新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

防衛予算の43兆円が不人気とあっては

2022-12-19 07:27:56 | コラム
岸田文雄内閣総理大臣にはお気の毒な事だと感じた:

今朝の産経新聞の5面の片隅に「防衛増税不支持64%」という共同通信の世論調査の結果が載っていた。早朝のテレ朝のニュースでは「岸田内閣支持率が続落して33%」とか報じていた。たった今Yahooニュースを開くと「毎日新聞の調査で支持率が-6%で25%に、不支持率が+7%で69%に」と出てきた。

あらためて痛感したことは「我が国には未だに憲法第9条に縋っていれば平和で安全な生活が送れるだけではなく、何処からも侵略される危険性がない」などと固く信じている人と「財政の均衡が国の安全よりも優先すべきだ」と信じている人たちも数多くいるとのだという事実だった。それほど朝日新聞や野党の連中の言う事が正しくて良いのだと思っている人が多いようなのは、誠に寒心に堪えないと思った。

当方はどちらかと言えば岸田文雄内閣総理大臣という方には満幅の信頼を置いていない方だ。だが、民主主義を信奉する我が国で(何処かの国の前大統領が未だに主張して止まない「選挙に不正があった」などいうことはあり得ない)正統な選挙で我々国民が選んだ総理大臣を批判しても、国の命運をお任せする選択肢しかないと信じている。

私は岸田総理が選択された防衛増税も三文書も現今の国際情勢の下では「正しくて良い事」をなさったと思っている。だが、先日も指摘したように遺憾ながら岸田さんは何か正しくて良い事をなさろうとする前に、地固めがキチンとできていないままに見切り発車されてしまう傾向があるのだ。私はそれを“disorganized”、即ち「準備不足」と形容したが、国民を納得させ、反対勢力を黙らせるに足る説明も不十分ではなかったかと思うのだ。

私は何度も述べてきたように「私が一人の普通の国民として主張することは、全てマスコミ報道と週刊誌の記事に基づいているのであって、テレビが尊重するような専門家のような情報も知識も毛ほどにもない」のである。従って謙って言えば「間違っていたらご免なさい」なのだ。ではあっても、岸田総理が目指しておられる方向は正しいし、国民の為には良い事だと思っている。

岸田総理には「もうそろそろ『聞く力』から脱却されて『解き明かす力』に方向転換された方が宜しいようで」と申し上げて終わる。


CoCoKARAのお陰で

2022-12-18 08:09:41 | コラム
今更ながら英語の勉強をしている:

先日も取り上げたこのGoogleから送られてくるCoCoKARAには毎日「英語の勉強」となる情報が送られてくる。受信の度に信号音がするのでどうしても開くことになる。そこには「へー、知らなかった」というのもあれば「そんな表現を覚えても(知らされても)使える機会は来ないと思うが」と思わせるような、アメリカ語の日常会話にしか出てこないようなというか、非常に口語的な表現も出てくるのに興味を惹かれる。

実例を挙げる前にお断りしておこうと思う事がある。それは、私はある程度以上自分で言いたいことを英語で表現出来るようになっていると思っていたので(I know how to express myself in English.のように表す)アメリカ人のビジネスの社会の中に入っていったのだった。

しかし、そこでは「それは何という意味」、「何故そういう言い方になるの」と尋ねないと解らない表現に屡々出会ったので、「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」で聞き返すことができたので、大袈裟に言えば毎日が英語の勉強のようだった。その環境で過ごしたお陰で、日常の業務に支障を来すことがないように進歩することもできた。

その聞き慣れていない表現には慣用句(idiom)もあれば口語体(colloquialism)俗語(slang)等が随所に出てくるので、戸惑うことが多かった。更に正直なところを言えば「私にはそういう聞き慣れない表現が上記のどの分類に入るのかも解らなかった」が、それらを理解しないことには彼らについて行けないことになってしまうのだったので、兎に角、外国人の私が何を尋ねても不思議ではないだろうと思って、質問することにしていた。

先日取り上げた“rain check”などは、その典型的な例になるだろうが、生半可な単語の知識では到底追い付かない表現である。その後に「~ of stock」で「在庫切れ」なので「~」の中にどのような単語が入るかというのが出ていた。答えは「out of stock」なので、私もその通りかと思ったが、疑問だなと感じた点もあった。

それは実際に何度か使った表現に、例えば“The customer ran out of domestic paperboard inventory.”のような「得意先が国産の板紙の在庫が切れた」という言い方もあった。ここでご注意願いたいのは「在庫」をinventoryと言って、stockとはなっていないことなのだ。実は、私は今日に至るまでinventoryとstockの違いを殆ど意識したことがなかった。そこにCoCoKARAがstockを使う表現を出してきたのだった。

今回初めて辞書を引くことにした。ジーニアス英和にはstockは「(しばしば)在庫品、ストック、仕入れ商品」と出ていた。Oxfordには“a supply of goods that is available for sale in a shop/store”とあり、解りやすかった。即ち、「在庫切れ」と言うよりも「商品が店頭の陳列棚に無い」ということのようだ。

次にinventoryを調べてみた。ジーニアス英和には「(財産・商品などの)目録、一覧表、棚卸表。(米)在庫、全在庫品」とあった。「なるほど、それで我々はstockとは言わなかったのか」と思った。Oxfordには“a written list of all the objects, furniture, etc. in a particular building”とあり、2番目に“(North American English)all the goods in a shop”とあった。CoCoKARA氏はKing’s English派だったようだと思った。

なお、上記に“run out of inventory (stockでも良いと思うが)という熟語に触れておいたが、私は“run out of stock”のような形の方が自然ではないかと思っている。例えば“Do you carry new seasoning by Kewpie?”とお客様に尋ねられて、“Sorry, sir. We ran out of inventory.”と答えても良いと思う。なお、「在庫が不足している」は“We are running short of stock.“で良いだろう。

この辺りの言い方は日常的にアメリカでもUKでも使えると思う。だが、rain checkのような表現は知識として覚えておくのは結構だと思うが、一般の方が、これを使って“Sorry. Let me take a rain check. I have a previous engagement.”のような会話になる事があるとは思えないのだ。

また、「小難しい英語の話をするのか」と思われずに、これを読まれて「英語(アメリカ語)とはそういうものか」とお考え願えれば十分に有り難いのだ。CoCoKARAには未だ未だ興味深い表現が出てくるので、今後も折に触れて語って見ようと思っている。


防衛予算の増額の為の増税に思う

2022-12-17 07:52:23 | コラム
岸田文雄内閣総理大臣という方はdisorganizedではないのかな:

増税による防衛予算の増額は閣議決定されたとか報じられていた。私は現下の我が国を取りまく危険極まりなくなりつつある情勢では、この岸田総理が決められた防衛予算の増額は至極尤もであると考えている。これまでにも「私の主張は全てテレビと新聞と一部の週刊誌の情報に基づいていて、一般人としてはそれら以外の情報源はない」と申し上げてきたが、それ以外に判断の材料はないのである。

そのような条件に下に岸田文雄内閣総理大臣が決められて、実行段階に持っていこうとされる当然のような諸々の政策には「それは結構なご決定で是非実現を」と申し上げたいものがあるのは確かだ。今回の防衛予算もそのうちに入ると思う。だが、総理にとって意外だったかも知れない事態が生じていた。

それはただ反対することが能事である立憲民主党に「閣内不一致」と非難されてしまった事などは何も特記に値しないが、高市早苗大臣の「罷免覚悟」の反対論も出てきていた。

私が残念なことではないかと感じたのは「総理大臣は決して間違った政策に打って出ようとしていないにも拘わらず、閣内どころか与党内からですら反対の声というか批判が出てきたこと」なのである。総理の今回の「国民として当然」(だったか?)発言もそうだが、岸田さんの言われることを聞いていると、disorganizedという表現を思い出してしまうのだ。

このdisorganized(disorganisedはKing’s English)では、我が事業本部のMBAの誉れ高きマネージャーが兎角この言葉を使って批判されていたのを思い出したのだった。彼は秀才で色々と多彩な発想をして新機軸を打ち出そうとするのだが、イザその独自の案を会議などで発表すると、あちこちに準備不足だった点が現れて「アイディアは良いのだが、全員に公開するのにはdisorganizedではなかったか」と批判されてしまうのだった。

即ち、折角アイディアの内容も指向する目標も大変結構なのだが、そこに到達する為には如何なる態勢を整えておくべきかを事前に深く考えていなかったとか、上層部や同僚や工場の幹部に根回し(これに相当する英語の表現はないと思うが)ができていない(する前に)段階で先走って発表してしまったということ。即ち、準備不足なのだ。これを聞いた周囲の者が“He is disorganized like that all the time.“のように指摘していたのだった。

私は今回の岸田総理に対する批判の声を聞いて「総理は折角良いことを発表されるのであれば、予算措置についてなどは事前に鈴木俊一財務相等々の予算担当の部署と摺り合わせをされておかれる必要があったのではないのかな」と思ってしまうのだった。即ち、disorganizedではなかったのかなと感じたのだった。だが、報道を聞いていた限りでは、事前に根回しされたとはなっていなかったようだ。(間違ったらご免なさいだが)

因みに、disorganizedはOxfordには“badly planned; not able to plan or organize well”とあり、ジーニアス英和には「計画などが組織だっていない、ずさんな(反対語にwell-organized)」とある。何となく、例によって英語の講釈のように聞こえそうだが、私が言いたいことは「岸田さん。準備不足だったのではありませんか。それでは折角の2%への増額案が非難されてしまうのです」だった。あの政調会長時代の30万円給付案を提示されたときと同様に。

余談であるが、今朝ほどの4時のニュースで新橋の根室酒場の平山という支配人が「コロナに30兆円(と聞こえたと記憶)を使ったのに、防衛費を1兆円増額する為に増税とは納得出来ない。折角忘年会シーズンで戻ってきた客足がまた落ちるかも」と増税案を真っ向から非難していた。こういうところで反対の声が上がっていたのが印象的だった。


12月16日 その2 「W杯サッカーの準決勝戦を観て」の訂正版です

2022-12-16 08:45:27 | コラム
素晴らしい技術と凄いとしか言いようがない身体能力の争いだった:

我らが代表は残念ながら敗退してしまったので、興味半減とまでは言わないまでも多少関心が薄れてしまった。それでも、午前4時の早起き高齢者としては「そうだったのだ」と気が付いて、この2試合は途中から観戦した。

個人的にはエムバペ(Mbappe Lottin、23歳。カメルーン人の父親とアルジェリア系フランス人を母に持つ言わばハーフ)のような若手を中心として連覇を目指すフランスと身体能力の素晴らしさが際立っていたモロッコの試合に大いに関心があった。ところが、チャンネルを合わせたときには既にフランスが先に点を取っていたし、モロッコに覆せるだけの力はないと読んだので、勝負としての面白さはなかった。

だが、試合の内容には大いに興味も関心もあった。特にモロッコの選手たちの身長の高さと凄いとしか形容しようがない身体能力には唯々感心するのみだった。あのように優れた体格の選手たちがピッチに並んだ光景を見て、懐かしく思い出したことがあった。それは1970年代後半だったかに初めてシアトルでMLBの野球を見た時に圧倒された「選手たちの体格」である。

勿論大感激だったのだが、特に圧倒されたのが彼らの体格だった。内野ではダイアモンド型のグラウンドに野手たちの林が立っているかのようにすら感じた。未だそれほどアメリカ慣れしてはいなかった頃だったので彼我の体格というか身長の差には圧迫感を覚えていたので、MLBの選手たちの体格には本当に圧迫感があった。それと同じような迫力をモロッコの選手たちに感じさせられていた。

しかも、モロッコに選手たちはその体格を十分に活かせるだけの高度のサッカーの技術を身につけて(足に付けてかな?)巧みにパスを繋いでボール占有率ではフランスを凌駕していたが、フランスの堅守に遭って決定的な形を作れないままに0対2の敗戦となったのだが、あの後半にペナルティーエリア内で見せた正確なサイクルキックなどは本当に驚異的だった。

私にはモロッコにフランスのディ画フェンス網を突破出来るだけの組織力が備わっていなかったのか、フランスのディフェンスの能力が未然に防いだのかまでは解らないが、あれほど攻め続ける機会があっても1点も取れなかったのでは、さぞかしもどかしく焦る思いの90分間だっただろうと、少しばかり同情した。

この試合には私がサッカー以外に感じたことがあった。それは、アフリカの国であるモロッコには黒人の選手を見かけなかった気がすることだ。人種を取り上げるのは不適切かとは思うが、何となく「アレッ」と思わせられていた。と言うのも、フランスの選手構成は何も数えていた訳ではないが、かのエムバペ君を始めとして凄い身体能力と走力を見せるアフリカ系の選手が多いのだった。

この事実は、フランスが嘗てはアフリカの沢山の植民地を持っていたことから説明出来るだろうが、何となく話しが反対のように思えた。言い方を変えれば、それだけアフリカ系には優れた身体能力に加えるに高度なサッカーの技術と、「凄い」としか言いようがない走力をも備えていた点が目立っていた大会だった。

アルゼンチン対クロアチア戦にも触れておかねばなるまい。アルゼンチンの名手・リオネル・メッシはこの大会を最後のW杯にすると表明したそうだが、この試合の後半に見せたあのゴールラインまで「上手いな。凄いな」としか言いようがないドリブルで持ち込み、更にゴールラインに並行して持ち込み、鮮やかな斜め後ろへのパスを出して得点できる形を作り上げた辺りは、誰にも真似ができない力だっただろう。

そのメッシを中心にするアルゼンチンの技巧的且つ組織的なサッカー(と私には見えたが)、アフリカ系選手の身体能力と技術を加えたフランスとも対決になる決勝戦は、予想などを許す余地がないと思う。だが、残念ながら18日の日本時間午前零時からキックオフでは、それに合わせて起きているか、早寝にして起きてでも見るかとまでは気力も体力も無いように思える。

再度申し述べておきたいことは、今大会ほどアフリカ系の優れた選手たちの存在が際立っていたことがないという点だ。このコインの裏側にあることは8強に残った国とその中ら決勝戦に勝ち上がったフランスもアルゼンチンも野球が盛んな国ではないという事。即ち、先頃指摘したことで「我が国で女子の種目が国際的に強いのはプロ野球と相撲がないこと」と関連していると思えるのだ。

また、私の偏見かも知れないが、少年たちにとって「サッカーに対する興味が野球を上回っている」と聞こえてくる割りには、未だに優れた素材は野球を指向しているのではないかということ。即ち、先日も少し嘆いたように、サッカー界からは未だ大谷翔平やダルビッシュ有のような圧倒的な存在である選手は出ていないようなのだ。

それはそれとして、この大会における我らが代表の格上のドイツとスペインを退けた大健闘は大いに賞賛すべきだったと思うのだ。希望的観測ではあるが、何時の日か、我が国にもモロッコにひけを取らない優れた身体能力を活かした素晴らしい技術も兼ね備えた選手たちが沢山出てくることに期待したい。


W杯サッカーの準決勝戦を観て

2022-12-16 08:36:16 | コラム
素晴らしい技術と凄いとしか言いようがない身体能力の争い:

我らが代表は残念ながら敗退してしまったので、興味半減とまでは言わないまでも多少関心が薄れてしまった。それでも、午前4時の早起き高齢者としては「そうだったのだ」と気が付いて、この2試合は途中から観戦した。

個人的にはエムバペ(Mbappe Lottin、23歳。カメルーン人の父親とアルジェリア系フランス人を母に持つ言わばハーフ)のような若手を中心として連覇を目指すフランスと身体能力の素晴らしさが際立っていたモロッコの試合に大いに関心があった。ところが、チャンネルを合わせたときには既にフランスが先に点を取っていたし、モロッコに覆せるだけの力はないと読んだので、勝負としての面白さはなかった。

だが、試合の内容には大いに興味も関心もあった。特にモロッコの選手たちの身長の高さと凄いとしか形容しようがない身体能力には唯々感心するのみだった。あのように優れた体格の選手たちがピッチに並んだ光景を見て、懐かしく思い出したことがあった。それは1970年代後半だったかに初めてシアトルでMLBの野球を見た時に圧倒された「選手たちの体格」である。

勿論大感激だったのだが、特に圧倒されたのが彼らの体格だった。内野ではダイアモンド型のグラウンドに野手たちの林が立っているかのようにすら感じた。未だそれほどアメリカ慣れしてはいなかった頃だったので彼我の体格というか身長の差には圧迫感を覚えていたので、MLBの選手たちの体格には本当に圧迫感があった。それと同じような迫力をモロッコの選手たちに感じさせられていた。

しかも、モロッコに選手たちはその体格を十分に活かせるだけの高度のサッカーの技術を身につけて(足に付けてかな?)巧みにパスを繋いでボール占有率ではフランスを凌駕していたが、フランスの堅守に遭って決定的な形を作れないままに0対2の敗戦となったのだが、あの後半にペナルティーエリア内で見せた正確なサイクルキックなどは本当に驚異的だった。

私にはモロッコにフランスのディ画フェンス網を突破出来るだけの組織力が備わっていなかったのか、フランスのディフェンスの能力が未然に防いだのかまでは解らないが、あれほど攻め続ける機会があっても1点も取れなかったのでは、さぞかしもどかしく焦る思いの90分間だっただろうと、少しばかり同情した。

この試合に私がサッカー以外に感じたことがあった。それは、アフリカの国であるモロッコには黒人の選手を見かけなかった気がすることだ。人種を取り上げるのは不適切かとは思うが、何となく「アレッ」と思わせられていた。と言うのも、フランスの選手構成は何も数えていた訳ではないが、かのエムバペ君を始めとして凄い身体能力と走力を見せるアフリカ系の選手が多いのだった。

この事実は、フランスが嘗てはアフリカの沢山の植民地を持っていたことから説明出来るだろうが、何となく話しが反対のように思えた。言い方を変えれば、それだけアフリカ系には優れた身体能力に加えるにこうどなサッカーの技術と、「凄い」としか言いようなない走力をも備えていた点が目立っていた大会だった。

アルゼンチン対クロアチア戦にも触れておかねばなるまい。アルゼンチンの名手・リオネル・メッシはこの大会を最後のW杯にすると表明したそうだが、この試合の後半に見せたあのゴールラインまで「上手いな。凄いな」としか言いようがないドリブルで持ち込み、更にゴールラインに並行して持ち込み、鮮やかな斜め後ろへのパスを出して得点できる形を作り上げた辺りは、誰にも真似ができない力だっただろう。

そのメッシを中心にするアルゼンチンの技巧的且つ組織的なサッカー(と私には見えたが)、アフリカ系選手の身体能力と技術を加えたフランスとも対決になる決勝戦は、予想などを許す余地がないと思う。だが、遺憾ながら18日の日本時間午前零時からキックオフでは、それに合わせて起きているか、早寝にして起きてでも見るかとまでは気力も体力も無いように思える。

再度申し述べておきたいことは、今大会ほどアフリカ系の優れた選手たちの存在が際立っていたことがないという点だ。このコインの裏側にあることは8強に残った国とその中ら決勝戦に勝ち上がったフランスもアルゼンチンも野球が盛んな国ではないようという事。即ち、先頃指摘したことで「我が国で女子の種目が国際的に強いのはプロ野球と相撲がないこと」と関連していると思えるのだ。

また、私の偏見かも知れないが、少年たちにとって「サッカーに対する興味が野球を上回っている」と聞こえてくる割りには、未だに優れた素材は野球を指向しているのではないかということ。即ち、先日も少し嘆いたように、サッカー界からは未だ大谷翔平やダルビッシュ有の圧倒的な存在である選手は出ていないようなのだ。

それはそれとして、この大会における我らが代表の格上のドイツとスペインを退けた大健闘は大いに賞賛すべきだったと思うのだ。希望的観測ではあるが、何時の日か、我が国にもモロッコにひけを取らない優れた身体能力を活かした素晴らしい技術も兼ね備えた選手たちが沢山出てくることに期待したい。