修一のよもやまばなし

高槻ライオンズクラブの元会長で元335B6R1ZCP(2009ー2010)中川修一が毎日のできごとと思いを綴るブログ

昭和45年のこと

2012-02-29 21:57:50 | Weblog

昭和45年は1970年で、大阪万博の年で、第一回高槻まつりが実施された年です。私は関西大学一年生でした。高槻市の人口は23万人でした。現在の南側の庁舎が出来た年でもありました。それまでの高槻市役所は、今のマツサカヤのところにありました。3号館のところに事務棟がありました。マツサカヤのところには駐車場と広場がありました。消防署、バスターミナルもいっしょにあったように思います。また高槻警察署もありました。正に駅前は高槻の顔ともいう場所でした。それが今の庁舎に移動することにより高槻の玄関ともいうべきところが開発されていきました。マツサカヤのオープンは昭和54年だと思いますのでそれから役十年の歳月が必要でした。同じ時期にJR高槻駅の北側では西武百貨店の出店が決まっていました。昭和48年8月に開店が決まっていたのですが開店2日前に火事が起こり一年出店が遅れました。そんな時代の中で、「高槻ええじゃないか音頭」がつくられて歌手島倉千代子で歌われました。その曲は後日アップいたします。しかし、歌詞に問題ありとの指摘があって現在の「高槻音頭」に変更されました。時代の背景は高度成長のど真ん中でした。
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第42回高槻まつり総会

2012-02-22 22:34:32 | Weblog
2月22日3時30分に高槻市民会館3階で高槻まつりの総会が行われました。昨年の祭りの総括の報告と第43回の高槻まつりの役員の選考と実施計画の策定をしました。昨年の第42回の高槻まつりは黒字決算が出来ましたので40周年以来の赤字決算が解消され健全会計に復帰しました。第43回はあたらしく新役員が選出されました。柿原勝彦会長は13年の長きにわたって勤めていただきましたが、今回退任をされました。今回新会長に不肖私、中川修一が選出されました。実行委員長に松本英理さんが選出されました。
高槻まつりは、高槻の最大のイベントです。高槻を心から好きな、気にかけている「熱い」メンバーで実行委員会が構成されています。3月そうそうには始動いたしますが皆様方の「熱い」ご支援をお願いいたします。また、この際サポーターとして、「チーム高槻まつり」の一員となっていただきたいと思います。これからもよろしくお願いします。
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高槻のまつり考

2012-02-19 09:42:22 | Weblog
天神まつり 2月25日26日上宮天満宮境内とJR高槻駅から参道(前々から)

摂津峡桜まつり 3月末から4月はじめ摂津峡公園(50年くらいかな)

こいのぼりフェスタ4月29日 芥川の桜堤公園(20回位)

ジャズフェスティバル5月3日4日 高槻市内(14回目)

高槻まつり 8月4日5日 けやき通り、桃園小学校(43回目)

芥川河川レンジャー養成講座 年間通じてのプログラム(今年はじめます)

わくわく探検隊2012  年間通じてのプログラム(今年四年目)

高槻戎まつり 1月9日10日11日 野見神社(58回目くらい)

高槻シティマラソン 1月第3日曜日(来年で第21回)

それ以外には、各地域の自治会のまつり、原の蛇まつり、安満のいわての杜神社の祭り、服部神社の祭り等の神社の祭りがあります。

高槻市はまつりで出来ているといっても過言ではありません。近々では天神まつりが今週の週末です。菅原道真ゆかりの神社です。参道が自動車通行止めになっています。高槻では、「天神さん」が終れば春が来ると言われています。冬もあと少しです。




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「地震考古学」寒川旭講演会 大阪彩都総合研究所

2012-02-15 22:25:06 | Weblog
地震を考古学の手法で研究されている寒川旭先生の講演会に行ってきました。地層の中の地震の痕跡を研究することで、地震の周期的な動きを知り、地震発生の傾向と対策をする学問だそうです。古文書に記された地震の記録と地質学的な地震の痕跡をつなぎ合わせてそのときの地震の大きさや被害状況を推測していく学問です。今回の東日本大震災とつぎに起こるであろう地震を推察することが出来ます。南海地震、東南海地震につながる痕跡も分かっています。昨今言われている、関東大震災4年以内70パーセントの予測も無理のない話しでした。本当に日本は地震からは逃れられません。地震とうまく付き合う智恵が「地震考古学」にはあります。でも、余りに大きい地震はごめんです。
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大飯原発見学記

2012-02-14 22:02:02 | Weblog
高槻商工会議所の雑貨品部会と文化用品部会の共同プログラムとして、福井県の大飯原子力発電所の見学会を開催しました。昨年の3.11以来福島原発の崩壊がありましたのですぐに関西電力さんに見学のお願いをしたのですが、いろいろと安全対策上のことで今はむりだということで延期を余儀なくされて今日の見学会となりました。原発のことは福島以来新聞上やテレビで報道されていることしか知りませんでしたので、今回は現場でいろいろ教えていただきました。地震対策津波対策にはじまって放射能を「止める、冷やす、とどめる」ことによって安全を確保するとおっしゃっていました。大飯原発は「加圧水型軽水炉」ということで圧力をかけた水を循環することによって熱交換をして発電用のタービンを回すタイプだそうです。福島は「沸騰水型軽水炉」で原子炉で直接蒸気を作ってそれでタービンを回すそうです。大飯では4つの炉があって4個の発電プラントがあり、現在すべて止まっているそうです。全部を動かすと470万キロワットの出力があるそうです。最新の注意で再稼動を待っておられる様子が見られました。さて、大事故のあとですので、軽々に判断は出来ませんが、いろいろ対策を講じられているのは分かりました。それにしても、休止中にも関わらずたくさんの人が動いておられます。稼動すると秒速300トンの海水でタービンを動かしたあとの蒸気を冷やすそうです。海が川のように流れる水量です。その水が7度上昇して海に戻すそうです。すごいエネルギーが棄てられます。それ以上に電力が生産されるのです。動かす原理は火力発電所と同じだそうです。原子炉の造る熱で水を沸騰させてその蒸気でタービンを回す。タービンを回すことで電力を発生させるという原理です。蒸気機関車の原理とまったくいっしょです。それにしてもすごい仕組みを作ったもんだと現物を前に感心してしまいました。絶対に事故なく運転をお願いしなければいけません。ここの電気が50万ボルトに昇圧されて関西に送られています。

こう書いてしまうと何かと、突っ込まれてしまいそうですが、一日かけて見てきました。
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東京ギフトショウ

2012-02-11 12:50:42 | Weblog


「日本経済のV字回復」のためのアイデアが満載の展示会が東京ビッグサイトでありました。私は最終日の10日に行きました。国際展示場駅に着いた15両編成の普通電車は6枚扉にはビッグサイトに行く人で満員でした。10時の開場に合わせての人出でした。東館6館と西館4館に1000を越す企業がブースを出していました。私は10時から3時まで会場内を歩き回りました。それぞれのブースには各社各様の工夫を凝らしてあって、人間の智恵と意欲を見せていただきました。日本経済のV字回復は出来ると確信を持ちました。派手ではないけれど、商品に対する「真摯な取り組み」を感じましたし、何よりもみんな明るく振舞っておられました。
それと東京はやはり人が多いです。
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パルタック展示会

2012-02-01 21:53:35 | Weblog
今日は、日雑卸日本一のパルタックの展示会がありました。日本の流通業の中で、食品を除く分野では三本の指に間違いなく入ります。150社のメーカーの協賛を得てマイドームおおさかで開催されていました。全国の物流拠点を防災の観点から、発電機を備えて出荷に支障のないようにするとおっしゃっていました。東日本大震災の影響はこんなところにも出てきています。弊社もパルタックさんにはお世話になっていますので、危機回避の防災計画を持っておられることは心強い限りです。
 
東日本大震災で分かるように、大混乱が数日は起こることは覚悟しておく必要があると思います。発電機を備えていても混乱は間違いなく起こります。むしろ、積極的に考えておかなければならないのは、復旧のスピードです。万一、壊滅的な打撃を受けたときに、どのように短期間で復旧作業をスタートさせて復興させるかが大切だと思います。それは発電機の設置以上にシステム的に考えれば柔軟な対応だと思います。東日本大震災のときも、全国の被害を受けていない物流拠点から、パルタックのように商品を持っている業者が被災地に運べばもっと早く対応できていたに違いありません。有志からの供出を待って素人軍団がなんぼがんばってもスピードが違います。その意味では、イオングループ、イトウヨーカドーグループの動きは報道がなかったからかもしれませんが遅かったと思います。プロの物流を大いに利用して、防災に役立てて欲しいと思いました。

さて今年のパルタックさんの雰囲気ですが、不況はどこ吹く風の元気がありました???日雑業界は、消費の低迷にも関わらず、毎年新製品のラッシュです。これがこの業界を支えています。今年もない智恵を絞りながらも本当にたくさんの新製品が上梓されていました。なんぼでも売る物はあります。買う人が少ないだけなんです。皆さん、どんどん買い物をしてください。
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