新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ツイッターって何?

2017-07-17 15:41:05 | コラム
英語の単語をカタカナ表記する面白さと難しさ:

これは所謂「トリビア」である。因みに、英語ではtrivialで「つまらない、ありふれた、平凡な」という意味だ。

私はツイッター(twitter)なるものに手を染めておらず、あれはトランプ様が何が何でも誰かか、気に食わぬ出来事を罵倒したい時に用いられる表現法かと、最近は思うようになった。しかし、トランプ様以前のこれが流行りだした頃には、恐らくtwitterという綴りだろうかと思う程度だった。英和辞書には

Twitterとは「①小鳥などが(チ、チ、チと)さえずる(chirp)、②(英略式)興奮して甲高い声で[のことをしゃべりまくる]」とある。発音記号と私が知る限りの発音は「トウイター」が最も原語に近いと思うのだが、何処かで誰かが「ツイッター」にしてしまった。おかしなことだ。

このSNSだかをすることを「ツイート」とカタカナ表記されている。何でもerを付けて「~する人」としたいはずなのに、ここでは何故かerに相当する音引きの「―」を取り外してしまい、tweetという言葉を採用して「ツイート」というカタカナ表記を始めた。これは「小鳥のさえずり」で、動詞ならば「さえずる」という意味だ。

ここで面白い現象に気付いたのだが、その昔私がハイファイの再生装置に関心があった頃には、高音用のスピーカーはtweeterと言われ、カタカナ表記は「ツーイーター」乃至は「トイ―ター」だった。因みに、低音用はwooferで、素直に「ウーファー」だった。それなので、私は当初は何で高音用のスピーカーがSNSの名称になったのかと、不思議に思っていた。

だが、トランプ様のつぶやきは極めて高い音域にあるかのように聞こえてくる効果があるのではないか。私はwooferに変更されれば、これまでのように物議を醸さないでも済むのではないかと、一人密かに考えている。でも、折角こんなことをつぶやいても、面白いと思って下さる方は沢山はおられないだろうと気懸かりだ。

偏向している新聞社を考える

2017-07-17 10:41:43 | コラム
朝日新聞を止めてすっきりした:

W社の東京事務所では営業政策上のことで、1970年代末期に全社員は「可能な限り読売新聞を定期購読するように」との指示に近い提案があった。その理由を詳細に説明することは避けるが、我が家でも切り替えた歴史がある。40年も前のことだった。その際に上層部に「朝日を止めてすっきりした」との発言があったかと聞いている。そう言える見識がある方ばかりではないのが、私は困ったことだと思うのだ。

何故すっきりしたのだろうか?ここであらためて論じる必要はないと思うが如何。我が家では記憶は確かでではないが、戦前から朝日を取っていたのは間違いないと思う。更に切り替えた時に2紙も併読する意味はないと考えて、読売だけに絞った。

お恥ずかしながら、その昔では朝日というか我が国の代表的な新聞が偏向しているなどとは夢想だにしていなかった。特に、かの天声人語などは多くの入試や入社試験の問題になるなどと、その「権威」と「高い知性」には感心していたし、その英訳版(VOX POPULI, VOX DEI)も購入して読んでいたものだった。

戦後間もなくでは記憶にある限り「我が国は悪い侵略戦争を仕掛けた悪い国」との反省が国を挙げて流行っていたので、NHKの「真相はこうだ」と題されたラジオ番組などを熱心に聞いていたものだった。この番組などはGHQの指導というか介入の下に行われただろうと、今では容易に想像出来るが、あの頃は言うなれば一億総懺悔だった。そういう風潮を推し進めていたのが新聞だったと記憶する。

当時では朝日新聞こそが”The 新聞”の地位にあり、それこそ絶対的な「世論形成に大きな影響を持つ」(オピニオンリーダー)存在であると信じられていたと思うというか、信じて疑われなかった。我が家では、W社を引退した後では、読売新聞を続ける理由も無しと思って、それこそ残る全紙(毎日、東京、産経等)を順繰りに講読してみた。そして最終的に産経新聞に落ち着いたのである。

顧みれば、私は個人的には産経新聞とはほんの少しのご縁があった。それは、新卒で採用して頂いた旧国策パルプ工業グループでは、社長だった水野成夫氏が乞われて産経新聞の社長に転出され、何名かの幹部社員が産経に転出して行かれたのだった。それかあらぬか、後年国策パルプも新聞用紙に進出したのだった。

昨今、識者というべきか心ある方々の間では、朝日新聞と毎日新聞の偏向振りが批判の対象となっている。この2社の系列にあるテレビ局も同じような存在だ。そこに先日も私が採り上げた加戸守行元愛媛県知事の彼ら2社にとっては極めて面白くない参議院での堂々たる証言が見事に無視されて、彼らの報道では無かったことにされてしまった。恐るべきことではないのか。

彼らにとっては前川証言以外は読者に知られては困るのだったのだろう。衰退の一途を辿る毎日新聞は兎も角、朝日新聞の購読者数は往年の公称800万部は切れたとはいえ、未だ未だアメリカの有名なNYやDCの地方紙よりは多いのである。更に、フジテレビですら村上誠一郎を登場させて安倍内閣批判を如何なる意図があったか知らないが堂々とと語らせていたのだ。

私は野党の国家としてDPRKのそこに迫ってきた脅威等の重大事に優先順位を付けることも出来ずに、森友だの加計だのと空疎に騒ぎ立てて閉会中審議にまで持ち込んで見せた手法と、偏向した新聞テレビの報道姿勢がだけが、今日の安倍内閣の支持率低下をもたらしたとは考えていない。そこには確かに2回生代議士たちの論評にも値しない不始末があったが、総理も菅官房長官も些か感情的に過ぎた姿勢で対応されたことも適切ではなかった恨みがあると思っている。

今週中には総理が出席されて更に加計問題を論議されるそうだ。私は総理も普通に筋道を立てて論じて野党の雑音を論破して頂きたいとは思う。だが、ここでも偏向した新聞が如何に採り上げていくかが関心事だ。昼間に中継を聞ける時間が取れる我々のような年齢層にある者は兎も角、テレビか新聞にしか情報源がないと思う働いておられる方々どれほど偏向の度合いを見抜いて情報を受け止めるかも、重大な要素だろうと考えている。