まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q .一番大切にしている物は何ですか?

2018-04-28 00:27:31 | 幸せの倫理学
これまでにお答えしたことがあるんじゃないかなと思って、

自分のブログのなかをあちこち探し回ってみましたが、

意外とこういう形では聞かれたことがなかったんですね。

「大切なこと」 というのであれば、先日の質問もその手の質問だったわけですが、

「大切な物」 についてはほとんど書いたことがないようです。

これがせめて 「物」 という漢字ではなく 「もの」 とひらがなで書いてあれば、

今ならば文句なく 「子ども」 と答えられるわけですが、

子どもがいくら大事でも、「大切な 【物】」 とは言えませんからね。

それじゃあ私の大切な物は何なんでしょう?

うーん、あまり思い浮かばないなあ。

どうも物に執着するタイプじゃないみたいですね。

代表質問のときにお答えしたように、クルマも自分で買わない主義で、

何でもいいから人からもらえればいいと思っているくらいですから。

うーん、何だろう?

食器とかグラスとか、そこそこ好きかもしれないなあ。

でもそういう割れ物って割れて当然だと思ってるから、

雑に扱ったりはしてないけど、そこまで大切にしてないしなあ。

「身代わり理論」 を信奉していますしね。

あと、本は大事かな。

ショーバイ道具ですし。

カント全集とかホント大切だなあ。



ただ、ぼくの場合、本に書いてある内容が大事なのであって、

本そのものへのフェティシズム的な愛着はありません。

初版本を集めたりとか、直筆原稿に憧れたりというような執着はないんです。

だから本そのものはそんなに大切にしてないかもしれません。

ガンガン書き込みとかしちゃうし、汚れたら買い換えればいいと思ってますし。

そういう意味では、本は大切な 「物」 ではないかな。

うーん、じゃあ何だろう?

ショーバイ道具といえば、パソコンは大切かもしれないなあ。

うん、そうだ、パソコンだ。

でもこれもパソコンそのものが大事なわけではありません。

パソコンに記憶されているこれまで書きためてきた文書のデータが大切なのです。

うん、それは大切だっ。

パソコンというよりもハードディスク?

いや、これもやはり物としてのハードディスクが大切なわけじゃなくて、

ハードディスクのなかのファイルが大切なんだな。

データとかファイルというのは 「物」 と言っていいんでしょうか?

情報は物?

その情報は電気信号という形でハードディスクのなかに実在していて、

その電気信号が大切なんだから、

データやファイルは大切な 「物」 と言っていいんじゃないかな?

ちょっと哲学的な問いに迷い込んでしまいそうですが、

そこまで突き詰めて考えるのはやめて、

今日のところは以下のようにお答えしておきましょう。


A.私の大切な物は、これまで自分が書きためてきた文書ファイルです。

  すでに出版・公刊されているものはまあいいですが (それも意外と大事)、

  まだ世に出せずに書き散らしてためてきている文書ファイルが失われたら、

  家族や恋人を失った人間のように私はオイオイと泣き続けるでしょう。

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