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団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

記者は、スコアブックを睨みつけて悪戦苦闘されたでしょうね。

2017-03-24 04:45:17 | 日記
一昨日中日新聞の「中日春秋」というコラムに先日21世紀枠で甲子園の土を踏んだ
多治見高校のことが載っていました。



 その町にある高校が春夏を通じて甲子園に出場したのは1958年が最後というから、
およそ60年ぶりのことである。
待ちに待った地元はどんなに喜んだことか。
岐阜県立多治見高校。
残念ながら21世紀枠出場でつかんだ甲子園の夢の時間はほろ苦く終わったが

 一回戦、報徳学園はを相手に21対0。被安打21。
20位世紀枠出場高の最大得点差の敗戦。
試合終了は二時十分。
相手の報徳学園は選抜出場は二十一回目。
やけに「21」という数字がまとわりついているが、
その試合には、別の数字も隠れている
そしてうなだれる多治見高はその数字を誇り、
顔を上げるべきであろう。
その数字とは、「8」である。

 試合記録を見る。
多治見高は八つの三振を奪われた。
うつむいてくれるな。
傷口に塩を塗るつもりはない。
注目すべきは三振の中身。
八つはいずれも空振り三振である。
見逃し三振は一つもない。

 想像する。
初出場の緊張を。
古豪の圧力を。
無情な展開の切なさを。
それでも選手は縮こまらず、なんとかするんだと力を込めてバットを振った。
すべて空を切った。
されどその空振りに選手の信じる心と明日を見る。
「バットは振らなきゃ当たらない」。
わかっていてもそれが難しい人の世である。

 ナイスファイト。
次の夏を待つとする。
何と言っても全国最高気温をかって記録した多治見の球児たちでもある。

 以上です。


 さすが地元の中日新聞、よくぞあの試合での多治見高校の良さを見つけたものです。
記者は、スコアブックを睨みつけて悪戦苦闘されたでしょうね。
ここまでこじつけるのは、地元愛でしょうね。(笑)

 私が思ったのはやはり大舞台で選手があがってしまったことが、21対0の敗戦につながったように
思います。中学生でもしないエラーを多発しました。
野球の素人が言うのは口幅ったいですが、
強いチームとの対外試合を増やして、舞台度胸をつける必要があるように思いました。

 この記事に載っている1958年に甲子園へ行った高校は、
私が11歳、小学5年生ぐらいの時に甲子園へ行った多治見工業高校のことで、春・夏甲子園へ行っています。
多治見の街の市民は、試合当日テレビにかじりついていました。
当時は河村投手と言って、全国でも知られた好投手がいました。
この投手の力で2度甲子園へ行くことができました。
河村投手は、のちに中日ドラゴンズに入り、活躍されました。










黒羽町立川西中学校 昭和