修一のよもやまばなし

高槻ライオンズクラブの元会長で元335B6R1ZCP(2009ー2010)中川修一が毎日のできごとと思いを綴るブログ

L柿原勝彦が335B地区の第二副地区ガバナーに立候補しました

2014-03-31 01:29:33 | Weblog

世の為 人の為に生かされる自分でありたい。We Serve
「青春の決意」
私は昭和19年10月23日に大阪府高槻市中心部で代々小間物・化粧品・雑貨などを営む商家の次男坊としてこの世に出征しました。
地元の府立高校を卒業し九州に旅をした時、鹿児島にある知覧特攻平和会館を訪れ、そこで特攻隊員の遺書・手紙を読んでいるうちに金縛りにあったように、その場から離れられず、溢れんばかりの涙が出、暫し呆然としていたことを今でもはっきり覚えています。

その中に兄弟に宛てた一通の遺書がありました。
「弟、妹へ、お父さんお母さんの事を頼んだよ、僕は両親に何も出来なかったけど家族を守るために今日未明に飛び立つ・・大きくなったら好きな道に進み立派な日本人に成ってけれ」
昭和20年4月23日

私が生まれて間もない頃に、10代20代の若さで特攻に選ばれ自から死んで家族や祖国を守ると言う崇高な精神力に感銘を受け、私は力いっぱい握りこぶしを握りしめ「この人たちの分までも生きて、世の為人の為に尽くそう」と強い決意を抱き涙が止まりませんでした。

「プロフェッショナルへの道」
幼いころから絵心があったので、自分の手で何か出来ることをやろうと上京し写真スタジオでアルバイトを兼ねて写真撮影の助手を務めました。
スタジオには当時売れっ子の篠山紀信、立木義浩、浅井慎平、大御所 秋山庄太郎などが来られ、先輩からの助言も有り、日本大学芸術学部に進学しました。

在学中に撮影現場にもアルバイトとして出向いていた頃、杉山昭親というドキュメンタリーカメラマンに出会い、カメラマンとしての生きざまに惚れ師事6年ほど一流の手ほどきを受け「兼高かおる世界の旅」などを通してプロフェッショナルの根性をたたき込まれました。

「昭和天皇 行幸での感動」
私が27歳になった頃、海外取材番組「世界の街角」「すばらしい世界旅行」のメインカメラマンとして制作会社と契約をし、世界各国を回りその間1972年2月に開催された第11回冬期札幌オリンピックでは、皇室のご行幸に12日間同行し記録映像を担当しました。

開会式では昭和天皇皇后両陛下のお側から、そして、この大会のハイライトとなったジャンプ競技で笠谷、金野、青地選手の日ノ丸飛行隊の活躍に陛下は3本の日ノ丸が揃って掲揚された時には、うっすらと目頭から涙をお流しになったシーンを克明に記録し、当時各メディアで放映されたことは、私にとって生涯の誇りと思っています。

ライオンズクラブ国際協会
335-B地区 第2副地区ガバナー立候補者
■出身地 高槻市高槻町
■ 生年月日 1944年10月23日 ■血液型 O型
■ ■学歴 1970年3月 日本大学芸術学部卒業
■ ■経歴 1998年〜2011年 高槻まつり振興会 実行委員長、会長 14期
■ 1999年〜 高槻ジャズストリート 相談役
■ 2000年〜 高槻商工会議所 議員
■ 2008年〜大阪府立槻の木高校評議員 2期4年 (公財)高槻市文化振興事業団 評議員
■ 2010年〜 (社)高槻市観光協会 会長
■ 2012年〜 ガンバ大阪高槻後援会 会長
■ 2013年〜 NPO大阪府日本・中国友好協会 副会長
■ ■ライオン歴 1985年12月10日入会
■ 1990〜1991年度 クラブ幹事
■ 2000〜2001年度 地区国際大会実行委員(記念誌担当)
■ 2001〜2002年度 クラブ会長 地区国際大会実行委員
■ 2005〜2006年度 地区青少年・ライオンズクエスト委員長
■ 2006〜2007年度 地区キャビネット幹事 複合地区管理委員長
■ 2007〜2008年度 地区ライオンズクエスト委員長

「ふるさと高槻での活動」
長期のヨーロッパ取材から帰国した時、「お父さんが心筋梗塞で・・・」との連絡があり、止む無く帰阪。
家業を継ぐ事に成り、あまりにもかけ離れた生活を過ごしていた時にJCへの誘いがあり、生まれ育ったこの街の為に、今まで世界中を回って観てきた事、体験してきたことをこの街に生かそうと思い、創立10周年を迎えたJCが「ふるさとの風土高槻」と云う記念誌を発刊するとのことで、高槻市内の名勝旧跡、寺社等々を1年かけて撮影をして回り、その地で出会った地元の人たちとふるさとの風土に付いて語り合い、自分の生まれた故郷の良さを再認識することができ、それがきっかけで「高槻まつり」の運営に参画、単なる盆踊りから全ての市民が参加でき、ふれあいが持てる祭りへと進化させてきました。

それが縁で行政、警察、消防、保健所、地域コミュニティの多くの方々とも信頼関係ができ、その結果、実行委員長も含めて高槻まつり振興会の会長を14年間努めました。

「高槻のプロデューサー」
その間にも、高槻市制50周年にはイギリスから世界のマジシャン ポール・ダニエル氏を招いてのイベントを開催。市制60周年にはスコットランドエジンバラ市と提携してJR高槻駅前に「市民が創る花時計」を設置。
花を愛する多くの市民が年間一人1000円を寄贈して花の植え替えを一緒にする奉仕活動をしました。

そして15年前の夜にある若者二人が「ジャズを通じて、高槻に人がたくさん来るようにしたい」しかしお金も無いし、やり方も解らないと相談があり朝方まで仕掛けを考え実行しました。
各方面からのご協力とご協賛を頂き昨年記念すべき第15回のジャズストリートを成功裏に終わらせ今も継続しています。

このイベントは全国的にも飛び火して東京隅田区、代々木公園、そして、韓国ソウルでは毎年10月に一日で数十万人が集まる大フェスティバルに発展。
すでに6回を終わらせていて釜山で済州島と各地に広まっています。
私はこれら全てボランティアとして活動しています。

ライオンズクラブでの活動
私は高槻ライオンズクラブに入会して、かれこれ29年が経ちます。
入会の動機は、高槻青年会議所で「明るい豊かな社会を築こう」と言う理想を持って様々の活動をし、このマインドを続けられる場として「We Serve」の理念を持つLIONSに入会しました。

Liberty Intelligence Our Nations Safety.

私は我がクラブにおいて常にこのスローガン、モットーの下に国際協会の定めた規則ルールを遵守し、我がクラブは現在会員70名で活動しています。

我がクラブは2年前にCN50周年を迎え、大きなことは出来ないかもしれませんが、今年池下節夫会長はテーマとして
【不易流行でウイサーブ】を掲げ基本を忘れずに新しい物にも挑戦して行こうとチャレンジ精神に燃えて奉仕活動を邁進しています。

私は今回、すばらしい仲間がいる高槻ライオンズクラブの推薦を受け輝かしい歴史と伝統と日本で一番の会員数を誇る335-B地区の第2副地区ガバナー候補として立候補させていただきました。
今後は皆様方のご協力とご尽力を頂きながら335-B地区の全てのクラブが更なる発展が出来るよう「新しい階」を構築していく覚悟ですので、何卒よろしくお願い致します。

私は今69歳 今年10月で70歳に成ります。
     私が歩んできた人生の中で常に想っていること
       私を育ててくれた祖母も、父も母も常に言っていた事

人様がいて 自分があるのだ 人様の話をよく聞いて
      我情我欲になるな はしたない事は絶対するな
         いつも感謝、感謝の気持ちを忘れずに
      世のため 人のため お役にたてる人になれ

これらの家訓を忘れずに、爽やかに常に笑顔を持ってお洒落な伯父さまでいたいと思っております。



私の親愛なる先輩であります。28歳の時から高槻青年会議所の先輩として長年にわたり一緒に活動してまいりました。いろんな場面でその芸術家としての卓越したセンスで我々をリードしていただきました。特に高槻まつりでは、柿原会長とともに20年にわたり取り組んでまいりました。ライオンズクラブ活動においても、L古川明会長の幹事として、L岡田宏ガバナーの時のキャビネット幹事として活躍されました。この度、335B地区の大に副地区ガバナーとして立候補する機会をいただき感謝しております。是非とも、柿原勝彦をご支援いただき副地区ガバナーの職務を担わせていただく機会を与えていただきますようお願い申し上げます。






(写真6枚)
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里山資本主義

2014-03-18 12:28:55 | Weblog


藻谷浩介さんの著作です。
現代の経済至上主義を「マネー資本主義」と定義し、21世紀型の資本主義を「里山資本主義」と捉えてエネルギーの取得方法から、食糧の取得方法を通じて、未来の日本や世界のあり方を考えさせる一冊です。
本の帯の文から「マネー資本主義の限界をなんとなく感じている日本人。その不安と不満を解消し、新たな豊かさを提供する、生き方の常識を変える”里山資本主義”
人々の創意工夫と「最先端の技術」が田舎暮らしを革命的に変え、日本の田舎暮らしは「都会」と、そして「世界」ともすぐにつながる環境を手にしている。

うまくかけないのですが、すごく人間的な考え方だと直感しました。高槻でもできそうです。
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安満遺跡公園ワークショップの考察P-1

2014-03-10 23:48:51 | Weblog
3月7日のワークショップの中で、市民参加の一つのチャレンジプログラムとして、農についてやってみようということが上がり、中川から提案をしてそれを検討していく、ということで一歩前に進めようとの話になったかと思います。さて、市民参加のモデルプログラムを考えるには、たくさんの課題があります。それらを列挙しながら、一つ一つの課題解決を図り現実のものにしていくためのロードマップを作っていかなければなりません。農ということですので、仮に「稲作」を展開するための課題の整理をしましょう。例えば、「フラワーパーク」にするにはどんな課題があるか等の、一つ一つのテーマについて課題の共有をはじめていく必要があります。それぞれの具体的なプログラムについて課題の解決を、行政サイドのだれがいつまでに解決を図るのか、市民サイドでは課題解決のためのチームをどのように組織していくのかをロードマップとして完成させなければなりません。一つの例を挙げてみます。

「稲作計画」1.規模
      2.時期
      3.作付品種
      4.苗の確保
      5.指導方法と人員
      6.管理方法
      7.展開スケジュール
      8.圃場管理者の設定
      9.収穫方法
      10.収穫物の処分方法
      11.収穫後の圃場管理
      12.冬季の管理主体
      13.高槻市の関わり方
      14.継続的に展開するための考え方
      15.市民参加の効果の測定
      16.安満遺跡公園で稲作をする意義
      17.道具等の管理拠点
      18.作業参加者の管理拠点
      19.現在の京大農場の運営との区分け
      20.運営資金の捻出

これらの事柄が、ファンタジーの世界ではなく現実の議論として出てきます。ただ単に「稲作」をしますよ。みんな集まってくださいでは、実は一歩も進めないのです。スーパー公務員とスーパーボランティアの力だけでは、進めないところです。これらの事柄が、すべての公園プログラムに発生してきます。高槻市が提唱されている「市民の参加で作る公園」のハードルだと思います。次回のワークショップの体制は、平成25年度とは少し変わるとは思いますが、次回の議論のテーマになるのではないでしょうか。
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