つくることを反対されていたひとも大勢おられたので、結果がでてしまった今だから考えられることは、「本当は誰がこのことを考えなければいけなかったのか」です。市民の総意で作る、つくらないを決めればいいのですがそのことを誰がリードしなければいけないのか、責任者は誰なのか。今回は責任者は誰もいなかったということではないでしょうか。市民の動きに合わせて進めることは「それはそれで正しい」ことですが、市民の動きは誰が作るのでしょうか。自然発生的に燃え上がってくるのを待つのでしょうか。今回は一部の市民が要望を出し署名活動までしてしまいました。68000名の署名まで集めたのです。署名活動は時期早尚との意見もありましたが、われわれとしてはやるしかなかった。今でも、「高槻市にガンバスタジアム」は必要だったと思っています。中核市高槻市のシンボルにもなりうる施設でありました。もちろん力不足だったから吹田にもっていかれたのですから、あとのまつりであることは間違いありません。同じ轍を踏まないために、このことから学習しなければなりません。
結論は、政治とどう付き合うかということになります。市民として政治とどう付き合うかです。今回はそのことを十分にわかっていなかったと思います。そして、政治家もそのことを十分に理解されていなかったと、いうことだと思います。高槻市の100年の計は市民で作るしかないということだと思います。市民の武器はひとつ。
ちょっと過激になりましたが、昨日の今日なのでお許しいただけたらと思います。このたびは本当に残念でした。
結論は、政治とどう付き合うかということになります。市民として政治とどう付き合うかです。今回はそのことを十分にわかっていなかったと思います。そして、政治家もそのことを十分に理解されていなかったと、いうことだと思います。高槻市の100年の計は市民で作るしかないということだと思います。市民の武器はひとつ。
ちょっと過激になりましたが、昨日の今日なのでお許しいただけたらと思います。このたびは本当に残念でした。