小林鷹之氏は知名度が不足なのか:
昨19日、総裁選に立候補を表明した小林鷹之氏については、殆どのテレビ局が「知名度が不足している事が問題である」かの如くに報道している。あれほど繰り返して「知名度不足」を取り上げれば「知名度を上げましよう運動」でも心がけて小林氏を応援しようとするのか、あるいは知名度不足の人物は推薦しないし、自民党の総理/総裁に相応しくないとでも言っているかと思わせられてしまう。「知名度」は総裁/総理の絶対条件なのだろうか。
加えて、小林氏の49歳という年齢も噂だけに止めている小泉進次郎氏の43歳についても「若さ」というのか「若過ぎる点」も問題にしている感がある。マスコミが「年齢」を云々するのは「若いから経験不足であり、長幼の序を重んじていないようなのは怪しからん」とでも言いたいのか、あるいは他の60歳以上の9人が「世代交代の危機に瀕している」と同情しているのか。
因みに、知名度を言うのならば、当方は小林鷹之氏については、22年8月に岸田内閣の閣僚に任じられた時点で、充分にその存在を認知して評価していたが。
そこで、「知名度」とはそもそも如何なる意味かを追求してみた。広辞苑にはきわめてあっさりと「世間に名が知られていること」とあった。そもそも一国の総理大臣になろうと思う人物には能力と知性や教養の他に知名度が高いことが必須なのだろうか。知名度を上げたり下げたりするのは政治家当人の働き方如何にもかかっているが、マスコミの取り扱い方も大いに影響するのではないのか。なお、「年齢」については別途考察してみる。
念のために、英語ではどういう表現になるのかも調べてみた。意外にも、そこには色々な言い方があった。最も手っ取り早く解りやすい気がしたのは“little known”で”well known“の反対語のようだ。”popularity“や”recognition“というのもあった。そうかと思えば、phraseになっていて”lack of name recognition”のような言い方も出てきて、英語独特の「詳しい説明」をしているのもあった。小林氏がこのどれに該当すると言うのだろうか。
自由民主党が見限られていまいそうな事態(誰に?)に遭って、所属する国会議員と地方の党員がどのような基準で次期総裁を選ぶのだろうか。小林氏もその範疇に入ってしまうのかどうか、現在立候補を噂されている方々は自由民主党の今日の退勢に負の貢献をしてきたのではなかったのだろうかと、ふと考えてしまった。
矢張りというか何というか、マスコミ論調に批判の如くにもなってしまった。
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