2007年09月04日記載
田中耕太郎という人物を皆さんはご存知であろうか。現在活躍している若手の役者の話ではない。
内閣法制局長官・商工大臣・文部大臣、貴族院議員・参議院議員、最高裁判所長官を務め、天皇以外で唯一三権を総攬したとも言われる人物である。専門は商法学で、師匠は松本烝治、弟子は鈴木竹雄である。
弟子の鈴木竹雄先生には「幾山河」という日本における商法学の歴史を概観したエッセイー風の著作があるが、その中で鈴木先生は「田中耕太郎も知らない人間が新聞記者をやっている。」とお嘆きになっている。全く同感である。田中耕太郎を知らないということは、田中耕太郎が長官を務めていた期間の最高裁の判決・決定等を知らない可能性が高い。田中耕太郎は1950年~1960年まで、実に10年以上に渡り最高裁長官を務めているので、戦後日本社会の在り方を方向付ける多くの判決を下している。そのことを知らずに事件記事を書いたり、社会問題を論じても、それは薄っぺらなものになる。
果たして我が国の新聞記者で田中耕太郎を知っているのはどのくらいいるであろうか。知らない記者の方が多いのではないだろうか。そんなんだからろくな記事が書けないのだ。
そして、田中耕太郎を知らないのであれば、その師匠である松本烝治についても知らないのだろう。
松本烝治は敗戦後、国務大臣として新憲法の草案を作成することに尽力した人物である。(松本私案と呼ばれるものである。)その松本私案がGHQにより否定され、GHQで起草されたものをベースにして成立したのが現在の日本国憲法である。その過程は実に興味深いものがある。松本烝治は、なんとか國體(こくたい)を護持しようと私案を作成する。しかし、連合国軍側は國體護持は決して認めようとしなかった。國體と言ってもピンと来ない人が多いかもしれないが、敗戦時には國體が護持されるか否かが最も重要な問題であった。
上記で触れたのは歴史のほんの一断面に過ぎないが、それすらも知らず新聞記者をやっている人間が多いのではないだろうか。だから、憲法上の原則、刑事訴訟法上の鉄則に反するような有罪推定のような記事を書くのだろう。公器たる新聞の事件記事を書くのなら、憲法や刑事訴訟法くらい勉強しておけ。その裏にあった人間の葛藤を知っておけ。誰がどのような思いで憲法に刑事手続きに関する規定を置いたか知っておけ。
田中耕太郎という人物を皆さんはご存知であろうか。現在活躍している若手の役者の話ではない。
内閣法制局長官・商工大臣・文部大臣、貴族院議員・参議院議員、最高裁判所長官を務め、天皇以外で唯一三権を総攬したとも言われる人物である。専門は商法学で、師匠は松本烝治、弟子は鈴木竹雄である。
弟子の鈴木竹雄先生には「幾山河」という日本における商法学の歴史を概観したエッセイー風の著作があるが、その中で鈴木先生は「田中耕太郎も知らない人間が新聞記者をやっている。」とお嘆きになっている。全く同感である。田中耕太郎を知らないということは、田中耕太郎が長官を務めていた期間の最高裁の判決・決定等を知らない可能性が高い。田中耕太郎は1950年~1960年まで、実に10年以上に渡り最高裁長官を務めているので、戦後日本社会の在り方を方向付ける多くの判決を下している。そのことを知らずに事件記事を書いたり、社会問題を論じても、それは薄っぺらなものになる。
果たして我が国の新聞記者で田中耕太郎を知っているのはどのくらいいるであろうか。知らない記者の方が多いのではないだろうか。そんなんだからろくな記事が書けないのだ。
そして、田中耕太郎を知らないのであれば、その師匠である松本烝治についても知らないのだろう。
松本烝治は敗戦後、国務大臣として新憲法の草案を作成することに尽力した人物である。(松本私案と呼ばれるものである。)その松本私案がGHQにより否定され、GHQで起草されたものをベースにして成立したのが現在の日本国憲法である。その過程は実に興味深いものがある。松本烝治は、なんとか國體(こくたい)を護持しようと私案を作成する。しかし、連合国軍側は國體護持は決して認めようとしなかった。國體と言ってもピンと来ない人が多いかもしれないが、敗戦時には國體が護持されるか否かが最も重要な問題であった。
上記で触れたのは歴史のほんの一断面に過ぎないが、それすらも知らず新聞記者をやっている人間が多いのではないだろうか。だから、憲法上の原則、刑事訴訟法上の鉄則に反するような有罪推定のような記事を書くのだろう。公器たる新聞の事件記事を書くのなら、憲法や刑事訴訟法くらい勉強しておけ。その裏にあった人間の葛藤を知っておけ。誰がどのような思いで憲法に刑事手続きに関する規定を置いたか知っておけ。