新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月14日 その2 文在寅大統領論

2017-07-14 17:04:50 | コラム
素晴らしい指導者・文在寅大統領:

今や世界には「自国さえ良ければ」という理念に燃えた指導者が増えてきたのは紛う事なき現実だと思う。先鞭を付けたのがトランプ大統領で「アメリカファースト」のスローガン掲げて、まさかの大統領選挙を勝ち抜いてしまった。そのひそみに倣ったとしか思えないのがマジックを駆使して「都民ファーストの会」を大勝利に導いた小池百合子東京都知事だと、私は考えている。尤も、小池都知事の場合には「自分ファーストではないか」という噂もあるようだが。

このお二方の他に私が「ファーストの会」の新規会員に数えたいと思うようになったのが、韓国の文在寅大統領である。この大統領は選挙キャンペーン中から”Boys be ambitious”に触発されたのか、夢のような理想的な政策を掲げて大統領になってしまった。その評価は我が国では決して高くはないし、新たな動くゴールポストが出現したかと危惧されていると思う。

13日夜のPrime Newsではこの「文在寅政権の命運」が、前夜の安倍総理の限界論に続いて採り上げられていた。BSフジは何故かこの手の特集に呼んでくるのが有識者の間で兎角の評判があると言うべきか「札付き」とでも言いたい恵泉女学園大学准教授の李泳菜氏をゲストに迎えている。

李准教授と言い東海大教授の金慶洙さんと言い、韓国の論客の方々は「我こそが絶対に正しい」とばかりに頑強に自説を主張して譲らず、常に論戦の相手が致命的に間違っているという論旨を展開するだけで、近況の場合などは、彼女がいるだけでまともな討論会にはさせないのである。13日の夜も司会の反町が「そんな風に考えているの」と呆れ返ったように李准教授は「広島への原爆の投下が韓国の独立を助けた」と堂々と主張したのだった。

それはさて措き、私は主たるゲストだった武貞秀士拓殖大学大学院特任教授の解説で、漸く文在寅大統領が自国の現在と未来を深く考えた政策を掲げる立派な自国を第一に考えておられる政治家だと解ったのだった。そんなことも解っていなかったのかと自らの不明を恥じた。考えてもご覧じろ、彼は南北朝鮮の聖なる平和的統一に燃えて、いつ何時でも条件が整えば金正恩との会談に平壌に馳せ参じると表明したではないか。同じ民族が相争うことなく統一することは麗しい理想ではないか。

また彼は戦争なき平和統一を目指して、その障害になる何十万人という在韓米軍には可及的速やかにお引き取り願って、朝鮮人民だけの国を作る理想に燃えておられるのだ。その統一の相手である北朝鮮は世界に冠たる核保有国であるが、その核実験もmissileの開発も話し合いで一時凍結させようと真剣に努力しておられる。既に東西統一を終えたドイツに倣うべく、その理想論を主とした演説を歴代大統領に倣ってベルリンで語ってきたではないか。

彼の眼中には、北朝鮮を裏と表から、UNやアメリカが何と言おうと、支え続けている習近平や、ウラジオストックへの航路を設定したプーチン大統領の思惑というか野心というか政策などの恐ろしさは存在しないかの如くだ。文在寅大統領は如何なる困難をも乗り越えて開城工業団地を再開して北朝鮮に資金を提供することを辞さないと言う崇高な姿勢も見せているではないか。これぞ「自国ファースト」でなくて何だ。

私は上記のような崇高な理想を追い求めておられる文在寅大統領にとっては、不可逆的合意の再交渉や日本の歴史認識不足問題などは「大事の前の小事」に過ぎないのではないかと、希望的に考えたいのだ。彼は80%もの支持率を頂く希有な大統領である。その支持率を維持し続ける為には、80%の国民を満足させる為には、アメリカが何を言おうと関係ないのであり、南北統一を実現させて韓半島に平和をもたらして、アメリカや日本の世話などにならない国を創り上げようとされているのだと良く解ってきた。

文在寅大統領に与えられた次なる大きな課題は、またワシントンDCに飛んでトランプ大統領と懇談して「THAADなどという習近平様のご機嫌を損ねる兵器は不要と申し出て、自国の平和を金正恩とのコラボで実現させるから、今後は無用な介入をなさらないで」と申し込むことになるだろう。安倍総理に不可逆的合意の再交渉を持ちかけるのは、後回しにして下さるのではなかろうか。

ここまで来ると、私には「自国第一を第一義に掲げる指導者がこれ以上増えれば、世界はG20だのG7だのパリ協定だのと皆で集まって仲良く語り合って自由貿易を楽しもうなどという時代は何処かに雲散霧消するのではないかと、一人密かに恐れているのだが。


あーあ、稀勢の里

2017-07-14 07:39:52 | コラム
マスコミの餌食になったのでは:

何度も述べてきたことで、私は相撲に関心がないし「あれはスポーツではなく、日本伝来のと言うか江戸時代から続いている興業である」とも指摘してきた。それでは何でこの期に及んで稀勢の里を採り上げるのかである。それは彼がマスコミに余りに過剰に持て囃された結果と、明らかに怪我による練習(稽古と言うようだが)不足で、目下開催中の場所で負けてばかりいるのみならず、またぞろ負傷したようだからだ。

マスコミの持て囃し攻勢は琴奨菊が優勝してしまった時から一層過激となり、その悪影響からか彼は明らかに思い上がりの嬉しそうな表情になり、アッという間に転落していった。そこにはモンゴル出身者からしか横綱が出ないせいもあって、日本出身という奇妙な紹介のされ方をする力士が優勝すると、マスコミは待ってましたとばかりに総力を挙げて過剰に持て囃すのだ。

彼ら優勝力士にその煽て上げる声が直接には届かないとしても、力士たちはテレビも見ればスポーツ新聞だって読むだろう。自分が賞賛されている記事を見れば良い気分になるだろう。そこには、本人が如何に自戒しようとしても「俺は偉いのかな」と思いたくなるものではないのか。それが証拠に稀勢の里は優勝する前の顔付きと、横綱昇格後ではまるで異なる、言わば「傲慢不遜」なものに私には見えたのだった。

しかも、相撲嫌いの私に言わせて貰えば、彼の優勝の時には白鵬が不在だったので、古い言い方で「鬼の居ぬ間に洗濯ジャブジャブ」だった気がしてならない。しかも、その直後のあの左上半身を打った怪我である。私は怪我などは「練習不足」か「筋力の鍛え方不十分」か「気の緩み」で生ずるものだと確信している。稀勢の里には「気の緩み」も「練習不足」も当てはまると思う。

繰り返し言うが、あの同郷という高安の好成績があった後の、マスメディアの褒め称え方は異常と言うよりも「やはりそう来たか」と思わせてくれた有害無益なものだった。私でさえ彼ら二人が共倒れになりはしないかと気遣ったほどだ。稀勢の里君は横綱の責任感からが負傷が回復していない様子のままに登場し、負傷を抱えていれば負けるのは当然という惨敗(らしい)を続けた挙げ句の負傷である。陳腐な言い方をすれば、マスメディアの持ち上げすぎと練習不足のコラボレーション(カタカナ語だ!)ではないか。見ていてご覧、そのうちに稀勢の里批判の論陣を張るよ。

結論めいたことを最後に言えば「日本出身の力士たちはマスメディアの持ち上げすぎに十分に注意して、いくら褒めあげられても自己過信に陥ることなく、思い上がらないように努め、琴奨菊と稀勢の里の轍を踏まないように心がけること」が肝腎ではないか。こういう現象は興業の世界だから起こること。NHKには可及的速やかに相撲をスポーツニュースから除外して「興業」の枠を設けるべきだ。

プロ野球やサッカーのJリーグなどで優勝したからと言ってタニマチとやらが集まって優勝者が片手に大きな鯛を持って祝い、大きな杯で酒を飲むか。私は健康管理上も運動選手が酒や煙草を嗜むことは良くないとすら考えている。それにも拘わらず相撲は・・・となるのだ。