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高槻市大字原の東條の神峰山寺参道の入り口に牛地蔵が祭られています。その牛地蔵の右側に由緒書が書いてあります。1832年に建立されたと書かれています。東條の有志で建立したと書かれています。実は、私の先祖は、原の東條に住んでいたそうです。火事にあって、今はいとこが原の中村に住んでいます。江戸年間で天保四年(三年かもしれません)の出来事です。先祖の市兵衛が牛地蔵の少し南に住んでいたそうです。家系では、市兵衛の子供が二代目市兵衛でその子供が駒蔵で駒蔵の子供が鹿蔵で鹿蔵の子供が増次郎で増次郎の子供が市太郎でその子供が修一で私です。私から数えて7代前の市兵衛さんが牛地蔵の建立のお手伝いをしていたかも知れません。そのころは山仕事と運搬をしていたそうです。その市兵衛は天保11年に亡くなっています。先般、父市太郎が1月16日に亡くなりました。その折に先祖さんについて振り返りました。我が家の家系は今のところ高槻原住民のながれの中にあります。一昨年娘が和歌山出身の北山に嫁ぎましたので縁戚は近畿圏に広がりました。今から177年前の出来事でした。我が家のルーツの話にお付き合いいただきありがとうございます。