修一のよもやまばなし

高槻ライオンズクラブの元会長で元335B6R1ZCP(2009ー2010)中川修一が毎日のできごとと思いを綴るブログ

たかつきジュニア河川レンジャー募集

2012-04-28 09:57:41 | Weblog


やっとポスターチラシができたようです。「キミとボクの川遊び」のキャッチコピーにはしびれました。川遊びをして、川と友達になることが目的です。芥川や淀川と友達になる。そこに住んでいる魚や、生き物と友達になる。蘇ってきた芥川で遊ぼう。今までの「川で遊んではいけません」ではなく「川をよく知って川で遊ぶ」ことは、「自然と生き物」を理解する最初の一歩です。このチラシは「刺激的」です。

問い合わせは淀川河川レンジャーの中島敏明さん、杉本真一さんへ。
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陸前高田市長より全国の皆様へメッセージ

2012-04-27 09:41:52 | Weblog
陸前高田市長より全国の皆様へメッセージ


陸前高田市長の戸羽太さんのメッセージです。高槻まつり実行委員会では、昨年度、被災された陸前高田市の氷上太鼓共鳴会に対し、大太鼓一台と法被一式を寄贈いたしました。今年三月の「高槻太鼓フェスティバル」には遠路演奏に駆けつけていただきました。8月の高槻まつりには是非参加いただきたいと計画しております。こんなメッセージをいただいたら、これはいかなあかんなあと思っています。
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今年の日用雑貨業界の新入社員への訓示

2012-04-26 23:43:33 | Weblog


ライオン、花王、PG、ユニ・チャーム、の社長さんの新入社員への訓示の傾向だ出ています。
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天明元年米価格表パート2

2012-04-13 16:42:16 | Weblog
天明元年米価格表
コメの価格 出来事
1782 年 天明 元 年 17 銭
1783 年 2 年 16 銭
1784 年 3 年 22 銭 大飢饉
1785 年 4 年 20 銭
1786 年 5 年 18 銭
1787 年 6 年 22 銭 大雨洪水
1788 年 7 年 17 銭
1789 年 8 年 16 銭
1790 年 寛政 元 年 15 銭
1791 年 2 年 12 銭
1792 年 3 年 15 銭
1793 年 4 年 15 銭
1794 年 5 年 15 銭
1795 年 6 年 16 銭
1796 年 7 年 18 銭
1797 年 8 年 17 銭
1798 年 9 年 15 銭
1799 年 10 年 15 銭
1800 年 11 年 15 銭
1801 年 12 年 26 銭
1802 年 享和 元 年 17 銭
1803 年 2 年 16 銭
1804 年 3 年 16 銭
1805 年 文化 元 年 12 銭
1806 年 2 年 15 銭
1807 年 3 年 14 銭
1808 年 4 年 21 銭
1809 年 5 年 14 銭
1810 年 6 年 20 銭
1811 年 7 年 10 銭
1812 年 8 年 14 銭
1813 年 9 年 14 銭
1814 年 10 年 21 銭
1815 年 11 年 16 銭
1816 年 12 年 16 銭
1817 年 13 年 20 銭
1818 年 14 年 18 銭
1819 年 文政 元 年 16 銭
1820 年 2 年 13 銭
1821 年 3 年 12 銭
1822 年 4 年 13 銭
1823 年 5 年 14 銭
1824 年 6 年 21 銭
1825 年 7 年 26 銭
1826 年 8 年 18 銭
1827 年 9 年 16 銭
1828 年 10 年 19 銭
1829 年 11 年 36 銭 越後地震
1830 年 12 年 39 銭 江戸大火
1831 年 天保 元 年 30 銭
1832 年 2 年 30 銭 総人口2700万人
1833 年 3 年 36 銭 全国飢饉始まる
1834 年 4 年 25 銭
1835 年 5 年 30 銭
1836 年 6 年 37 銭
1837 年 7 年 60 銭 諸国飢饉
1838 年 8 年 28 銭
1839 年 9 年 34 銭 佐渡百姓騒動
1840 年 10 年 38 銭
1841 年 11 年 28 銭
1842 年 12 年 30 銭
1843 年 13 年 35 銭
1844 年 14 年 25 銭
1845 年 弘化 元 年 29 銭
1846 年 2 年 50 銭 米騒動
1847 年 3 年 35 銭
1848 年 4 年 38 銭
1849 年 嘉永 元 年 35 銭
1850 年 2 年 47 銭
1851 年 3 年 67 銭
1852 年 4 年 46 銭
1853 年 5 年 46 銭
1854 年 6 年 47 銭
1855 年 安政 元 年 40 銭
1856 年 2 年 28 銭
1857 年 3 年 32 銭
1858 年 4 年 51 銭
1859 年 5 年 55 銭
1860 年 6 年 67 銭
1861 年 万延 元 年 79 銭
1862 年 文久 元 年 65 銭
1863 年 2 年 56 銭
1864 年 元治 元 年 78 銭
1865 年 慶応 元 年 142 銭
1866 年 2 年 194 銭
1867 年 3 年 146 銭 江戸幕府滅亡
1868 年 明治 元 年 169 銭
1869 年 明治 2 年 343 銭
1870 年 明治 3 年 187 銭
1871 年 明治 4 年 112 銭
1872 年 明治 5 年 80 銭
1873 年 明治 6 年 120 銭 地租改正
1874 年 明治 7 年 187 銭
1875 年 明治 8 年 205 銭
1876 年 明治 9 年 118 銭
1877 年 明治 10 年 134 銭 西南の役
1878 年 明治 11 年 192 銭
1879 年 明治 12 年 264 銭
1880 年 明治 13 年 480 銭
1881 年 明治 14 年 326 銭
1882 年 明治 15 年 208 銭 日本銀行創立
1883 年 明治 16 年 125 銭
1884 年 明治 17 年 184 銭
1885 年 明治 18 年 173 銭 内閣制度伊藤内閣
1886 年 明治 19 年 155 銭
1887 年 明治 20 年 146 銭
1888 年 明治 21 年 142 銭 町村制施行黒田内閣
1889 年 明治 22 年 200 銭 山県内閣
1890 年 明治 23 年 200 銭
1891 年 明治 24 年 364 銭 松方内閣
1892 年 明治 25 年 228 銭 伊藤内閣
1893 年 明治 26 年 366 銭
1894 年 明治 27 年 366 銭 日清戦争
1895 年 明治 28 年 400 銭
1896 年 明治 29 年 372 銭 松方内閣
1897 年 明治 30 年 416 銭 伊藤内閣
1898 年 明治 31 年 328 銭 大隈、山県内閣
1899 年 明治 32 年 400 銭
1900 年 明治 33 年 376 銭 伊藤内閣
1901 年 明治 34 年 376 銭 桂内閣
1902 年 明治 35 年 496 銭
1903 年 明治 36 年 436 銭
1904 年 明治 37 年 436 銭 日露戦争
1905 年 明治 38 年 528 銭
1906 年 明治 39 年 528 銭 西園寺内閣
1907 年 明治 40 年 472 銭
1908 年 明治 41 年 492 銭 桂内閣
1909 年 明治 42 年 400 銭 米検査制度
1910 年 明治 43 年 536 銭
1911 年 明治 44 年 616 銭 西園寺内閣
1912 年 大正 元 年 832 銭 桂内閣
1913 年 大正 2 年 832 銭 山本内閣
1914 年 大正 3 年 728 銭 大隈内閣
1915 年 大正 4 年 437 銭
1916 年 大正 5 年 552 銭 寺内内閣
1917 年 大正 6 年 600 銭
1918 年 大正 7 年 848 銭
1919 年 大正 8 年 1060 銭 戦争米騒動
1920 年 大正 9 年 2000 銭 総人口5500万人
1921 年 大正 10 年 1420 銭 高橋内閣
1922 年 大正 11 年 1020 銭 山本内閣
1923 年 大正 12 年 1040 銭 東京大震災
1924 年 大正 13 年 1530 銭 清浦内閣
1925 年 大正 14 年 1360 銭 加藤内閣
1926 年 昭和 元 年 1270 銭 若槻内閣
1927 年 昭和 2 年 1085 銭 田中内閣
1928 年 昭和 3 年 1060 銭
1929 年 昭和 4 年 1040 銭 浜口内閣
1930 年 昭和 5 年 626 銭
1931 年 昭和 6 年 650 銭 若槻、犬養内閣
1932 年 昭和 7 年 820 銭 満州事変、斉藤内閣
1933 年 昭和 8 年 1020 銭
1934 年 昭和 9 年 1480 銭 岡田内閣
1935 年 昭和 10 年 1090 銭
1936 年 昭和 11 年 1180 銭 広田内閣
1937 年 昭和 12 年 1290 銭 林、近衛内閣
1938 年 昭和 13 年 1340 銭
1939 年 昭和 14 年 1635 銭 平沼、阿部内閣
1940 年 昭和 15 年 1630 銭 米内、近衛内閣
1941 年 昭和 16 年 1650 銭
1942 年 昭和 17 年 1690 銭
1943 年 昭和 18 年 1842 銭
1944 年 昭和 19 年 1840 銭 小磯内閣
1945 年 昭和 20 年 60 円 鈴木内閣、終戦
1946 年 昭和 21 年 220 円 吉田、片山内閣
1947 年 昭和 22 年 700 円 芦田内閣
1948 年 昭和 23 年 1487 円 吉田内閣
1949 年 昭和 24 年 1725 円
1950 年 昭和 25 年 2064 円
1951 年 昭和 26 年 2812 円
1952 年 昭和 27 年 3000 円
1953 年 昭和 28 年 3280 円 鳩山内閣
1954 年 昭和 29 年 3640 円
1955 年 昭和 30 年 3902 円
1956 年 昭和 31 年 3995 円 石橋内閣
1957 年 昭和 32 年 3850 円 岸内閣
1958 年 昭和 33 年 3960 円
1959 年 昭和 34 年 3966 円 伊勢湾台風
1960 年 昭和 35 年 4117 円 池田内閣
1961 年 昭和 36 年 4289 円
1962 年 昭和 37 年 4882 円
1963 年 昭和 38 年 5030 円
1964 年 昭和 39 年 5775 円 新潟地震、佐藤内閣
1965 年 昭和 40 年 6300 円
1966 年 昭和 41 年 7020 円
1967 年 昭和 42 年 7677 円
1968 年 昭和 43 年 8208 円
1969 年 昭和 44 年 8218 円 自主流通米
1970 年 昭和 45 年 8218 円 減反奨励
1971 年 昭和 46 年 8631 円
1972 年 昭和 47 年 9030 円 田中内閣
1973 年 昭和 48 年 10390 円
1974 年 昭和 49 年 13702 円
1975 年 昭和 50 年 15612 円 三木内閣
1976 年 昭和 51 年 16613 円
1977 年 昭和 52 年 17086 円 福田内閣
1978 年 昭和 53 年 17176 円
1979 年 昭和 54 年 17176 円 大平内閣
1980 年 昭和 55 年 17536 円 鈴木内閣
1981 年 昭和 56 年 17756 円
1982 年 昭和 57 年 17951 円 中曽根内閣
1983 年 昭和 58 年 18266 円


米の値段は世の中の動きと連動しているのがよくわかります。江戸時代の後期はそれでも30銭台で推移しています。その頃の庶民の手取り収入が、この記録からはわかりませんがそれなりに統制されていたのではないでしょうか。昭和一桁時代はまだ安定していましたが、太平洋戦争中から戦後にかけての上昇率は信じられないくらい大きいものです。昭和45年からの減反政策、自主流通米、そして自由化と大きく米の政策が変わってきています。平成に入って60キロで20000円を超えたのですが、平成23年現在では、銘柄によって違いますが、13000円から18000円の幅で取引されているようです。米に関して言えば、バブル経済終了後は一様に値下がりが続いています。この表に平均所得とかが入ってくれば、江戸時代と現代の住みやすさの比較ができるかもしれません。これから、日本は人口が減少するといわれていますが、どのくらいまで減るのでしょうか。200年かけて5倍になった人口は、子供の多さと長寿命化で増えたと思います。長寿命化のままで少子のままどこまで行くのでしょうか。再び増えるには子供の多さが必要です。老人介護が社会の仕事となってきたように、子育ても社会の仕事となっていかないと子供が増えそうにありません。どうやら、再び増加に向かうには100年、3世代はかかりそうです。22世紀8000万人でしょうか。これは神のみぞ知るです。しばらくは、この傾向に慣れていくしかありません。

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天明後米俵価格表

2012-04-11 21:23:18 | Weblog



我が家の座敷テーブルにこんな風呂敷がかけてあります。天明元年から200年間の米俵の価格表です。最後の年が昭和58年ですから、1983年です。ですから天明元年は1784年です。4段に書かれていますが、一段が50年です。ところどころにその年の出来事が書かれています。米の価格表ですので、米騒動とか飢饉等の出来事が書かれています。大飢饉、大雨洪水、地震、大火,が記入されています。天保二年(1835年)の日本の総人口は2700万人と記されています。天保三年全国飢饉始まると書かれています。天保7年諸国飢饉米価格が60銭に跳ね上がっています。天保9年(1843年)佐渡百姓騒動。その時には米価格34銭。明治元年(1868年)は米価格は1円69銭。この表で行くと江戸の最初の50年でコメの値段は2倍です。次の50年で約10倍です。その次の50年で5倍、最後の50年で2000倍です。昭和19年は18円40銭、昭和20年は60円、昭和21年は220円、22年は700円、23年は1487円、私の生まれた昭和25年は2064円。その後はどんどん上がっていきました。そしてこの表は昭和58年(1983年)18260円で終わっています。さて、その後平成で24年になりました。今はいくらなのか正確なところは知りません。読者の皆さんでご存知の方は教えてください。どうやらこの30年は、上がっていないようです。これは江戸時代中期と同じ現象です。江戸時代後期は天変地変の時代でもあります。しかも、日本は統治システムの変更を余儀なくされています。

この記事の表は二つ写真を表示します。一方は拡大できますのでゆっくりとみてください。
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高槻ライオンズクラブCN50周年記念大会

2012-04-08 10:13:40 | Weblog


昨日、大阪ヒルトンホテルにおきまして、「高槻ライオンズクラブCN50周年記念大会」を開催しました。台湾から東南獅子会のメンバーをはじめ300人以上の来場者を迎えて開催しました。
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桜はまだかいな

2012-04-04 22:00:27 | Weblog
山水館の長山さんのfacebookの記事では摂津峡の桜はまだ一輪も咲いていないそうです。4月七日には摂津峡桜公園で「桜まつり」が開催されます。私は、高槻市観光協会の事業部長ですので、開会式の司会をすることになっています。花のない桜公園はないやろ、と少し心配です。4月月七日まであと三日ありますので何とかなるのではないでしょうか。高槻の桜の名所は数々ありますが、最も有名なのが桜公園です。かっては、大勢の人出大賑わいだったのですがこのところ「ぼちぼち」の人気です。摂津峡の桜として胡坐を掻いていたこともあるようです。緑を守ろうとして、木を伐らなかったせいでもあります。もう40年も切っていないのですから、ひょっとしたら50年かもしれません。寒天でも有名なところですので、寒天を煮るのに大量の薪が必要ですのでこのあたりの木はどんどん薪にされたはずです。ですので摂津峡の山ははげ山に近かったはずなのです。そこに桜を植えて名所にしたのです。あれから50年。木々は大きくなりました。しかも桜以外が大きくなりすぎました。もう一度桜の全盛期を望むなら、山の木を大いに切らなければなりません。私の意見とすれば、下の口から西の口にかけての道路沿いは幅10メートルにわたって桜以外はすべて切る。そして桜公園からキャンプ場にかけても同様に桜以外を伐ります。そうすればまた桜の勢いが増すと思います。桜は非日常の最たるのもです。一年のうち二週間だけ花が咲き、あとは葉が茂ります。秋にはまた葉をお年冬に備えます。劇的な一年を見せてくれます。日本人にその潔さを教えてくれます。今週の末にはそんな鮮やかな桜の季節を楽しませてくれます。
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営業課への返信

2012-04-04 09:54:13 | Weblog
最近、電池買うならマルコーの神通力がなくなりました。駅前に電気屋がなくなって久しいですね。ジョウシンもニノミヤ無線も中川無線も、マツヤデンキもみんななくなりました。そのうちソニーもパナソニックもなくなるかもしれません。これも時代の変化です。街の変化は、人口の変化で読めるのかもしれません。高槻市の人口を増加させることです。少子高齢化は日本の地方から始まります。まず、島根、鳥取、四国四県、九州、からです。たった100年で人口が二倍なったんですから50年で70パーセントになっても驚くことはありません。高槻は70年前には3万人、50年前には8万人です。20年前には358000人に到達していました。大阪まで15分、駅前の中心市街地がはっきりしている。日常の交通の便は市バスが確保している。下水道完備率98パーセント。芥川の川の水はきれい。北部の山間地はみどりがいっぱい。米はおいしい。地酒もうまい。人は親切、市長は背が高い。高槻祭りはいつも人出がおおい、ゴールデンウィークは「ジャズストリート」がある。一月には「高槻戎まつり」があって「高槻シティマラソン」があって、二月には「天神まつり」がある。そして、間もなく摂津峡をはじめとして、市内が桜で満開になる。桜の名所は市内のいたるところにあります。私の一押しは、「原公民館の広場の南の入り口に咲いている桜」が一番だと思います。各地の「桜自慢」を集めるのも楽しいことです。たぶん、このままいけば高槻市の人口が減ることはしばらくないでしょう。大阪の元気がなくなれば別ですがしばらくは大丈夫です。何でもそうなんですが、やはり基本はきれいにすることです。街を常に小奇麗に維持することが長い目で見て差が際立ってくるのではないでしょうか。
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高槻市政策財政部政策推進室営業課

2012-04-03 21:36:31 | Weblog
高槻市に新しい部課ができたようです。今日その一つである政策推進室営業課の皆さんとお会いしました。高槻市をまとめて営業する課だそうです。藤田昌義広報監、平田太営業課長、水田紘郎主査、永田慶治課員の四名と懇談をしました。高槻市をどう営業するのかから考えるようです。すでにリクルートの調査アンケートでは「住んでみたい街」ナンバーワンに高槻市があげられているそうです。4氏の奮闘に期待いたします。
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昭和45年第一回高槻まつりの高槻音頭

2012-04-02 21:31:45 | Weblog


第一回の時には、島倉千代子が「高槻音頭」をうたっていたのです。歌詞はうまく読めるかどうかちょっと自信がありませんがこんな歌詞でした。観光協会の書庫の中から発見されました、LPレコード33回転の代物です。どなたかYOUTUBEにアップしていただけないでしょうか。元気のいい音頭でした。さて、本年度の高槻まつりは例年通りケヤキ大通りと桃園小学校のグランドで開催します。今年はいろんな形で市民が参加できるように考えてみようと思っています。昨年陸前高田市の「氷上太鼓」に大きな太鼓と衣装を贈呈いたしました。今年は「氷上太鼓」から出演しに来てもらえそうです。復興支援の「高槻まつり」をしたいと思います。皆さんのアイデアと参加をお待ちしています。
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