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山村池です。例年なら、子供たちの歓声が聞こえている季節ですが、今年はひっそりと、水を湛えていました。誰もいない能勢の野外活動センターではこのまま、元の森に戻ってしまいそうになっています。木々はますます大きくなっていますし、道も誰も入れなくしようと、懸命に草を生やしています。遠くに剣尾山が悠然とそびえていました。1956年にここに初めてはキャンプ場を開いた先人のことを思い浮かべます。青少年の楽園をイメージしていたのではないかと思います。組織キャンプの種をまいていつの間にか時に流されていきました。
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能勢地方の水源地としてつくられた山村池とその堰堤です。あのころは、まだ、山の緑が安定していなくて、いつも濁った水を湛えていました。いつからか、緑濃い水に変わっています。山の木々はたくましく根を張り周囲を深い森に戻していきます。この谷の広さに意味を見出していたのでした。
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第四キャンプ場です。私が1970年から73年の夏まで、入り浸っていたところです。このメインホールから正面に妙見山が見えました。今は木が大きくなって妙見山を見ることはできません。雑草に囲まれた、メインホールを見ることになるとは、ああなんと夢の跡のようです。
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第四キャンプ場の中に向かって松の木が大きくなっています。もうあのころの笹薮はどこにもありません。木々は、懸命に森に戻ろうとしています。
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いつも、キャンパーを見送っていたゲート付近です。私もここから帰っていきます。
さて、誰もいないキャンプ場ほどさみしいところはありません。山の緑の中で人に会うことがキャンプの楽しさであることを思い知らされます。いつかまた、子供たちの声が響きわたることがあるのでしょうか。もう一度「自然を大好きな人たち」の聖地に蘇ってほしいと願っています。今まさに、何もないところから始めることなんでしょう。「松田稔」先生の教えを思い出そうとしています。