新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月7日 その2 アメリカにおける女性の在り方

2021-02-07 17:09:56 | コラム
我が国とアメリカの文化の相違を痛感する:

森喜朗オリンピック組織委員会長の発言があってから、女性の在り方について議論が出てきたようだ。そこでこの際、森喜朗氏の発言とは無関係だと思いつつも、私の20有余年のアメリカの会社での経験を手短に振り返ってみようかと思う。

私は日本駐在マネージャーだったが、アメリカの会社の組織の一員として20年以上勤務した間に、数多くの本部と工場の女性マネージャーや社員たちと共に仕事をして来た。幸か不幸か、私はドイツとアメリカ留学が永かったと聞いた父(私が4歳の時に交通事故の被害で死亡)に仕込まれた母に、子供の頃から“Ladies first”(「レディーファースト」はカタカナ語で、これが正式だ)を仕付けられた。

それに加えて、戦後間もなくからGHQの秘書の方に英語と共に「レイデイースファースト」で鍛えられたので、知らず知らずのうちに、そのような礼儀作法が身に付いていたのだった。この点では、アメリカ人たちの世界に入っても、それほど苦労はしなかったが「女性は怖いもの」という意識を持ち続けていた。

しかしながら、後年アメリカ人の世界に入って見れば、「レイデイースファースト」は多くの場合「外面」というか「上辺」だけのことだったと確認できたのだった。例えば、女性には椅子を惹いて座らせたり、階段を先に上がって後から降りるとか、車には後から乗るとか、立ち上がればコートを着せるとか等々は、何れも当初は見せかけだったものが習慣となって残っただけだったと言って誤りではないのだと思う。1950年代には女性が銀行に口座を開設できなかった事は何度も述べて置いた事だった。

会社組織にあっては、確かに女性にも管理職になっている人は珍しくはなかった。そういう人だけに限らず、彼女らは「男」に対する抵抗意識が極めて強く、余程注意して接しない事には手厳しくやられてしまう危険性があるので、常に細心の注意で接していた。勿論、誇り高きMBAもいるのだから要注意だ。特に上司というか男性からは奥方を伴って会食をしようと誘われる事が多く、この際は余程アメリカの女性の扱い方に慣れていないと思いがけない苦労をすることになる。それは言葉遣い、話題の選択、食事の礼儀作法、服装、動作等々が要注意なのである。

ウエアーハウザーでは本社機構にはCEO以下で800人ほどいたが、その中で数ある事業部の中に女性の副社長兼事業部長は皆無だった。アメリかでは女性が社会進出していると喧伝されているが、実態はそんなもののようだ。但し、例外と言って良い例を挙げておくと、CEOの姪がある。彼女は有名私立大学の4年制では航空工学専攻でありながら、YaleだったかでMBAを取得して、ウエアーハウザー・ジャパンで2年間日本市場分析のエコノミストとして勤務してから本部に戻っていった。

しかし、彼女はその後にCEOが社外役員を務めていたボーイング社に転進した。そして順当に出世し日本支社長から本社の副社長にまで昇任していた。私は彼女が東京にいた間に2~3度ほど話した事があったが、誠に頭脳明晰。何れは昇進するだろうとは思っていたが、4大時代の専攻を活かしてボーイング社に転進していたのだった。

私は彼女のような上に能力を活かして組織の立つ型の女性と、有能な秘書のように男性のボスの至らざる点を補って寧ろ「ボスをその掌の上で踊らせるように」引き立ててくれる型と、二つに分かれていると思っている。私は幸いにも、勤務した2社で何れも有能な秘書に恵まれ、無事に勤め上げた。そこので教訓は「上に立つ人は女性の適性を見抜いて適材適所で配置すべきである」だった。

なお、私の経験では「アメリかの能力が高い女性たちは無駄な事を言わずに簡潔に語るものだ」と認識していた。但し、アメリカの女性たちと我が国の女性では、育ってきた文化も思考体系が異なるので、同列には論じられないと思っている。



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