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団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

昭和は、頭髪という個人の人権も平気で無視されたブラックな時代だった。

2024-07-22 02:24:01 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「不良の時代」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。

 昭和時代が見直され、一種の昭和ブームになっているという。

 本当にそんなに古き良き時代だったか?と、おじさんとしては首をひねらざるをを得ない。

 おじさんは、中学生になった時点で「丸刈り頭」を強いられた。

 高校も丸刈りだったから、都合6年間くりくり頭で過ごした。

 軍隊の名残か。

 とにかく決められた規則は絶対だった。

 学生ズボンの太さまで決められていた。

 女子のスカートもまた同様だった。

 高校生のころ、なぜ丸刈りなのかと教師に聞いたら、「非行防止」だと彼は言った。

 丸刈りだと非行に走らないのか。

 ウソだと思った。

 昭和は、頭髪という個人の人権も平気で無視されたブラックな時代だった。

 甲子園球児を見ると、いまだに人権を無視して平気なのか、とがっかりする。

 非行の中身といえば、今は死語となった「不純異性交遊」がその一つ。

 思春期の男女が一緒に遊ぶのが”不純”なのだった。

 挙げ句に「桃色遊戯」で補導されたと新聞に出て、その字面が衝撃的でアスカ少年は丸刈り頭を悩ませた。

 そういえば、最近は「不良」という言葉も見ない。

 昭和は不良の時代だったかもしれない。

 (石原)裕次郎も(小林)旭も不良っぽかったし。

 以上です。

 昭和って何年代のことをいうのかな?

 昭和は長いです。

 私の中学・高校時代なら、昭和34年から昭和40年代ぐらいかな。

 日本が戦後成長し始めた時ぐらいかな。

 確かに学校の規則は絶対でした。

 中学に入ると丸刈りでした。少しでも髪があるように床屋で八分刈りにしてもらいました。

 私の学校は先輩達が頑張って、私が高校2年から頭の髪を伸ばすのを許されました。

 でも学帽を被らなければいけなかったので、帽子を取ると髪に帽子のスジが残っていました。苦笑

 私は父親に「28歳でお前もハゲる」と、言われていました。

 18歳まで丸刈りだったら、たった10年しか髪を伸ばせないのかとイヤになりました。

 高校時代好きな女学生がいましたが、禁止なので喫茶店に誘おうとは思いませんでした。

 実現できませんでしたが、「図書館に一緒に行きませんか」と、誘うぐらいかな。苦笑

 高校時代、名古屋にいとこと映画を見に行って喫茶店に入りました。

 いとこは成人していて、名古屋で働いていました。

 喫茶店に中学区生ぐらいの男女が入ってきました。

 「さすがに都会は違う」と思いました。

 髪の毛も自由、服装も自由だったのは、東海一の名門校 旭ヶ丘高校だけでした。

 頭のいい子は許されるんだと思いました。

 この学校、オール5でないと受験出来ません。

 私には縁のない学校でした。苦笑

 後年 義兄の孫が旭ヶ丘に入ったのにはビックリしました。

 うちの親戚に旭ヶ丘へ入る子がいるなんて。

 社会人になると、今と違って仕事は少しのんびりした雰囲気がありました。

 でも今だったら許されない言葉も横行していました。

 私の同僚が三十近くになっていました。

 たまたま東京からやって来た社長が「〇〇君、まだ結婚しないのか?」と、言いました。

 今だったら、パワハラでしょうね。

 個人の人権が、あまり尊重されていませんでした。






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