新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

あーあ、稀勢の里

2017-07-14 07:39:52 | コラム
マスコミの餌食になったのでは:

何度も述べてきたことで、私は相撲に関心がないし「あれはスポーツではなく、日本伝来のと言うか江戸時代から続いている興業である」とも指摘してきた。それでは何でこの期に及んで稀勢の里を採り上げるのかである。それは彼がマスコミに余りに過剰に持て囃された結果と、明らかに怪我による練習(稽古と言うようだが)不足で、目下開催中の場所で負けてばかりいるのみならず、またぞろ負傷したようだからだ。

マスコミの持て囃し攻勢は琴奨菊が優勝してしまった時から一層過激となり、その悪影響からか彼は明らかに思い上がりの嬉しそうな表情になり、アッという間に転落していった。そこにはモンゴル出身者からしか横綱が出ないせいもあって、日本出身という奇妙な紹介のされ方をする力士が優勝すると、マスコミは待ってましたとばかりに総力を挙げて過剰に持て囃すのだ。

彼ら優勝力士にその煽て上げる声が直接には届かないとしても、力士たちはテレビも見ればスポーツ新聞だって読むだろう。自分が賞賛されている記事を見れば良い気分になるだろう。そこには、本人が如何に自戒しようとしても「俺は偉いのかな」と思いたくなるものではないのか。それが証拠に稀勢の里は優勝する前の顔付きと、横綱昇格後ではまるで異なる、言わば「傲慢不遜」なものに私には見えたのだった。

しかも、相撲嫌いの私に言わせて貰えば、彼の優勝の時には白鵬が不在だったので、古い言い方で「鬼の居ぬ間に洗濯ジャブジャブ」だった気がしてならない。しかも、その直後のあの左上半身を打った怪我である。私は怪我などは「練習不足」か「筋力の鍛え方不十分」か「気の緩み」で生ずるものだと確信している。稀勢の里には「気の緩み」も「練習不足」も当てはまると思う。

繰り返し言うが、あの同郷という高安の好成績があった後の、マスメディアの褒め称え方は異常と言うよりも「やはりそう来たか」と思わせてくれた有害無益なものだった。私でさえ彼ら二人が共倒れになりはしないかと気遣ったほどだ。稀勢の里君は横綱の責任感からが負傷が回復していない様子のままに登場し、負傷を抱えていれば負けるのは当然という惨敗(らしい)を続けた挙げ句の負傷である。陳腐な言い方をすれば、マスメディアの持ち上げすぎと練習不足のコラボレーション(カタカナ語だ!)ではないか。見ていてご覧、そのうちに稀勢の里批判の論陣を張るよ。

結論めいたことを最後に言えば「日本出身の力士たちはマスメディアの持ち上げすぎに十分に注意して、いくら褒めあげられても自己過信に陥ることなく、思い上がらないように努め、琴奨菊と稀勢の里の轍を踏まないように心がけること」が肝腎ではないか。こういう現象は興業の世界だから起こること。NHKには可及的速やかに相撲をスポーツニュースから除外して「興業」の枠を設けるべきだ。

プロ野球やサッカーのJリーグなどで優勝したからと言ってタニマチとやらが集まって優勝者が片手に大きな鯛を持って祝い、大きな杯で酒を飲むか。私は健康管理上も運動選手が酒や煙草を嗜むことは良くないとすら考えている。それにも拘わらず相撲は・・・となるのだ。



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