セーヌの水は甘いかしょっぱいか:
上原浩治に言われてしまった事:
女子のサッカーの無念の敗退記があったので、この件を取り上げるのを先送りしてしまった。そこで彼にTBSの「喝」の時間に言われてしまい、後手を踏む結果になった。それは「メダルラッシュ」などと浮かれていると(何処のどいつが浮かれているかは言うまでもないだろう)また誰かにルールを変えられてしまいはしないかと気になる」という事。これは重大な問題である。
思い出して貰えば、水泳の平泳ぎだったかでは潜水泳法で圧勝できたかと思えば、早速「潜水泳法禁止(だったか制限した)との新ルールを設けて我が方の泳者を閉め出した。やられたかと思えば、ガレーボールで我が国に強くなられてしまったのを見て「ワンタッチあり」との新ルールを導入し、柔道ではまるでボクシングのリングように大きさを制限し、場外だの指導だの何の等を決めて、恣意的に彼等が戦いやすいルールを導入してしまったではないか。
間もなく危なくなりはしないかと思わせられたのが、男女とも連覇した「スケートボード」と、不勉強で何種目で金・銀・銅を獲得するという輝かしき成果を挙げた未確認だが「フェンシング」が先ず考えられる。野球もソフトボールも確か競技をしている国が少ないとか言う理由で、日本が強いから外されていたのではなかったか。英語を使って焦点をぼかしておくと、“white supremacy”を犯されたくないのかなと・・・。
「完全アウエイ」状態:
昨日の女子バスケットボール・グループリーグ最終戦の対ベルギーの試合。何にも考えずに見ていて、間抜けなことに「何であれほど多くのベルギー人がスタンドで応援しているし、ベルギーが得点すると喜ぶ者が多いのか」と感じていた。そこで気が付いたことは「そうだ、この試合はベルギーの隣国と言っても良いフランスでのことで、当然だが『完全なアウエイ状態』のゲームだった」だった。意味は違うが「四面楚歌の声を聞く」のような感があった。
その女子選手たちがさぞかしやり難い感興だっただろうと察しがついたのは、アナウンサーだったか解説者が「ベルギーは日本に27点以上の差をつけて勝てば、グループリーグ3位でも突破出来るとの条件があったので、凄い意気込みで当たってきている」と知らせたのだった。結果は正しく27点差の大敗だった。
不思議であり残念だった現象は、如何に「完全アウエイ状態」であったにもせよ、3年前の東京では2位だったティームが、その時の主力選手を残した構成で臨んだこのオリンピックではグループリーグで3戦全敗だったこと。恐らく対戦した諸国は我が方を完全にスカウテイングし終えていて、3ポイントを打たせないようなディフェンスを構築し、ゴール下での身長差を活かした争いに持ち込むゲームプランが出来ていたのだろうと思った。
換言すれば「ホーム」と「アウエイ」ではあれほどの違いが生じたのであると共に、スカウテイングの能力が十二分に発揮されていたのではないのかという事。ホーバス監督の後を引き継いだ恩塚亨氏には失礼な言い方になるだろうが、経験と指導力に差があったと見えて仕方がない。
判定の問題:
色々と言いたくなるような判定が多かったと思っている。上原浩治がテレビで言ってしまったことの中には、こういう問題も入っていたのかも知れない。公平・公正無比の判定が為されなくてはならないと思う。中でも残念すぎたのが、男子サッカーの細谷のオフサイドの判定。あれだけは素直に理解できなかったし、機械の判定偏重のようにも思えてならなかった。矢張り「アウエイではねー」なのかもだが、その場でも勝てるほど強化せねばなるまい。
電子機器で人間の目が及ばないところを判定させるのも良い制度かも知れない。だが、既に指摘したように「公平を期そうとばかりに、全世界の国から審判員を出させる制度が最善か否かは、再検討の要がある」と思う。解りやすく言えば「世界の水準に達していない国の元選手や、善意から意欲を見せて審判員を目指した人が、世界最高水準にあるオリンピックの試合を判定するのは無理があると思うのである。
あの柔道の永山の「待て」が聞こえなかったという主張の後で、「待て」をかけてから抑え込んでいる選手の背中を叩いて通告していた審判がいた。この程度の配慮が出来る者なら任せても良いだろう。でも「公平」を期するのは微妙で難しそうなことではないかな。
マスコミに望みたいことは「メダルラッシュなどと歓喜している裏側には『しょっぱい水』を飲まざるを得なかった選手たちがいることを理解して、その辺りまでを忘れずに報道してあげて欲しい」なのである。