外資系ですか?:
「いいえ、違います。」
私は1994年1月末でリタイヤーするまでアメリカの世界最大級の紙パルプ・林産物メーカーの一事業部の、東京駐在員として勤務していました。と言うと、90%以上の場合「外資系ですか」と問いかけられた。不覚にも私は「外資系」なる言葉の意味を良く知らずに「いいえ、違います」と答えて、どういう意味の質問なのかと訝っていた。
そこで広辞苑を見ると「資本の多くの部分を外資によっていること」とあった。それならば、明らかに外資系ではないと解って安心した。W社の東京事務所は日本法人で株式会社の形となってはいたが、我が国の法的規制では「連絡事務所であり、商取引の当事者になってはならない」と定められていた。
この制約の内容を厳密に言えば、何か得意先と話し合いをした場合に、その内容と結果を本部に報告する場合には「我々=we」乃至は「私=I」を主語にしてはならないのであり、Weyerhaeuserか”On behalf of Weyerhaeuser, we visited ~.”のような形にせねばならないのである。「そんな面倒な」ということだが、それでも、それが我が国の法律であり従う以外ないのだ。では、「誰かがそこまで調査に来るのか」と問われれば、契約している監査法人が担当されることだ。
これまでに私は何度か「アメリカの会社とはあのようなものだと(異文化の国の会社だと)事前に承知していれば、転進などしなかっただろう」と言ったものだった。その文化の違いの内容も何度か折りにに触れて採り上げてきた。だが、意外にも何処でもここでも驚かされたほど反応がなかった。思うに「何処かの対岸の火事だろう」とでも思われて関心がなかったのかと解釈していた。
その企業社会の文化の違いとは「逆さの文化」に始まり、「学校教育の違い」、「上意下達の世界」、「仕事よりも家庭を優先する」等々だった。そして、前回は「新卒を採用しない中途入社社の世界」であり、「得意先の代弁が許されない」とか、段々に具体的な細部に入って行った。
今回は更にもう一歩踏み込んで”、Rank and title”(=階級と肩書きとでも訳そうか)を語って見よう。
事業本部長(GM=general manager)の下に横一線:
我が国であれば、本部長の下に部長代理乃至は次長が置かれ、そこから課長、課長代理、係長とでもいう具合に偉さの順番で組織されていると思う。しかも、そこにはある程度以上に年功序列というか、入社年次が絡んでくると思う。アメリカではそうなっておらず、GMの下に全員が横一線と思っていて誤りではないと思う。
その実態は新卒を定期採用せずに、即戦力を随時必要に応じてGMが採用していくのだから、採用された時に決められた仕事の内容とそこまでの経験に見合う年俸という条件があるのだから、全員がバラバラなのである。全員が与えられたjob descriptionに従って仕事をするのだから、重複することなどあり得ない。全て一人でやることだ。お互いに待遇を比較しようもないし、誰が誰よりも上の位ということが起きるはずもないのだ。
別な言い方をすれば、私がもし日本市場担当として本部に勤務していれば、隣のオフィスには私よりも後で社内から転職してきた日本市場以外の営業を担当するマネージャーがいることになる。だが、彼と私の仕事に同じ営業でも一切の担当地域その他で重複がない以上、私は彼が何時に出勤するかも知らないし、何時何処に出張する予定かなども知る必要もないのだ。
GMは営業、製造、総務、人事勤労、経理、中央研究所、工場等々の全てに責任を負っているので、工場の現場や研究所にまで手が回りきれないこともある。従って、工場に常駐している技術サービスマネージャー等の技術者の管理には中央研究所の首席研究員を中間管理職の任命して取り纏めさせていた。
この中間に任命された管理職を、その部下となった者たちは”middle layer”と揶揄して呼んでいたし、中には面従腹背で不満を漏らすも者もいた。それ以外のマネージャーは、英語で言うところの”direct report”(副社長直轄とでも言うか)で副社長に直接に報告書を提出する地位を与えられた部下として行動できるのである。これは名誉ある地位であることは言うまでもない。
我が国の制度で言えば「課長」乃至はmanagerは管理職でありその地位(偉さの順番?)を表している。だが、GMの下に横一線の世界では、managerはtitleであって肩書きに過ぎない。Managerの称号を与えられたからと言って、手当が貰える訳ではないのだ。そもそも年俸制の下では、本給一本で何ら手当などは出ないのだ。偉さを表す言葉は恐らくrankだろうが、それが上がっても既に契約した(決められ)た年俸は不変である、次の話し合いの時まで。それも成績次第では減俸だってあり得るのだ。
念の為に実例を挙げて解説してみよう。我が事業部に嘗て「受注、生産、在庫管理、出荷等々」を一手に引き受けていた永年勤続の女性がいた。この業務は”customer service”と呼ばれている、念の為。ある時、営業部長と彼女と私の3人で打ち合わせをした際に、部長が「ところで貴女のタイトルはどうなっている」と尋ねた。
彼女は[そんなものは貰っていない]とぶっきらぼうに答えた。部長は「それは失礼した。早速managerのタイトルを上げよう」と言った。彼女は”From when?”と問い返した。それに対する答えは”Right now.”だった。その頃の私は未だ文化の違いを弁えておらず、打ち合わせ終了後に彼女に「いくら手当が付くのか」と迂闊にも尋ねた。
答えは「年俸が決まっている以上、増える訳はない」とにべもなかった。そうなのだ。彼女は称号というか肩書きは貰ったが、次回の年俸改定の話し合いの時期までは既に契約した年俸が変わることなどあり得ないのが、アメリカの企業社会である。
「いいえ、違います。」
私は1994年1月末でリタイヤーするまでアメリカの世界最大級の紙パルプ・林産物メーカーの一事業部の、東京駐在員として勤務していました。と言うと、90%以上の場合「外資系ですか」と問いかけられた。不覚にも私は「外資系」なる言葉の意味を良く知らずに「いいえ、違います」と答えて、どういう意味の質問なのかと訝っていた。
そこで広辞苑を見ると「資本の多くの部分を外資によっていること」とあった。それならば、明らかに外資系ではないと解って安心した。W社の東京事務所は日本法人で株式会社の形となってはいたが、我が国の法的規制では「連絡事務所であり、商取引の当事者になってはならない」と定められていた。
この制約の内容を厳密に言えば、何か得意先と話し合いをした場合に、その内容と結果を本部に報告する場合には「我々=we」乃至は「私=I」を主語にしてはならないのであり、Weyerhaeuserか”On behalf of Weyerhaeuser, we visited ~.”のような形にせねばならないのである。「そんな面倒な」ということだが、それでも、それが我が国の法律であり従う以外ないのだ。では、「誰かがそこまで調査に来るのか」と問われれば、契約している監査法人が担当されることだ。
これまでに私は何度か「アメリカの会社とはあのようなものだと(異文化の国の会社だと)事前に承知していれば、転進などしなかっただろう」と言ったものだった。その文化の違いの内容も何度か折りにに触れて採り上げてきた。だが、意外にも何処でもここでも驚かされたほど反応がなかった。思うに「何処かの対岸の火事だろう」とでも思われて関心がなかったのかと解釈していた。
その企業社会の文化の違いとは「逆さの文化」に始まり、「学校教育の違い」、「上意下達の世界」、「仕事よりも家庭を優先する」等々だった。そして、前回は「新卒を採用しない中途入社社の世界」であり、「得意先の代弁が許されない」とか、段々に具体的な細部に入って行った。
今回は更にもう一歩踏み込んで”、Rank and title”(=階級と肩書きとでも訳そうか)を語って見よう。
事業本部長(GM=general manager)の下に横一線:
我が国であれば、本部長の下に部長代理乃至は次長が置かれ、そこから課長、課長代理、係長とでもいう具合に偉さの順番で組織されていると思う。しかも、そこにはある程度以上に年功序列というか、入社年次が絡んでくると思う。アメリカではそうなっておらず、GMの下に全員が横一線と思っていて誤りではないと思う。
その実態は新卒を定期採用せずに、即戦力を随時必要に応じてGMが採用していくのだから、採用された時に決められた仕事の内容とそこまでの経験に見合う年俸という条件があるのだから、全員がバラバラなのである。全員が与えられたjob descriptionに従って仕事をするのだから、重複することなどあり得ない。全て一人でやることだ。お互いに待遇を比較しようもないし、誰が誰よりも上の位ということが起きるはずもないのだ。
別な言い方をすれば、私がもし日本市場担当として本部に勤務していれば、隣のオフィスには私よりも後で社内から転職してきた日本市場以外の営業を担当するマネージャーがいることになる。だが、彼と私の仕事に同じ営業でも一切の担当地域その他で重複がない以上、私は彼が何時に出勤するかも知らないし、何時何処に出張する予定かなども知る必要もないのだ。
GMは営業、製造、総務、人事勤労、経理、中央研究所、工場等々の全てに責任を負っているので、工場の現場や研究所にまで手が回りきれないこともある。従って、工場に常駐している技術サービスマネージャー等の技術者の管理には中央研究所の首席研究員を中間管理職の任命して取り纏めさせていた。
この中間に任命された管理職を、その部下となった者たちは”middle layer”と揶揄して呼んでいたし、中には面従腹背で不満を漏らすも者もいた。それ以外のマネージャーは、英語で言うところの”direct report”(副社長直轄とでも言うか)で副社長に直接に報告書を提出する地位を与えられた部下として行動できるのである。これは名誉ある地位であることは言うまでもない。
我が国の制度で言えば「課長」乃至はmanagerは管理職でありその地位(偉さの順番?)を表している。だが、GMの下に横一線の世界では、managerはtitleであって肩書きに過ぎない。Managerの称号を与えられたからと言って、手当が貰える訳ではないのだ。そもそも年俸制の下では、本給一本で何ら手当などは出ないのだ。偉さを表す言葉は恐らくrankだろうが、それが上がっても既に契約した(決められ)た年俸は不変である、次の話し合いの時まで。それも成績次第では減俸だってあり得るのだ。
念の為に実例を挙げて解説してみよう。我が事業部に嘗て「受注、生産、在庫管理、出荷等々」を一手に引き受けていた永年勤続の女性がいた。この業務は”customer service”と呼ばれている、念の為。ある時、営業部長と彼女と私の3人で打ち合わせをした際に、部長が「ところで貴女のタイトルはどうなっている」と尋ねた。
彼女は[そんなものは貰っていない]とぶっきらぼうに答えた。部長は「それは失礼した。早速managerのタイトルを上げよう」と言った。彼女は”From when?”と問い返した。それに対する答えは”Right now.”だった。その頃の私は未だ文化の違いを弁えておらず、打ち合わせ終了後に彼女に「いくら手当が付くのか」と迂闊にも尋ねた。
答えは「年俸が決まっている以上、増える訳はない」とにべもなかった。そうなのだ。彼女は称号というか肩書きは貰ったが、次回の年俸改定の話し合いの時期までは既に契約した年俸が変わることなどあり得ないのが、アメリカの企業社会である。