まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

子どもの発見 (その4)

2016-10-20 21:26:57 | 人間文化論
昨日の朝、駅に向かって歩いていたら、駅前通りがこんなふうになっていました。



わかりますかね?

舗装が剥がされているんです。

昨日と一昨日は一晩中、重機の音やクラクションなどが鳴りまくっていて、

何だか騒がしいなあと思っていましたが、こんな工事をやっていたんですね。

舗装道路の舗装って時とともにどんどん傷んで、

穴が空いたり轍ができたりしますから、時々こうやって張り替え工事をしなきゃいけないんですね。

舗装が剥がされたあとはどうなっているのか、もうちょっとアップにしてみるとこんな感じです。



土がローラーで固められた状態です。

相当踏み固められていますから、今朝はこの上をクルマがフツーに走っているわけです。

しかし、舗装しないでこのまま放ったらかしにして、そのうち雨が降ったりしたら、

ここも舗装されていない山道と同じようにただのドロドロの土の道に戻っていくでしょう。

こういうのを見ると子どもの頃のある光景が思い出されます。

私は子どもの頃横浜に住んでいましたが、通学路の途中に舗装されていない細い道がありました。

人間は通り抜けられるけどクルマは通り抜けることができず、

したがって道路沿いに建っている家の自家用車がごく稀に通ることはあっても、

それ以外にはめったにクルマの通ることのないような細い道です。

今にして思えば、そういう道だったからこそ舗装されていなかったんでしょうが、

小っちゃいまあちゃんにはそういうことは何もわかっていませんでした。

そしてその道は先ほどの駅前通りのようにローラーで踏み固められたりもしていなかったので、

雨になるとぬかるんでそれはもうグチャグチャになってしまうから、

子ども心にそこを歩くのがとてもイヤだった覚えがあります。

そのとき小っちゃいまあちゃんはこんなふうに思っていました。

「なんでこの道は公園でもないのにこんなふうに土が盛ってあるんだろう?」

当時私は団地に住んでいたのですが、団地の敷地内は基本的にどこも舗装されていました。

舗装されていないのは公園や芝生など子どもたちが遊ぶための特別な場所だけでした。

(本当は芝生は立ち入り禁止で遊ぶための場所ではありませんでしたが、

 子どもにとっては格好の野球場でありサッカースタジアムでした。)

そして小っちゃいまあちゃんは何を勘違いしたか、

公園や芝生というのは子どもたちのためにわざわざ土を敷き詰めてあるところで、

この土の下には舗装道路があると思い込んでいたのです。

自然ギライの私の原点がここに見て取れますね。

私にとっては舗装道路がデフォルトで (つまり、自然なありのままの姿)、

土のある場所というのはわざわざ人工的に作られた場所というイメージだったのです。

したがって先ほどの細い道も舗装道路の上にわざわざ土を敷き詰めてあると思っていたのです。

たしかにそんなことされたら迷惑千万ですが、そんなことをする人がいるはずありません。

と、大人の常識では思うのですが、子どもの思い込みっておそろしいですね。

いくつくらいまでだったかなあ、かなり長じるまでずっとそう信じ続けていました。

その思い込みから脱したときは大きな発見をしたような気分になったものでした。

ずいぶんご無沙汰していましたが、

以前に 「子どもの発見」 というシリーズを連載したことがあります (その1その2その3)。

今回もあのときのシリーズに倣って子どもの発見としてまとめてみると次のようになります。




発見その4 「土で覆われた道路は舗装道路の上に土が盛られているんじゃない。

       地面というのは基本的に土でできていて、

       その上を人間が人工的にアスファルトで固めたのが舗装道路である。」



うーん、いいことに気づきましたね。

誰かに言いふらす前に気づいてホントによかったです。

舗装道路の上に土が盛られているということは、

小っちゃいまあちゃんにとってはあまりにも当たり前すぎて、

わざわざ誰かに言おうという気にもならなかったのが幸いしました。

今はこの誤解も解けて、1日も早く舗装工事が終わってくれないかと願う今日この頃でした。

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