2008年04月19日 22時00分記載
年金制度についてもそうだし、後期高齢者医療制度についてもそうだし、障害者自立支援法にしてもそうだし、障害者雇用制度にしてもそうであるが、社会的地位の高い人間の想像力が乏しすぎるから日本社会がいびつになっていると私には思える。
「経験してみないとわからない」というのは残念ではあるけれども、一面の真理でもあると思うので、だったら経験してみたらいい。
大臣・国会議員・中央省庁官僚・司法官僚・地方公共団体の首長・地方議会議員・自治体の幹部職員・大企業の役員等、社会的地位の高い人間に、今、実際に行われている制度を体感してもらいたい。
具体的には、まず、月6万円で生活を送ってみてもらいたい。6万円あれば最低限の生活は送れると考えてるから基礎年金を6万円に設定しているんだろうから。
そして、現在加入している健康保険組合を脱退して、後期高齢者医療制度に組み込まれてもらいたい。さぞかしいい制度なんだろうから。
さらに、車椅子に乗ったり、アイマスクをしたり、音を完全に遮断する器具を耳に入れたりして、障害者と同じ生活を少なくとも半年程度はしてもらいたい。1日や2日では本当の大変さはわからない。
上記のような体験学習を通して、今の日本社会が、どれほど若くて、健康で、障害のない人間でなければ生きにくい社会なのかを実感してもらいたい。自分達に見えているものが、どれだけ狭いものなのか、どれほど空疎な社会を構築しているのかをわかってもらいたい。そのようにしてやっと理解できる本当の「現実」を見据えたうえで、今一度、社会の構築をし直してもらいたい。
ある東証一部上場の、従業員が数千人いる会社の社長がメディアや講演会で、本まで出して得々とこういう話をしている。曰く、「早足で歩かないと音楽が鳴る廊下を作って効率性を上げた。」と。
この話を聞く度に・目にする度に私は複雑な思いに駆られる。
経営者として、効率性を上げ、利益率を上げ、株主により多くの配当をし、納税をし、企業価値を高めるということは正しい。しかし一方で、そういう会社では私のような下肢障害者は働けないだろうなとも思う。この会社には下肢障害者はいないのかな?いたらどういう気持ちで働いてるのかな?と考えてしまう。
これは一企業の問題に止まらない重要な問題を孕んでいる。
企業には、効率性を追求し、利益を少しでも多くあげることが一つの使命として課せられている。グローバルスタンダードという名のアメリカンスタンダードを、アメリカンスタダードという名のアングロサクソンスタンダードを押し付けられた会社法は明確にそのことを規定している。
しかし、障害者の多くにとっては、アングロサクソンスタンダードが求めるような効率性を発揮することは難しい。
従って、710万人いるとも言われる障害者のうち、労働者として就業している人間は50万人しかいない。この50万人のうちには、国の機関や地方自治体等、会社法が適用されず、効率性を極限まで追求する団体以外で働いている者も含まれている。
障害を持つ者が、アングロサクソンスタンダードが求めるような効率性を発揮して会社法の適用される企業で働いていくことが、どれ程困難なことであるかが理解してもらえるかと思う。
アングロサクソンスタンダードが求めるような効率性を発揮できない障害者はどうやって生きていったらいいのかな。
やっぱり・・・「死ね」ってことかな。
年金制度についてもそうだし、後期高齢者医療制度についてもそうだし、障害者自立支援法にしてもそうだし、障害者雇用制度にしてもそうであるが、社会的地位の高い人間の想像力が乏しすぎるから日本社会がいびつになっていると私には思える。
「経験してみないとわからない」というのは残念ではあるけれども、一面の真理でもあると思うので、だったら経験してみたらいい。
大臣・国会議員・中央省庁官僚・司法官僚・地方公共団体の首長・地方議会議員・自治体の幹部職員・大企業の役員等、社会的地位の高い人間に、今、実際に行われている制度を体感してもらいたい。
具体的には、まず、月6万円で生活を送ってみてもらいたい。6万円あれば最低限の生活は送れると考えてるから基礎年金を6万円に設定しているんだろうから。
そして、現在加入している健康保険組合を脱退して、後期高齢者医療制度に組み込まれてもらいたい。さぞかしいい制度なんだろうから。
さらに、車椅子に乗ったり、アイマスクをしたり、音を完全に遮断する器具を耳に入れたりして、障害者と同じ生活を少なくとも半年程度はしてもらいたい。1日や2日では本当の大変さはわからない。
上記のような体験学習を通して、今の日本社会が、どれほど若くて、健康で、障害のない人間でなければ生きにくい社会なのかを実感してもらいたい。自分達に見えているものが、どれだけ狭いものなのか、どれほど空疎な社会を構築しているのかをわかってもらいたい。そのようにしてやっと理解できる本当の「現実」を見据えたうえで、今一度、社会の構築をし直してもらいたい。
ある東証一部上場の、従業員が数千人いる会社の社長がメディアや講演会で、本まで出して得々とこういう話をしている。曰く、「早足で歩かないと音楽が鳴る廊下を作って効率性を上げた。」と。
この話を聞く度に・目にする度に私は複雑な思いに駆られる。
経営者として、効率性を上げ、利益率を上げ、株主により多くの配当をし、納税をし、企業価値を高めるということは正しい。しかし一方で、そういう会社では私のような下肢障害者は働けないだろうなとも思う。この会社には下肢障害者はいないのかな?いたらどういう気持ちで働いてるのかな?と考えてしまう。
これは一企業の問題に止まらない重要な問題を孕んでいる。
企業には、効率性を追求し、利益を少しでも多くあげることが一つの使命として課せられている。グローバルスタンダードという名のアメリカンスタンダードを、アメリカンスタダードという名のアングロサクソンスタンダードを押し付けられた会社法は明確にそのことを規定している。
しかし、障害者の多くにとっては、アングロサクソンスタンダードが求めるような効率性を発揮することは難しい。
従って、710万人いるとも言われる障害者のうち、労働者として就業している人間は50万人しかいない。この50万人のうちには、国の機関や地方自治体等、会社法が適用されず、効率性を極限まで追求する団体以外で働いている者も含まれている。
障害を持つ者が、アングロサクソンスタンダードが求めるような効率性を発揮して会社法の適用される企業で働いていくことが、どれ程困難なことであるかが理解してもらえるかと思う。
アングロサクソンスタンダードが求めるような効率性を発揮できない障害者はどうやって生きていったらいいのかな。
やっぱり・・・「死ね」ってことかな。