新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月1日 その3 韓国国会議長の来日と米韓首脳会談

2017-07-01 13:09:47 | コラム
平昌五輪への日本人観光客が少なければ・・・・等々のコインの裏側:

産経が「韓国議長放言連発」と題して、一面で丁世均韓国国会議長が6月7日に来日した際の放言を採り上げていた。一方の文在寅大統領の初訪米でのトランプ大統領との首脳会談は、武藤元駐韓大使が予測されたように「穏便に」終わったのか、終わらせられたのか知らぬが、文大統領はその後の講演では「北とは対話が大切」と彼の信念を披瀝して見せた。この際の聴衆は韓国系アメリカ人だったのだろうか。そんな場で言うのならば、トランプ大統領に向かって、力の限り言えば良いじゃないか。

その首脳会談の穏便さの陰に隠れていたのか、示し合わせていたのか知る由もないが、丁世均議長は大島衆議院議長との会談で言いたい放題だったようだ。私にはアメリカでは自制してみせるのだから、日本では鬱憤を晴らして均衡させようとでも図っていたのかと疑いたくもなる。

産経によれば放言となっていたが、私から見れば暴言であるようなことを言っていたようだ。先ずは「平昌五輪への日本人観光客がもし少なかったら、東京五輪には1人の韓国人も行かせない」と言ったようだ。素直に「沢山来て下さい」と言えない辺りが「日本に親しみを示してはならない」という家訓(国訓?)を意識したのだと思う。

次は「日本は景気が良いのだから、ビザを簡素化して韓国の若者を日本企業で引き受けてほしい」だが、これは「我が国では若者の失業率が高く国家的な問題なので日本も援助して下さい」の裏返しだろう。武藤元駐韓大使も言っておられたが「韓国最高のソウル大学の卒業生でも、就職できるのは50%程度」だそうだ。我が国の新卒の就職率と比較すればその失業の深刻さが解る。

最後は「所謂『BC級戦犯』とされた韓国人への戦後補償もチャンとやってほしい」らしいが、例によって例の如くに「歴史認識」を持ち出している。なるほどこういうことをヌケヌケと言い出たし辺りに、文政権の実態というか正体が見事に現れているようだ。

私には6月7日のことが何故今頃産経に出てきたのか知らないが、大島議長はかかる暴言に対してその場で言うべきことをビシッと言われて封じ込められたのだろうと、遅まきながら期待している。何度でも言うが、「沈黙は金」ではないのが諸外国との会談の鉄則で、「黙っていれば認めたのか、受け入れたことになる」を忘れてはならない。

韓国人は我が国に対しては何をしても何を言っても良いのだという、所謂「反日無罪」とやらの不文律の如きがあるようだ。ではあっても、この丁世均が言ったことは酷すぎるし、非常識だし程度も低い。産経以外が採り上げなかったのは俗に言う「シカト」だったのならば面白いが、朝日新聞の優れた記者さんたちはまさか知らなかったことはないだろうに。


首位の座を守る

2017-07-01 09:41:28 | コラム
その座に到る努力とそこに止まることの大変さ:

このところ、安倍内閣と安倍総理にとっては悪材料が整いすぎたのか、何処かの誰かが意図的に整えたかの感が濃厚だ。いや、文藝春秋社などはその目的で記事を出しているのだろうとすら思ってしまう勢いだ。前川前文科事務次官は「頭角の意図はない」とは言っていたが、「コインの裏側」を見れば、その意図はは丸見えではないのか。

以前にも述べたことで、W社の我が事業部が日本市場最大の占有率(カタカナ語にすれば#1シェアーホールダー)を獲得した後におけるその地位を維持する大変さと苦しさと難しさは、事前に予想することも出来なかった困難なことだった。即ち、それに相応しい振る舞いと態度、品質を絶対に落とさない努力、偉そうな顔と言うか今流行の「どや顔」などで顧客に接してはならないこと等々は、そこに到って初めて解ったのだった。

私はスポーツの世界の公式な大会で優勝した経験がない(第3回国体では高校の部で準優勝)ので実感がないが、県下の小さな大会(と言うのもおかしな表現だが)では優勝したことがあった。しかし、優勝とは言わば瞬間的な感動だが、市場占有率第1位は長く続かせたいので、それに酔いしれている訳にはいかないのが優勝にはない難点であると、イヤと言うほど思い知らされた。

より具体的に言えば、市場も消費者も同業他社も我が方の一挙手一投足を事細かに見守っているのではないかというような疑心暗鬼にとらわれた時もあった。不安だった。また、お客様も同業他社も我が方の価格政策を常に注目しているので、市況や為替の動向を見誤ることなどは許されないのだ。このような辛さを経験して、competitorに落い着き追い越せの努力をしていた頃の方がよほど楽しかったと実感したのだった。

ここまで言いたいことは、長くその座に安住していれば何時かは何処かに緩みが出てくるし、緊張感も欠けてくるだろうことは容易に察知できたのだ。その点では「安倍一強」などとマスコミに形容されては、安倍総理が慢心されなくとも、既に多くの2回生とやらが起こした遺憾千万な事例が示すように、下々ではそこまでに駆け上がってきた苦労がないので、思い上がり現象と気の緩みが出てきたのだと思っている。

思い起こせば、当時の我が方の事業部の態勢は副社長以下、本部の10人にも満たない横一線で並んだ10人にも満たない部員と東京駐在の私が直接の担当者で、何百名もいる玉石混交の自民党の衆参両議院たちと比べれば統一が取れていて緊張感に溢れ、失言も失点も失態もなく#1の座を維持できいた。

第2次安倍内閣誕生以降は総理の指導力宜しきを得た上に、アベノミクスもそれなりの成果を上げてきた。確かにマスコミが言うように数の力を活かして政権は安定している。総理の多方面にわたる外交戦略も十分に効果を発揮し、あのトランプ大統領とも友好関係を築き上げられた。だが、「好事魔多し」の喩えもあるように、長期政権ともなれば閣僚にも与党内にも疲労も生じてくるものらしい。最近の出来事などは、如何に敏腕な菅官房長官といえども、これまでのように巧みには乗り切れていない感がある。

私が見るところでも、2回生問題という内憂もあれば、内閣を改造する度に問題を起こしやすい大臣を起用している嫌いがある。そこに村田某始め玉木、山野井、福山、小川等々の民進党の揚げ足取りの専門家連中につけ込む隙を与える結果になってしまったようだ。私は「発言の撤回」などはまるで無意味だと思う。いくら撤回しても、テレビで連日のように報道されては世界中に広まってしまうからだ。

私は昔は「大臣」というのは本当に偉い方だけがなるもので、清廉潔白、人格高潔、博学多識、品行方正、由緒正しき家系と家庭の方がなるものだと思っていた。現在のように滞貨一掃などとマスコミに揶揄されて、当選回数でなれる代物とは知らなかった。既にマスコミは内閣改造で起用されるだろう顔触れの予想が華やかだ。

私は内閣改造はするに越したことはないと思うし、8月などと悠長なことを言わずに、ASAP(可及的速やかに)で実行した方が良くはないかとすら考えている。そうでないと、反安倍内閣のメデイアは連日のように村田某の切り口上での悪口を嬉しそうに流し続けることだろうし、籠池夫人は如何にも自分たちが被害者であるかの如くに言い続け、マスコミはそれに飛びつくだろう。

事態はそれほど安倍内閣にとって不利なところに来てしまったような気がするのだ。マスメディアはあの民主党政権の時のような悪い夢を見たいと望んでいるとしか思えない。私は事態を見誤っているのだろうか?考えすぎなのだろうか。