 授業時間を延長してはならない。」
しかしながら、留保を付けなければいけないという時点で完全義務の資格を欠いています。
ここまで限定的に表現するくらいなら、
「時間厳守は教員の不完全義務です」 でいいような気がするのでした。
いかがでしたでしょうか。
さらに反論があるようでしたら、コメント欄にお書き込みください。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一問一答形式でまとめて哲学... | トップ | Q.長所と短所は何ですか? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

教育のエチカ」カテゴリの最新記事