昨日の続きで極楽寺から御霊神社へ。
2冊目の御朱印帳に記帳をお願いしました。
人形作りの80才のおじいちゃんとおしゃべり。
十六夜日記をテ-マに人形の制作です。
名前は知っていましたが、内容にはとんと知らぬ半兵衛。
早速、勉強しておじいちゃんと話が出来るように。
建治3年(1277年)~弘安元年(1278年、あるいは弘安2年(1279年)~弘安3年(1280年)にかけて、
実子藤原為相(冷泉為相)と為相の異母兄・藤原為氏(二条為氏)との間の、
京都では解決出来ない所領紛争を鎌倉幕府に訴えるために京都から鎌倉へ下った際の道中、
および鎌倉滞在の間の出来事をつづる。
阿仏尼の夫・為家は播磨国細川荘を当初は長男為氏に譲るとしていたが、
後に悔い返して遺言で為相へ譲るとしていた
(公家法では悔い返しは認められない、武家法では認められる)。
ところが為氏が遺言に従わず細川荘を譲らないため阿仏尼は訴訟を決心し、
60歳近くという当時としては非常な高齢にもかかわらず我が子を残し鎌倉へ向かう
(武家法による判決を得るため)。
その間の道中、女流歌人でもある阿仏尼は各地で風物、名所・旧跡や感慨を日記に書く
一方で頻繁に和歌に読む(これに関しては『伊勢物語』の東下りの段の影響が指摘されている)。
鎌倉到着後は現地の人々とも和歌の贈答を行うが、
肝心の所領紛争の解決を見ることなく阿仏尼は亡くなり、日記も終わっている。
平易で簡潔な記述の中にも母子愛に支えられた強い信念がうかがえる。
話から,
極楽寺は、昔、大きなお寺さんであったそうです。
おじいちゃんから聴きました。
こうして小さな旅を続けているといろいろなことを教わります。
鎌倉古地図から極楽寺です。
あじさいの小道に人が・・・
ありがとうございました。
清水さんの影響でしょうか、神社に必ずお参りするようにしています。
今日は、京都清水寺で東北の蝦夷の英雄のアテレイとモレの法要に行きます。
1000年も前の人で、自分とぜんぜん関係の無い人なのに・・・・・・
アテレイやモレのことを勉強していて清水寺まで足を運んでしまいます。
丁度、清水寺の本堂の大修理が見学出来るとか。楽しみですね。
帰りには、少し早いのですが、紅葉を楽しんでこようと思っています。
東寺によってかんらさいに逢って来ようとおもっています。
東寺では、特別拝観を「行っていますので五重塔の1階の拝観や、金堂の立体曼荼羅の仏様に
お参りです。