修一のよもやまばなし

高槻ライオンズクラブの元会長で元335B6R1ZCP(2009ー2010)中川修一が毎日のできごとと思いを綴るブログ

2012年さようなら

2012-12-31 20:17:35 | Weblog
2012年の締めくくりにあたり、クリスマスの朝に、突然のぎっくり腰になってしまい、へたっていた歳末でした。今日も、調子はいまいちです。今年を象徴するような最後の二日でした。30日の雨は本当につらいものです。もうここ4,5年は歳末らしい雰囲気が遠ざかっています。お正月の気分も10年前とは違ったものになりました。これがふつうになるのだと思いますが、なんとなくさびしい気もいたします。さて、来年は安部新政権に期待をするしかないのですが、何とか世間の気分を明るくしていただきたいものです。来年もよろしくお願いいたします。
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女瀬川・芥川・そして津之江公園ーー治水と環境

2012-12-28 09:21:44 | Weblog
淀川管区河川レンジャー中島さん、杉本さんの主催で平成25年1月26日土曜日午前10から12時に高槻市生涯学習センター3階研修室で行います。
8月の豪雨で女瀬川が津之江公園付近でオーバーフローし、その水が津之江公園の「丘」にぶつかることにより滞留して女瀬川のしいが危険水位に近づいたという事実を踏まえながら、今後の川づくりにおける「治水と環境の問題」として、流域住民・河川利用者等の参加者とともに考えたいという趣旨のもとに開催されます。形態はパネルディスカッションとワークショップを兼ねたような形態でします。パネラーは女瀬川を守る会の堀江さん、新湊川を愛する会の井上さん、他を予定しています。参加者との意見交流を重点に運営します。視点、論点は、女瀬川の特徴と課題、女瀬川と芥川、津之江公園の現状と問題点。津之江公園内ビオトープの今後。行政機関との連携。安全な川・生き物が多い川。子供たちの自然体験。等です。

川はいつ氾濫するかわかりません。女瀬川のように流域面積が小さくても川筋が細い川は集中豪雨には弱いのです。昭和42年7月の豪雨で如是小学校のすぐ側で決壊をしています。その後津之江公園の周りに堤防があったのですが撤去されて遊水地になってグランドとして使われていました。今度は、そのグランドに池を掘ってその残土をグランドに積み上げられたのですが、その小山に女瀬川の濁流がぶつかって女瀬川の水位が危険水位に近づいたということです。堤防は一番弱いところが決壊します。そんなことこんなことを討論しようというセミナーです。
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女瀬川・芥川・そして津之江公園ーー治水と環境

2012-12-28 09:21:44 | Weblog
淀川管区河川レンジャー中島さん、杉本さんの主催で平成25年1月26日土曜日午前10から12時に高槻市生涯学習センター3階研修室で行います。
8月の豪雨で女瀬川が津之江公園付近でオーバーフローし、その水が津之江公園の「丘」にぶつかることにより滞留して女瀬川のしいが危険水位に近づいたという事実を踏まえながら、今後の川づくりにおける「治水と環境の問題」として、流域住民・河川利用者等の参加者とともに考えたいという趣旨のもとに開催されます。形態はパネルディスカッションとワークショップを兼ねたような形態でします。パネラーは女瀬川を守る会の堀江さん、新湊川を愛する会の井上さん、他を予定しています。参加者との意見交流を重点に運営します。視点、論点は、女瀬川の特徴と課題、女瀬川と芥川、津之江公園の現状と問題点。津之江公園内ビオトープの今後。行政機関との連携。安全な川・生き物が多い川。子供たちの自然体験。等です。

川はいつ氾濫するかわかりません。女瀬川のように流域面積が小さくても川筋が細い川は集中豪雨には弱いのです。昭和42年7月の豪雨で如是小学校のすぐ側で決壊をしています。その後津之江公園の周りに堤防があったのですが撤去されて遊水地になってグランドとして使われていました。今度は、そのグランドに池を掘ってその残土をグランドに積み上げられたのですが、その小山に女瀬川の濁流がぶつかって女瀬川の水位が危険水位に近づいたということです。堤防は一番弱いところが決壊します。そんなことこんなことを討論しようというセミナーです。
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安満史跡公園ワークショップ報告

2012-12-16 18:04:43 | Weblog
「とにかく現地で考えよう」ということで、9時30分に京大農場の会議室に集合しました。前回の振り返りをした後、宮崎文化財課長より、安満遺跡の価値についてお話がありました。桧尾川の扇状地の末端部分で京大農場の中にも高低差があり桧尾川の氾濫により地形が変わってきた。その所に、弥生人が住み着いたとのことです。今の京大農場の事務室あたりが少し高くなっていてそこに集落があったとのことです。写真は中心部から西を向いて撮ったところです。22.4HRの広さのうち5.6HRです。今日は、ワークショップのメンバーで、現場を見て歩きました。刈り取られて土が見えている田んぼや、果樹園を見学しました。弥生時代の遺跡の保存、と災害の拠点、癒しの空間、子育ての場、景観の保護、高槻のシンボル、といっぱいの課題を与えられているのですが、「今のままでええやん」という意見まであって、ここを開発するには勇気のいる作業だと思いました。まさにこの広々とした空間自体に保護する価値があると思います。一気にブルトーザーを入れて、開発するにはもったいないと思いました。できれば、農業をしながら、憩いの広場としての空間をぜいたくにとっていくのがいいと思います。サッカーや、野球をできるスペースも大切です。防災拠点という意味では、どちらかというと低湿地に近いので、大型の重機を入れるとか、10トン車を入れる場面があると想定するなら、地盤の改良にかなりお金がかかりそうです。桧尾川から水を引いて小川を作るというのも出ましたが、桧尾川事態がそんなに大きな川ではないので、流量が安定しないと思います。

この写真は、京大農場の中心からJR高槻方面を撮ったものです。水の張られた田んぼの向こうに高槻市の中心部があります。高槻は大都会です。

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