修一のよもやまばなし

高槻ライオンズクラブの元会長で元335B6R1ZCP(2009ー2010)中川修一が毎日のできごとと思いを綴るブログ

アース方針発表会

2012-01-24 21:41:14 | Weblog
殺虫剤市場では、ナンバーワンになっています。今年度は、昨年末に「バスクリン」の買収ががありました。180億年の買収です。同じ業界の中での買収ですのでいろいろ気を使ったという話でした。大塚達也社長の苦渋に満ちたお話でした。アース製薬は業界では順調に業績を伸ばされています。今年は52skuの新製品を上梓されました。元気いっぱいの企業です。
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高槻シティマラソンを終えて

2012-01-23 21:49:12 | マラソン
20回記念大会ですので、記念誌を作りました。20回の歴史が一冊の冊子にまとめることが出来ました。この二十回を支えていただきました皆さんに是非読んでいただきたいと思います。その62ページに第一回のときに市長をしていただいていた江村利雄さんのメッセージが乗っています。その全文をを転記します。

私が府から市に来る時、先輩から「お前は住民が年間2~3割転入転出し「へそ」のないところに行くんだから、何か「へそ」を造れ」と言われた。幸い建設省、府警にも何人かの知人もいたので、これらの人、また市の幹部とも相談し「へそ」造りに邁進した。出てきた一つにマラソンがあった。住民が一致して出来るのではないか、スタートの一発もやってみたい。知人友人に助けられ、この事業が20周年を迎える。感無量である。お世話になった諸兄に心よりお礼申し上げます。
                        元市長江村利雄

そして次のページに元常任委員の塚本忠雄さんのコメントが載っている。これも、転載します。

このマラソンも、古川明という。常にあたらしい事(物ではなく)を求めている熱き男が居たから成功したのだと思う。氏は来年度高槻ライオンズクラブの会長に決まっていた。「俺な、目玉にマラソンやろかとおもてんねん」で始まった。「おまえらがやれや」と突然言われ、何と思いつつ断れなかった、10名程のメンバーで構成されたのは市制50周年の前年で、そのプレイベントとしてスタートした。何からやってよいのやら?資料集め・資金集め・ボランティアスタッフ集め・コースの吟味等、仕事そこのけで皆走り回った。今振り返ると実に楽しかった。もうひとりの決断をした男は石垣一夫である。「阪神淡路大震災」第3回マラソンを5日後に控えていた。各地でイベントは勿論自粛ムードいっぱいで、実行委員会でも当然意見は分かれた。そのとき「阪神淡路大震災復興マラソン」としてやろうという氏の一言で決まった。リーダーがしっかりしておれば人は動くことを思い知らされた。初回から11回まで実行委員の一人として務めさせていただいたことに感謝しています。
                       元当委員会常任委員 塚本忠雄


もう一回目の準備の日々からは22年が経っています(1994年が一年開催がありません)が昨日のことのように楽しかった準備の期間を思い出します。「古川さん、そんなことは出来るはずないからやめときましょう」と言いつつ最初の年は仕事をほって100日は奔走しました。最初の16キロマラソンの江村市長のスタートの号砲を覚えています。ちなみに次の10キロマラソンの号砲は河上敬一体育協会会長で不発でやり直しスタートをしました。
そのときから全市の団体のサポートを受けて実施しています。今回の成功の95パーセントはこのときに決まっていました。今回は8300人に上る申し込みありがとうございました。

なお記念誌は残りがありますので希望の方は、事務局までご来場ください。高槻市民会館の南会議室にあります。
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第20回高槻シティマラソン無事終了

2012-01-22 21:35:12 | マラソン
この一週間コースの清掃、ゼッケン、選手受付の準備、記念品の準備と毎日忙しくされていた事務局でした。大会前日の準備の時にはなんと雨まで降っていました。前日までの天候とは打って変わって、今日は午前中は曇り午後は快晴で気温はあたたかいくらいでした。そんな中で8300名の申し込みを得て開催されました。私は、スタートの係りでした。濱田高槻市長はハーフマラソンのスターターをされました。そのあと3キロマラソンに岩手県大槌町の子供たちといっしょに走られました。高槻市長が走られるのは初めてです。沿道のボランティアもびっくりしたと思います。濱田市長はスタートのときは大槌町の中学生と高槻二中の生徒に混ざってスタートラインについておられたのですが、いざ号砲がなるとすぐにおいていかれておられました。でも沿道のボランティアスタッフや応援の市民に挨拶をしながらゆっくりと走られたようです。市長が走られると盛り上がります。ありがとうございました。来年は是非ハーフマラソンを走っていただきたいと思います。今日はありがとうございました。また、長時間にわたり沿道の安全に気を配っていただきました高槻警察の皆様に敬意を表します。ありがとうございました。今回は、天候までが応援してくれた奇跡の一日でした。何はともあれ、皆さんに感謝申し上げます。
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金鳥社長上山直英景気短観

2012-01-20 23:36:49 | Weblog

今日、帝国ホテルで「金鳥の本年度方針発表会」がありました。私は毎年出席します。念頭にあたり上山直英社長が方針を発表されます。今年も述べられました。的確な分析と予測があって、毎年何を話されるのか楽しみにしています。本日の挨拶の内容を私なりに書いてみます。

金鳥の2011年度の業績は全体で102%です。そのうち殺虫剤関連が103%でその他が100%でした。節電の影響で電気化鳥が伸びなかったが、ワンプッシュや蚊取り線香は伸びました。東日本大震災の影響は、阪神大震災の例を踏まえて落ちないだろうと踏んでいたがそのとおりでした。東北は津波の影響で6月にアカエイカの発生に続き東郷ヤブカが発生していた。東郷ヤブカは汽水域で発生するカです。ハエも被災地で一気に増えたことがありました。日本はだめだだめだといわれていましたが、年末頃には、日本は他の国よりもましであるという評価が出てきました。欧州ではポルトガル、アイルランド、イタリヤ、ギリシャ、スペインが悪くて、世界中が欧州の影響を受けている。いまや、2012年でいいのは日本だけとも言われている。東日本大震災の被害は阪神の1.5倍といわれている。日本は生活向上のための公共投資はほぼ終っていて、そのための投資は少なくなっている。今の円高は2007年を基準にして、ドルは2.5倍ユーロは1.7倍発行されているのに比べて、円は1.1倍程度しか発行されていない。海外では、国債が売りたたかれると通貨が下がるが、日本は日本国債の95%を日本国民がもっているので売りたたかれないので比較的に安定している。韓国のの企業に日本企業が負けているとの評価は、円高水準が2006年に比べて3割高くなっているので、20000ドルの商品が30000ドルになっているのに対しウォンは16000ドルにしかならない。この差が競争力の差になっている。2020年には日本の人口の半分は働かなくなっているので、所得税ではおっつかないので消費税に移項するしかないのが現状であると思われる。TPPの問題はTPP参加国の中で日本とアメリカでそのうちの80%の構成比があるので、これは日米の構造協議と見るべきです。1991年の構造協議で日本は内需を高めるということで430兆円の公共投資をすることを米国に約束している。その後、修正されて12年間で630兆円の公共投資をしてきた。年間50兆円で、これは国家の税収に匹敵する額です。2002年の小泉政権までこれは続いた。その後はアメリカは商品ではなく金融で稼ぐように転換して行ったので金融関連の規制の撤廃を言い出してきた。今後は東日本大震災後のことは、95年96年97年の阪神大震災の例に倣っていくと、震災の二年後は、虫の市場は拡大しているので今年は前向きに行きたい。人口は減る傾向ではアルが、新製品によって市場を拡大していくようにもって行きたい。


主な要旨は以上です。金鳥は昨年対比114%を目差されます。何とかついていかなければと思っています。
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高槻ライオンズクラブCN50によせて

2012-01-17 09:40:04 | Weblog
高槻ライオンズクラブは1961年7月に結成されました。昭和31年です。高槻市の人口はまだ89000人でした。平成24年は358000人です。高槻市も高度成長の時代があってその間は毎年10000人ずつ人口が増えていきました。平成の時代になってからはほぼ同じくらいの人口が続いています。平成20年度の人口移動状況ですが、死亡が2638人転出が14087人で合計16725人が減少ですが、出生が3348人、転入が13285人で16633人が増加しています。差し引き92人の人口減となっています。これは、20数年で高槻市の住民が全員入れ替わる勘定になっています。つまり、高槻市はダイナミックに新陳代謝が起こっているということです。大阪のベッドタウンといわれていますが、高槻市はまだまだ都市圏のうちだということだと思います。さて、そんな街のライオンズクラブが50周年を迎えました。これからも地域に貢献できることを祈念いたします。
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高槻青年会議所理事長、蔵立真一

2012-01-16 22:10:16 | Weblog
本年度高槻青年会議所の理事長を蔵立真一君が勤めてくれます。明日、17日は青年会議所の主催で、新年互礼会が催されます。創立45周年の節目に当たるそうです。「SOULFUL TAKATSUKI魂からの挑戦」をスローガンに掲げられます。蔵立真一君がんばれ、高槻青年会議所がんばれとエールを送ります。明日、互礼会での挨拶をわくわくした気持ちで聞きたいと想います。
私は、21年前に卒業したOBです。すでに21年も経ってしまったのかと時のたつ早さに驚いています。私が青年会議所で活躍したときは28歳から35歳までと卒業年度の39歳の時でした。入会のときが高田さん、川上さんのときがセクレタリー、長井さんのときは副委員長、岡山さんのときは教育開発委員長、西田さんのときは副理事長、斉藤さんのときは特別事業委員長、吉田さんでお休み、土井さんのときは日本JC地域教育開発委員会出向、その後半から3年間スリーパー、橋本、山本、川中3氏の時は完全休み、最後に川中さんが声をかけてくれて次年度選考委員で波波伯部さんを選出して最終年度は会員開発委員長を務めました。30年も前の話なんですが多くの方にお世話になりました。テーマはいつも「高槻のこと」であったり「仲間のこと」であったり「仕事のこと」であったりしました。今も高槻青年会議所の中では、あのころと同じように喧々諤々の議論があるのでしょうね。
明日、皆さんといい出会いがあることを期待しています。
ふれーふれーJC。
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高槻えびすまつり盛況でした

2012-01-13 21:37:40 | Weblog
1月9日10日11日の三日間野見神社の境内にある高槻戎神社で「高槻戎まつ」が盛大に行われました。9日は成人祭と同時進行でしたが祝日でもありましたので大勢の方が参拝いただきました。この11日に各地の戎まつりを見に行く機会を得ました。まずは今宮戎です。
ここは大阪の商売の中心地だけあって規模もやり方も大きいものでした。特に境内では「福笹」を参拝客に配られていました。その笹に縁起ものを一個1500円で取り付けられていました。「商売繁盛で笹もってこい」の掛け声が鳴り響いていました。



次に豊中えびすに行きました。ここは境内は狭いのですが、売り子さんはみなさん元気いっぱいで楽しそうに福笹や縁起物を売っておられました。華やかなえびすまつりでした。




次に茨木のえべっさんに行きました。茨木市の中心の川端どおりに面していて、市営駐車上から直結しています。い長い参道の真ん中にえびす神社があります。伝統あるえびすまつりの風格を感じさせてくれます。



どこも地域の方々の奉仕で盛り上がっていました。高槻戎も負けないくらい盛り上がっていました。滅多に他所のえびす祭りを見に行くことはないのですが、貴重な機会をいただきました。
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高槻市新年互礼会

2012-01-04 22:03:39 | Weblog
毎年一月4日に高槻市文化ホールにおいて「新年互礼会」があるのですが、今年も高槻市と高槻商工会議所の共催で行われました。昨年の四月に市長選挙がありましたので新市長濱田剛史さんの挨拶ではじまりました。初めての新年互礼会での挨拶ですので、いろいろ気を使っておられたように思いました。辰年に辰年生まれの私が挨拶するのは光栄なことです。というつかみで話が始まりました。「住みやすさ日本一のまちづくり」について市長の意欲をお話いただきました。高槻市の知名度を上げて行きたい等の事をお話になられました。列席のみなさんは、高槻市で長年企業活動をされていたり地域活動をされている方ばかりですので、もう少し具体的な話があったほうが良かったと思いました。また「ガンバスタジアム」が吹田に行ってしまったこともお話しになられても良かったのではないかと思いました。特に「東日本大震災」があったので市民意識にも防災への関心が大きいと思います。それと気になったのが、市長が挨拶されていたときに、廊下にいた市の職員の無駄話が大きく聞こえていたことは、結局のところ、行政マンがこの催しに乗り気でなかったように感じました。もちろんそのことを苦々しいと思っている職員さんもおられたとは存じますが、そこのところは部長諸氏が静粛にさせるのが常識ですが、さもありなん状況でした。行政が新年を市民とともに祝うという姿勢には、少し集中力がなかったように思います。小山商工会議所会頭からは、世界情勢の話、東日本大震災の話、高槻の将来の交通アクセスの話と多くの示唆に富んだお話をきかせていただきました。その後しばらく懇談の時間があって金田副会頭の「万歳三唱」で締めくくられました。例年よりも参加者が少ないように思ったのは私だけではなかったようです。
高槻市は人口36万人足らずの中核市です。今の世の中、市の中のことばかり言っていても何も変わらないかもしれませんが、いわゆる生活の基盤となる基礎自治体としての機能は必要です。そんななかで、この新年互礼会の実施については、もっと積極的に仕掛ける必要があると思います。時間の短さを中味の濃さで勝負する「高槻で一番重要な時間を」市民みんなで共有する機会にしたいものです。
 もっと発信できるチャンスです。

司会や運営もリハーサルをして充実したものにしましょう。

生意気なことを言ってしまいました。こんな私ですが今年もよろしくお願いします。
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