中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「不良の時代」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。
昭和時代が見直され、一種の昭和ブームになっているという。
本当にそんなに古き良き時代だったか?と、おじさんとしては首をひねらざるをを得ない。
おじさんは、中学生になった時点で「丸刈り頭」を強いられた。
高校も丸刈りだったから、都合6年間くりくり頭で過ごした。
軍隊の名残か。
とにかく決められた規則は絶対だった。
学生ズボンの太さまで決められていた。
女子のスカートもまた同様だった。
高校生のころ、なぜ丸刈りなのかと教師に聞いたら、「非行防止」だと彼は言った。
丸刈りだと非行に走らないのか。
ウソだと思った。
昭和は、頭髪という個人の人権も平気で無視されたブラックな時代だった。
甲子園球児を見ると、いまだに人権を無視して平気なのか、とがっかりする。
非行の中身といえば、今は死語となった「不純異性交遊」がその一つ。
思春期の男女が一緒に遊ぶのが”不純”なのだった。
挙げ句に「桃色遊戯」で補導されたと新聞に出て、その字面が衝撃的でアスカ少年は丸刈り頭を悩ませた。
そういえば、最近は「不良」という言葉も見ない。
昭和は不良の時代だったかもしれない。
(石原)裕次郎も(小林)旭も不良っぽかったし。
以上です。
昭和って何年代のことをいうのかな?
昭和は長いです。
私の中学・高校時代なら、昭和34年から昭和40年代ぐらいかな。
日本が戦後成長し始めた時ぐらいかな。
確かに学校の規則は絶対でした。
中学に入ると丸刈りでした。少しでも髪があるように床屋で八分刈りにしてもらいました。
私の学校は先輩達が頑張って、私が高校2年から頭の髪を伸ばすのを許されました。
でも学帽を被らなければいけなかったので、帽子を取ると髪に帽子のスジが残っていました。苦笑
私は父親に「28歳でお前もハゲる」と、言われていました。
18歳まで丸刈りだったら、たった10年しか髪を伸ばせないのかとイヤになりました。
高校時代好きな女学生がいましたが、禁止なので喫茶店に誘おうとは思いませんでした。
実現できませんでしたが、「図書館に一緒に行きませんか」と、誘うぐらいかな。苦笑
高校時代、名古屋にいとこと映画を見に行って喫茶店に入りました。
いとこは成人していて、名古屋で働いていました。
喫茶店に中学区生ぐらいの男女が入ってきました。
「さすがに都会は違う」と思いました。
髪の毛も自由、服装も自由だったのは、東海一の名門校 旭ヶ丘高校だけでした。
頭のいい子は許されるんだと思いました。
この学校、オール5でないと受験出来ません。
私には縁のない学校でした。苦笑
後年 義兄の孫が旭ヶ丘に入ったのにはビックリしました。
うちの親戚に旭ヶ丘へ入る子がいるなんて。
社会人になると、今と違って仕事は少しのんびりした雰囲気がありました。
でも今だったら許されない言葉も横行していました。
私の同僚が三十近くになっていました。
たまたま東京からやって来た社長が「〇〇君、まだ結婚しないのか?」と、言いました。
今だったら、パワハラでしょうね。
個人の人権が、あまり尊重されていませんでした。
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