新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月7日 その2 7月7日の思い出

2017-07-07 16:39:17 | コラム
1970年7月7日に:

思い起こせば、今を遡ること47年前の今日、私は生まれて初めて外国に出張した記念すべき日だった、イヤ初めて国外に出た日だったと言うべきか。それは、未だ日本の会社にお世話になっていた頃のことで、会社の方針で東南アジアの何処かに海外事務所を設けて世界市場に飛躍しようとの壮大な企画が立てられたからだった。その事務所設営の場所は何処が良いかと調査するのかが、私に与えられた重大な課題だった。

私はそれまでに海外出張は言うに及ばず、飛行機に乗ったことが2回しかなかったほどほどの田舎者だった。偶々そういうことになった出発地である大阪の伊丹空港では、一緒に出掛けることになった貿易担当の大阪支店長代理の前で緊張を隠すのに必死となっていた。その旅行の予定では、先ず台湾に入り、そこからフィリピン、シンガポールから香港と回って市場調査をするようになっていた。

当時の事情を知らない方の為に申し上げておけば、初めて海外に出る者のパスポートの有効期限は1度だけで、いきなり数次の旅券は交付されなかったのだ。しかも為替が$1=¥360の固定だった為に、持ち出せる外貨は$500に制限され、その持ち出し額をパスポートに銀行で記載して貰うようになっていた。

誰が考えても、$500の所持金で上記の旅行が出来る訳はなく、海外専用のクレジットカードを別に申請して交付して貰って持参して、ホテル等で支払いをしていたのだった。その際の各国へのヴィザの申請などは旅行社任せだったので苦労はなかったが、今思えば海外に出て行くことはとても面倒で緊張を強いられるような頃のことだった。

未だに覚えていることは台北の松山空港に降りたって入国手続きを終え、税関の所まで到達した時には恐ろしさで膝の震えが止まらなかった。何ら不正な物を持ち込むのではなくても、税関吏がが私のスーツケースを持ち上げて振って見せた時には過度の緊張で倒れそうだった。しかし、当然のことながら無事に通過した際に、同行の旅慣れた支店長代理に「何という顔をしているんじゃ」と笑われたものだった。

台湾では会う人たちが皆「日本統治時代」を懐かしがる年齢層の方ばかりで、英語の必要もなくのんびりと初めての「海外出張」を楽しめたのだった。だが、15日にマニラに入ると事情は一変した。我々を出迎えてくれた現地の取引先の社長の息子さんは何と入管の直ぐ後の所まで入っていたのに「何という国か」と驚かされたのだった。更に宿泊先のインターコンチネンタル・ホテルでは、至る所に自動小銃を持ったガードマン(兵士?)が立っており、外国に来たという感じを十分に味合わせてくれたのだった。

フィリピンでは英語が公用語になっているだけのことはあって、我々の取引先の方々はフィリピン人であれ華僑であれ皆フィリピン訛り(スペイン語訛りとでも言うか)はあっても綺麗な英語を話すので、意思の疎通には何ら問題はなかった。寧ろ、彼らは非常に洗練されたアメリカ風の礼儀作法で接してくるので、台湾との文化の違いを感じたのだった。

フィリピンでは印象的だった言わば個人的な出来事があった。それは華僑系のビジネスマンが私のホテルの部屋に入ってきた時のことだった。私が偶々ダイナースクラブのカード入れをテーブルの上に置いていたのだが、彼はそれを見るなり「貴方はダイナースクラブの会員だったのですか。お見それして失礼しました」と言ったのだった。そしてそれ以降は明らかに私を目上の人として鄭重な姿勢で接してくるようになった。

ダイナースクラブの会員というかカードに権威があることは承知していたが、私の会社はダイナースクラブを主宰する富士銀行(当時)の系列であり、そのお陰で私たち下々の者まで「法人の記名会員」にさせて頂いていただけのこと。私個人に資産があった訳でも、銀行に巨額の預金があったのでなかった。だが、この一件で「ダイナースクラブ」のご威光を知り得たので、そこから先の諸国でも大いに有効に活用できたのだった。

という具合で回顧すれば限りがないが、こういう調子で初めての外国出張を経験したのだった。何処の国に会社として最初の海外事務所を設けたのかとお尋ねか。それは何時の日にか、機会があれば回顧する予定にさせて頂きたい 。


英語の品格

2017-07-07 07:58:27 | コラム
品位のある英語を身につけよう:

トランプ大統領は教養ある立派な方だと思っている。だが、自分の支持層である中流以下の人たちを意識した時には、とてもそういう方だとは思えないような、やや品格を疑うような表現も使われるし、言葉の選び方にも疑問を感じさせられる。しかし、公式の席などではアメリカ大統領に相応しい言葉使いで語るようで、明らかに区別され使い分けておられる。更に言えば、Twitterでの表現にはとても大統領とは思えない言葉を当たり前のように使われる。

そこで、この際「英語の品格」とは如何なるものかを考えてみようと思う。

言葉の品格:
ここで言いたいことは「常識的に見ておかしくて汚い言葉を使った表現や、文法的に誤りがある表現か文章を書くかまたは話す事」である。即ち、Englishを良く勉強して文法を間違えることがなく、下品な表現や言葉とはどのようなものかを弁えよ」という意味である。中でも注意すべきは「汚い言葉」と訳されている“swearword”を覚えてついつい使ってしまうことである。

私は我が国の学校教育の英語ではこのような言葉があり、それはどういうもので、それらを間違っても使ってはならないということが教えられていないと思っている。かく申す私もそういう言葉を使うことが度ほど下品であるかというか、一定以上の階層では厳しき禁じられていることを、アメリカ人の社会の中に入って初めて知らされたという程度である。

解りやすくいえば、これを使うと「社会的に下層階級」と見なさると知るべきだ。これは屡々”slang”と混同されているが、全く別な範疇にある言葉だ。その例を少しだけ挙げれば”God damn it.”であるとか、“Shit.”や、”Oh, my God.”といった言葉だが、そういう範疇にある言葉であるとは、我が国の教育では知らしめていないようだ。なお、”slang”は「隠語」や「符帳」の類いを指し、下品な言葉とは別物だとは既に別な機会に指摘してきた。

それ以外の例も挙げておこう。それは、我が国ではかなり広く知れ渡っている「私も」という意味の“Me, too.”である。ここでおかしいと思って欲しいことは、“me”は目的格であるからここは“I”であるべきだと言う点だ。だが、この形で広まってしまった。私がある席でこれを否定したところ、文科省からある大学に転職された方が「ライシャワー大使も使っておられたから問題ない」と反論されて困ったことがあった。

そこで、解説したことは「親しくしているアッパーミドルの極めて厳格な家庭での夫婦の会話で、奥方が“今日ある会合で友人の誰それさんが“Me, too.”と言われたのには驚いた」と言うのを聞いたご主人が“そうか、彼はそういう表現を使ったのか”と驚いて見せたのだった。この夫婦はNY州出身の名家で共にMBAである。この辺りまで来ると、このような厳格さなのだと知って欲しい。

また、私はW社に転じてから何度か迂闊にもswearwordを使ったところ、東京事務所に駐在していたワシントン大学のMBAである日系人に会議室に呼び込まれて注意されたし、本社では副社長兼事業部長にも「日本人の君がそういう言葉を使うのを聞くのは気持ちが悪いのだ。今後絶対に使わないように」と厳しく叱責された。

ところが、そういう性質の言葉だと知らずにアメリカに行くと、swearwordは何か物事を強調していう時などに便利に使えるし、そういう言葉を多用する連中に出会うことも多いので、つい「格好が良い」と誤解して使ってしまうものだ。その悪い例として再三挙げてきたのが「沢尻エリカの“Oh, shit!”だ。

それは、「別に」というフレーズを連発して不人気となった彼女が語学研修とやら言ってアメリカに渡り、帰国した際に成田空港で記者たちに追いかけられてハンドバッグを落とした時に思わず?出たのが、”Oh, shit!“だったのだ。思うに、アメリカで接触した階層には日常的にこういう言葉を使う連中が多かったのだろうよ。

発音:
品格の問題で留意すべきことは「発音を正確にしようと心がける」がある。これは必ずしも綺麗なnative speaker並の発音にすることではなく、明確で相手が聞き取りやすいように発音することを意味する。アクセントの付け方も重要で、アメリカの英語ではUKよりもアクセントが強調されているので、言うなればリズム感があるが、UKの方が平板に流れているように聞こえる。極端な表現だが、我が国の英語の先生方に多く聞かれる例で、カタカナ語的というかローマ字の悪影響の下にある外国人離れした「英語」であって“English”ではない発音からは、出来る限り離れた方が良いとまで考えている。

さらに具体的に言えば、同じEnglishでも英連合王国(UK)、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドにはそれぞれ独自の発音と訛りも方言もあるので、その中のどの国の英語の発音を選ぶかは慎重を期したいと言いたい。だが、我が国の学校教育だけで学んで英語の知識では「どれがどれだか俄に判断出来ない」のが難しいところだ。私は少なくとも、所謂“London Cockney”とそれにも似たところがあるオーストラリアとニュージーランドの訛りは避けた方が無難だと言って良いと思っている。

私は全世界で最も広まっているのはアメリカ式の発音だとは考えているのだが、ヨーロッパでは地理的な条件もあってQueen’s Englishの発音が最も普及している。私はアメリカとの縁が最も深かったので、アメリカ式に準拠しているが、実際にはそれとUK式の中間になる発音をしているようだ。

アメリカかUKかの何れの発音を心がけるかは各人の選択にお任せするが、何れにせよきちんとした正確な発音が出来るようにしておきたいものだ。日本人には“I don’t know.”などのような場合に“t”の発音が難しくて「アイドンノー」ようになってしまう例が多い。私はこういう発音は品格に乏しいと思っている。何とか出来るように努力されたいと願っている。