新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月23日 その4 スポーツ用語のおかしさと面白さ

2017-07-23 16:52:08 | コラム
スポーツの言葉:

Artistic swimming:
実は、「シンクロナイズドスイミング」(=synchronized swimming)に「ソロ」という種目があるのは面白いなと思っていた。それは”synchronize”とは「同時に起こる;[・・・と]同時性を持つ、同時に動く」という意味だとジーニアス英和にもあるからだ。ソロ、即ち単独で泳いでいる(演技している?)のでは、誰かに合わせて同時に動く訳には行かないと思って見ていた。

ところが、国際水泳連盟はこの度その種目の名称を「アーテイステイック・スイミング」(=artistic swimming)に変更すると決めたようだ。ソロではなくて、2人以上で泳いでいる種目の方が多いにも拘わらずだ。いい気に芸術の域に格上げ?してしまったのは面白い。

シンクロナイズドスイミングは英語のままで和訳していなかったので覚えやすかった。例えば、「同調的泳法」では何のことかサッパリだっただろう。これと似たような感がある美しく華麗に演技する「新体操」という体操の競技がある。この英語の名称は”rhythmic sportive gymnastics”となっている。これを「新体操」とは誰が訳したのか知る由もないが、凄い感覚だと思う。この訳者も連盟も従来の内村君たちの体操が「古い体操」になったと思っておられない様子なのも興味深い。

「高さがある」:
これは「スポーツ中継の用語集」というハンドブックが存在し、それに載っている「身長が高い選手たちが相手を身長差で圧倒した場合」を表現する用語であると思っている。恐らく、何処かの局のアナウンサーがヴァレーボールの試合ででも使い始めて以来、編集者が用語集に採用したのだと推理し解釈している。私は素直に何故「彼乃至は彼女が身長差を活かしてスパイクを打ち込んだ」とか「身長の高さを活かした見事なヘデイングシュート」とでも言わないのかと思っている。

「~にペナルティー」:
これはラグビーの試合の中継のみに使われている。これはおかしいと思う。それは、多くのアナウンサーが「~にペナルティー」と、反則をして相手テイ―ムにペナルティー・キックが与えられる時に叫ぶからだ。Penaltyには確かに「・・・に対する/・・・に課せられる刑罰、処罰」とジーニアス英和にはあるし、反則をしたのだから罰則があるのは当然だ。だが、彼らが言うべきことは「~が此れ此れ云々の反則を犯した」と言うべきで、いきなり罰が与えられる訳ではない。

正確には「オフサイドの反則を犯して、相手にペナルティー・キックが与えられます」と言うべきではないのかな。小うるさいことを言うようだが、カタカナ語排斥論者としてはおかしな言葉遣いは批判しておくべきだと信じている。実際に起きたことを正確に伝えて貰いたいから、敢えて採り上げてみた。

野球用語は面白い:
かねてから、私は野球用語は誤ったカタカナ語の宝庫だと言ってきた。今回はその中から目立ったものを一つだけ採り上げておこう。それは「シングルヒット」で、一塁までしか行けない安打を意味しているようだ。ところが、”single”とは、ジーニアス英和にも「たった一つの、たった一人の、ただ一つ」とあるように、これでは「たった一本のヒット」という意味にしかならないと思うのだ。だが、我が国では十分に通用しているのが凄い。

英語では”base hit”と言っていて、二塁打ならば簡単に”double”で、三塁打が”triple”となっている。「シングルヒット」は先人が知恵を絞って”base hit”を訳されたのだろうが、見当が違ったように思える。


7月23日 その3 相模様へ

2017-07-23 13:23:39 | コラム
相模様

お懐かしゅう御座います。コメントに感謝申し上げます。


私はこれは精一杯の皮肉を籠めたつもりでした。そうでもしないことには、低民度の悩みは解決されないだろうと言いたいのでした。その辺りをUSTRの嘗ての代表者・カーラ・ヒルズ大使の1994年7月の名言「対日輸出を増やす為には、労働組合員たちの識字率向上と初等教育の充実が必要である」に倣ったのです。

大使は「そうでもして労働者の程度を上げないことには、日本市場に受け入れられるような輸出用の製品が出来ない」と強調されました。「何だ、解っておられるじゃないか」と思ったのです。我が国でも民度を上げないと、何時まで経っても罪な気一般大衆は、野党とマスメディア連合に扇動されて乗せられてしまうのだと危惧するものです。

我が友SM氏はトランプ様をエンターテイナーと言いましたが、面白い表現だとお感じました。あのTwitterに見られる乱暴な言葉遣いは、彼の固い支持層であるプーアホワイト以下に向けてのものだと見ております。

真一文字拝



7月23日 その2 増加する外国人旅行者に思うこと

2017-07-23 11:08:04 | コラム
外国人旅行者の増加を歓迎すべきか:

私にはこの件で懸念していることがある。それは違法民泊と言うか隠れ民泊の増加その一つだ。我がアパートですら既に一件(一軒?)摘発されていたのには「矢張りか」と「驚き」の両方を感じた。公的な宿泊設備が不足すれば、その筋の方々や既に住み着いている何処かの不良外国人たちが手がけても不思議ではないと思うのだ。そうだからこそ、この百人町/大久保地区には連日の如くにあのガラガラを引きずる白くない外国人たちが出入りするのだろう。大久保通りから横道に入って見ろという指摘は随分前にしてあった。

その他には、中国、韓国、東南アジア、バングラデシュ、パキスタン、ネパール等の人たちは、無理をしてでも何とか我が国に一旦入れば「ここは良い国」と思って法を犯しても帰らないのは当然だろう。一度ハラルフード店のバングラデシュ人に英語で尋ねてみたが「自分たちの国よりもこの国は多少物価は高いが暮らしやすい」と答えた。英語が出来る自慢ではない。彼らは元はと言えばUKの領土だったのだから、公用語のベンガル語以外に英語は達者であるから、彼らの怪しげな日本語を聞くよりも話が早いと思ったからだ。

為政者は一度でもイスラム横町に来て視察すべきだと何度も言ってきた。穏やかな無法地帯のようでもあるし、多くのハラルフード店の倉庫と思しき辺りの汚さはスラム街の如きだ。私も把握していなかったが、仏教国だと思うネパールの料理屋も増えていた。最初にイスラム横町に出来た店には一度入ってみて、二度と行くまいと思ったほど不味かった。

その急増したネパール料理店のオウナーの一人と思しき人物とは午前中にジムで出会っている。彼に「あの店は良くない」と言ってみたら「料理店が流行るか否かの分かれ道は、良い材料を使っているかいないかだ。往々にして一度人気が出ると材料を落としたがるもの」と聞かされた。ではあっても、私は彼らは知ってか知らずにか、我が国を食い物にしていると疑っている。

大体、彼らイスラム教徒やネパール人たちは如何なるビザで滞在し、商いをしているのだろうか。行政機関や出入国管理局はこの現状をどう考えているのだろうか。

以上、二つの理由で、私はこれ以上の外国人に向かって「日本良いとこ一度はお出で」キャンペーンを続けない方が良いと思うのだ。ここ新宿区百人町/大久保界隈に巣食う連中は、政治的な悪さはしないと思うが、そうではない危険性を秘めた国の連中が既に十分に増えてしまっているのではないのか。

多忙だった7月22日

2017-07-23 08:31:54 | コラム
都内は何処に行っても外国人だらけ:

22日は09:45に出発して中央区京橋の理髪店に向かった。最短でも90分を要すると思っていた。ここ新宿区百人町からシルバーパス利用で行けば、いくつかの路線が考えられる。ところが、外に出た途端にその一案だったKBバスに乗り遅れたので、新大久保駅前から新橋駅に都バスで行く計画に変更。ところが駅前まで行くと予期せざる飯田橋駅行きが来てしまったので、ままよと乗車。そこで計画になかった柳町駅前から都営大江戸線に乗ることに変更。

京橋まで行く理由は前回説明したが、偶には都心に出てみるのも大いに現状を知る為になる。また、懐かしさもあって「温故知新」かとも考えている。それほど東京都内の中心値は変化し続けているのだ。京橋周辺でも知らないビルばかりだ。そこを離れて40年以上も経てば当然か。

大江戸線では飯田橋方面に行く電車に乗る。それは、勝ちどきまで行ってから考えようかという行き当たりばったりの考え。ところが、車内放送で「蔵前で都営浅草線に地上で乗り換えが可能」と思い出させてくれた。それならば理髪店である宝町に行けると閃き、蔵前で下車。改札口で教えられた通りに蔵前通りに上がれば、何と浅草線まで220 m先の表示。

暑さの中を歩き出すと、7~8人の何処の国人か知らないが女性ばかりの白い外人が群れを為して、同じ方向に黙々とトローリーケース(キャリーバッグなんて英語はない、念の為)を引きずって歩いていた。こういう街にも彼らが宿泊する施設があるかと感心。同じ浅草線を目指すのかと思えば、人品骨柄卑しい(失礼)日本人の案内人は地下に行きたがる外国人たちを「ストップ」と怒鳴って止めていた。念の為に言っておくと、私ならば瞬間に”Hold it.”だったかも知れない。

蔵前から宝町まで8分。そこまでで我が家を出てから何と60分。理髪店に着けばお馴染みの理容師さんに「お早いお着きで」と言われてしまった。即ち、未だ11時を一寸回ったところ。こういう経路もあったかと、自分で自分を少しだけ褒めても良かったかなと思った。この時間帯でも中央通りの延長線上には何名かの外国人を見かけた。将に”They are everywhere.”である。

12時前に終わって外に出て、1974年に新設したM社の東京事務所を置いたビルが直ぐ近くなので、43年振りに訪れてみた、未だあの建物は残っているだろうかと。このオフィスは三越の内装部門に依頼して近代的な設計と国産の有名メーカーの家具を用いた洒落たものだった。だが、私は残念ながらそう長いことここにはいないで諸般の事情がありW社に移っていった。そのSビルはあった。だが、最早築40年以上では建て直しが必要ではないかと思いつつ、再び浅草線で新橋に向かった。

新橋では駅前の地下街で手洗いを探して彷徨ったのだが、ここにも多くの外国人が歩き回っていたし、地上に出て小滝橋行きの都バスのバス停に向かっても、新橋駅を出入りする外国人は引きも切らない。蔵前でもそうだったが、ここでも銀座でも有楽町でも白い外人の比率が我が新宿区と比べれば圧倒的に高いのが特徴か。尤も、中国人か台湾人かと思しき家族連れも相変わらず多い。

安倍総理はさぞかしこういう流れにはご満足かも知れないが、私は何処の馬の骨かも知れない(は言いすぎかも知れないとは思うが)外国人の短期滞在の旅行者が増え続けることは不安材料に思えてならない。数多く見かける白い外人たちの服装と持ち物を見る度に思うことは「彼らは決して所謂支配階層の人たちではない様子だから、遙か我が国までやってくる経済的負担は大きいのではないのか」なのだ。それでも、我が国には彼らを惹き付ける何かがあるのかと思う。

それにつけても一寸不思議に感じることがある。それは、我がW社には日本とその市場を評価してあれほど頻繁に訪れて(出張の意味だが)いた連中で、誰一人として引退後に個人的に訪れた者がいないのだ。何故だろうか。家内の見解は「在職中に多くの場所を訪れたし日本食も試したので、今更自費を投じて行くこともないと思っているのでは」だった。リピーターとやらにはならないのだそうだ。即ち、引退後には、それまでに訪れたことがない国の行きたいのではないかということだそうだ。

新橋駅前を12:41発のバスで新大久保駅前に戻れば、そこにはアジア人ばかりの賑わい。帰宅は13:40頃だったか。この街は欧米人を惹き付ける魅力に乏しいのか、または好ましからぬ地域とでも見做されているのかと考え込まされた。土曜日のバスの旅の走行時間は週日よりも15分ほど短ったが、車内では空調が効いていて涼しかったので猛暑を忘れさせて貰えた。バスで移動すれば夏は涼しく冬は暖かいのが有り難い。

それにつけても思うことは、今や都内は何処に行ってもAPA HOTELがあるし、総合的に部屋数は増えているようだが、違法民泊も横行しているようだ。そうである以上、外国人受け入れ態勢は万全ではないのかと疑わせる。だが、何処に行っても中国語と思しき言葉で話している者たちを中心に外国人の旅行者を数多く見かける。私にはもうこの辺りで一度立ち止まって、様子を見たらどうかと思うのだが、如何なものだろう。