修一のよもやまばなし

高槻ライオンズクラブの元会長で元335B6R1ZCP(2009ー2010)中川修一が毎日のできごとと思いを綴るブログ

どっちも高槻、安満遺跡公園コラムについて

2014-02-28 22:39:25 | Weblog
リンクを張ればいいのですが、ページを飛ぶのも手間でしょうから全文転載させていただきました。迫亮太さんの文章です。すごく丁寧に表現されているのでわかりやすい文章です。安満遺跡公園についてこれだけ簡潔に表現された文章は見たことがありません。ストックポート市の事例の挿入なんかは心憎いばかりです。ただ、容易に形成できるものではない。しかし、と続けられていますが、世界に類を見ない事柄であることを強調されているようです。「市民の声がカタチになる公園にする。そして人とともに育つ場所に」と書かれていますがこの視点にも疑問があります。「市民の声がカタチになる公園にする」はいいのですが、「そして人とともに育つ場所」ではなく、まさに「そして人が育つ場所」です。場所ではなく人が育つことが重要です。ストックポート市の例のように、市民の声をくみ上げる市民サイドの協議会を作ることができるかどうかがカギを握っています。思い切ってこの協議会に全権を委ねて市民の声を一つにすることができるようにすることです。独立した協議会を作るには、自主的な財源(会費等)を持って、市民が、参加することに責任を持ち(入会金を払って)一年以上の長期にわたって所属することです。そうすることによって、関わっていく市民が育っていきます。行政に依存していたのでは、人は育ちません。市民参加の基本は、人を育てる仕組みをつくることです。世界初の試みですが、高槻市長の大胆な決断と「市民に対する絶大な信頼」をもってすれば必ずや実現します。間違いなく、世界初の試みです。他市でされているところもあると思われていますが、どこも県民府民の参加でごまかしているところばかりです。
さて、平成26年の現代では、大都会の衛星都市である高槻市では「地域意識の希薄化」が進んでここの市民がコミュニティから疎外されています。今回の市民参加の公園づくりは、そんな風潮に歯止めをかける大きな挑戦です。




どっちも高槻より転載しました
高槻市八丁畷(はっちょうなわて)町、阪急京都線とJR東海道線の間に広がる、京都大学大学院農学研究科附属農場。高槻市では今、農場の移転にともなってその一帯約22万4000㎡(甲子園球場の約5個分)にもおよぶ広大な敷地を「(仮称)安満遺跡公園」として整備し、防災機能を備えた緑豊かな公園を目指す取組みが進められている。第一次開園予定は2019年だが、関西でも屈指の敷地面積となる公園の整備構想プロジェクトは、既に市民も積極的に参加をする体制で推進されている。

都市部に暮らす人々にとって、公園とは欠かすことのできない要素の一つでもある。それは時に、豊かな緑で心を癒してくれる存在でもあり、自由に身体を動かす娯楽の場ともなる。「市民にとって相応しく、身近な存在となる公園のカタチ」を追求するために、高槻市では構想段階から数々の新しい仕組みや仕掛けが検討されているという。


市民の声がカタチになる公園にする。そして、人とともに「育つ」場所に。

整備構想の策定段階から、市民24名(市ホームページより公募の上、選定された)が参加し、市民目線の意見交換が交わされていることが、この取組の大きな特徴だ。公園づくりの専門家、学識経験者による検討に加え、こうした市民の声も整備構想に反映されることとなった。その結果、「市民とともに育てつづける公園」という言葉が明記されている。これには、公園そのものを「つくりこまず、あえて広大なオープンスペースを確保するだけに留めておくことで、市民が自らのアイデアで公園の活用方法を見つけだしていく」という意図がある。構想では、開園時に公園整備を最終イメージまで完成させる「フルメイドエリア」と、ライフラインなど基盤整備のみを行い、その後は市民が主体となって時代のニーズに合わせて公園づくりを進めていく「ハーフメードエリア」という大きく2つのエリアに分類されている。

この構想の延長線上には、「市民と行政が一緒に運営できる公園管理組織をつくりあげる」というビジョンがある。開園後も活用方法と存在意義を市民が考え、行動に移せることを前提とした公園づくりは、国内ではまだあまり例がない。一方で、海外では緑地管理について地域住民と行政・企業がパートナーシップを結び柔軟な組織運営を実現している例がいくつかある。イギリス・マンチェスター郊外にある人口約30万人のストックポート市では、市内の緑地に関わる政策決定をスムーズに進めることを目的とするカウンシル(協議会)を設立し、市民団体を含む67ものグループがフォーラムに参加、緑地の管理・運営などについてさまざまな意見・情報交換が活発に行われている。公園サービスに地域住民が参加することで公園の活性化を目指すこうした仕組みづくりは、決して容易に形成できるものではない。しかし、「(仮称)安満遺跡公園整備構想」が目指すべきオリジナリティはまさにストックポート市のようなものではないか。


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歴史的価値と防災機能を兼ね備えた、市のシンボルパークとして。

「(仮称)安満遺跡公園」は市民の憩いの場となる公園とする他、2つの顔を持つことになる。1つは、その名の通り弥生時代の環濠集落跡が存在しているエリアであり、国レベルで歴史文化的価値の非常に高い史跡であること。そしてもう1つは、高槻市の広域避難地や防災拠点であることだ。安満遺跡は、弥生時代の居住域や稲作等が行なわれた生産域、墓域という集落の3要素が把握され、しかも環濠全体が保存されているという点で、極めて貴重な遺跡である。また、高槻市民の遠い祖先にあたる弥生人が、この地を訪れ、この地に根付いたその想いを馳せることができる、歴史ロマン溢れる空間でもある。公園整備と平行して調査は進められ、既に史跡指定範囲なども決定しているが、史跡として隔絶するのではなく公園と融合させる構想を模索している点に、関係者の公園づくりへのこだわりが感じられる。いにしえの子ども達が駆け回っていた場所で、同じように今の子ども達が公園を駆け回る。そんな風景が見られることになるかもしれないのだ。また、まちと公園との一体感を大切にして、公園と外部を隔てる柵を設けず、オープンな公園とする構想もある。これは、緊急時に四方から速やかに人が公園内に避難できることにもつながる。これについては運営において防犯対策などの問題を解決しなければならないが、実現に至れば、他に類をみない、都市部に出来上がる高槻市民の庭のようなオープンスペースとなるのではないだろうか。

娯楽地として、歴史遺産を備えた史跡として、そして防災拠点として。多面的な特徴が重なり合う「(仮称)安満遺跡公園」は多くの可能性を持った場所だと言える。そして、これらの構想を具体化させ、また開園以降どのように運営し、発展させていくかの鍵を握っているのが市民であるという点も興味深い。「市民とともに育てつづける公園」の第一次開園まで、あと5年。どんな公園が生まれるのか、見守り続けていきたい。
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