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昭和45年は1970年で、大阪万博の年で、第一回高槻まつりが実施された年です。私は関西大学一年生でした。高槻市の人口は23万人でした。現在の南側の庁舎が出来た年でもありました。それまでの高槻市役所は、今のマツサカヤのところにありました。3号館のところに事務棟がありました。マツサカヤのところには駐車場と広場がありました。消防署、バスターミナルもいっしょにあったように思います。また高槻警察署もありました。正に駅前は高槻の顔ともいう場所でした。それが今の庁舎に移動することにより高槻の玄関ともいうべきところが開発されていきました。マツサカヤのオープンは昭和54年だと思いますのでそれから役十年の歳月が必要でした。同じ時期にJR高槻駅の北側では西武百貨店の出店が決まっていました。昭和48年8月に開店が決まっていたのですが開店2日前に火事が起こり一年出店が遅れました。そんな時代の中で、「高槻ええじゃないか音頭」がつくられて歌手島倉千代子で歌われました。その曲は後日アップいたします。しかし、歌詞に問題ありとの指摘があって現在の「高槻音頭」に変更されました。時代の背景は高度成長のど真ん中でした。